第54話 聖女様は、招待状にも条件をつける
白い封筒は、美しかった。
厚手の紙。
金の縁取り。
白い翼と天秤を刻んだ封蝋。
どう見ても。
その辺の食事会への招待状ではない。
「開けても?」
リリアが尋ねる。
「もちろんでございます。」
聖協国枢機卿マティアスは、穏やかに微笑んだ。
クラリスは何も言わない。
ただ。
横で帳面を開いていた。
「……クラリス様。」
「何でしょう。」
「もう監査する気ですよね。」
「読むだけです。」
「羽根ペンを持っていますけど。」
「癖です。」
リリアは小さく笑ってから、封を切った。
中には三枚。
一枚目。
聖協国教皇庁からの正式な招待状。
二枚目。
滞在日程。
三枚目。
研究施設の一覧だった。
リリアの目が止まる。
「……これは。」
マティアスが頷く。
「我が聖協国には。」
「約三百年にわたる聖魔法の研究記録がございます。」
治癒。
浄化。
結界。
祝福。
疫病対策。
魔力障害。
そして。
歴代聖女の記録。
「現在。」
マティアスは続ける。
「あなたほど明確に聖女の力を発現された方は、他国にはおりません。」
「ですが。」
「力とは。」
「使えれば良いものではない。」
リリアの表情が変わった。
「正しく学ぶ必要があります。」
その言葉には。
確かに説得力があった。
「例えば。」
マティアスは施療院を見る。
「昨日。」
「何名を治療されましたか。」
「三十名です。」
「効果がなかった方は。」
「三名。」
「理由は分かりますか。」
リリアは答えられなかった。
「……分かりません。」
「それを。」
マティアスは優しく言った。
「一緒に調べませんか。」
リリアの瞳が揺れた。
クラリスは、その横顔を見ていた。
これは。
彼女が欲しかったものだ。
もっと救えるようになりたい。
だが。
自分の力を過信したくない。
そのための知識。
断る理由は少ない。
「期間は?」
リリアが尋ねた。
「まずは三か月を。」
「無理です。」
即答だった。
マティアスが瞬きをする。
「……無理?」
「はい。」
リリアは施療院を指差した。
「今。」
「こちらの運用を作り始めたばかりです。」
「薬草畑もあります。」
「三か月離れたら。」
「全部、人任せになります。」
クラリスは何も言わなかった。
マティアスは少し考える。
「では。」
「一か月では。」
「長いです。」
「二週間。」
「……。」
リリアが考える。
以前の彼女なら。
クラリスを見ただろう。
どうしましょう、と。
だが。
今日は見ない。
自分の帳面を開く。
予定表。
施療院。
薬草畑。
王宮との会議。
孤児院。
地方巡回。
「十日。」
リリアが言った。
「十日であれば。」
「調整できます。」
マティアスは微笑んだ。
「承知しました。」
「ただし。」
リリアが続ける。
「条件があります。」
今度はクラリスが少し驚いた。
「条件?」
「はい。」
リリアは指を一本立てる。
「一つ。」
「学んだ治癒法を。」
「王国へ持ち帰ることを認めてください。」
二本目。
「二つ。」
「聖協国で得た研究資料について。」
「公開可能なものは、王国の医師にも共有します。」
三本目。
「三つ。」
「私だけではなく。」
「王国の医師を二名、同行させてください。」
マティアスの笑顔が少し変わった。
「なぜです?」
「私だけが知っていても。」
「私がいなくなったら終わってしまうからです。」
クラリスの羽根ペンが止まった。
いい答えだった。
「それから。」
「まだございますか。」
「はい。」
リリアは少し申し訳なさそうに言う。
「旅費。」
クラリスが横を向いた。
笑うのを堪えている。
「クラリス様に言われて。」
「気になってしまいました。」
マティアスはとうとう声を上げて笑った。
「聖協国が負担いたします。」
「随行員も?」
「もちろん。」
「食費は?」
「もちろんです。」
「研究施設の利用料。」
「不要です。」
「帰りも?」
「……往復でございます。」
「良かった。」
リリアは本当に安心した顔をした。
クラリスが小さく頷く。
「成長されましたね。」
「そこですか?」
「重要です。」
◇
話し合いは一時間ほど続いた。
マティアスは。
意外なほど柔軟だった。
条件のほとんどを受け入れた。
「最後に。」
マティアスが尋ねる。
「私からも一つ。」
「はい。」
「聖協国で。」
「あなたに見ていただきたいものがあります。」
「何でしょう。」
「制度です。」
リリアが首を傾げる。
「制度?」
「我が国では。」
「身分や財産にかかわらず。」
「すべての民が一定水準の治療を受けられるよう。」
「治療法を標準化しております。」
クラリスの目が少し細くなった。
「標準化。」
「はい。」
「誰が治療しても。」
「同じ症状には。」
「同じ治療を。」
「それなら。」
リリアが言う。
「地方でも同じ医療が受けられる。」
「その通り。」
マティアスは嬉しそうに頷いた。
「善意だけでは。」
「国は救えません。」
「善意を。」
「仕組みにするのです。」
その言葉に。
リリアは強く惹かれた。
自分が今。
まさにやろうとしていることだった。
クラリスも。
否定はしなかった。
「合理的ですね。」
「でしょう?」
「ただし。」
クラリスは言う。
「例外は。」
マティアスが彼女を見る。
「ございますか。」
一瞬だけ。
沈黙。
ほんの一瞬だった。
「もちろん。」
マティアスは微笑んだ。
「人は。」
「一人ひとり違いますから。」
クラリスも微笑み返した。
「安心しました。」
それ以上は。
何も言わなかった。
◇
マティアスが帰ったあと。
リリアは招待状を見つめていた。
「行こうと思います。」
「そうですか。」
「止めないんですね。」
「なぜ止めるのです。」
「少し。」
「怪しいと思っているのかと。」
クラリスは紅茶を一口飲む。
「怪しいことと。」
「学ぶ価値がないことは。」
「別問題です。」
「……なるほど。」
「ですから。」
クラリスは一枚の紙を差し出した。
リリアが見る。
大きな文字。
『聖協国視察・確認事項』
「もう作ったんですか?」
「はい。」
「早い……。」
項目は十二個。
聖魔法研究。
医療制度。
財源。
教育。
慈善団体。
地方支援。
白翼慈善会。
そして。
八番目。
『天秤院との関係』
リリアの表情が変わった。
「これ。」
「フェルン渡河村で?」
「はい。」
クラリスは初めて。
白翼慈善会について説明した。
善意。
支援。
依存率。
黒陽草。
消された帳簿。
百年前に滅びたはずの天秤院。
リリアは最後まで黙って聞いた。
「マティアス様も。」
「関係しているのでしょうか。」
「分かりません。」
「悪い人?」
「分かりません。」
「聖協国は。」
「敵ですか。」
「それも。」
クラリスは首を横へ振った。
「分かりません。」
リリアは少し困った顔をする。
「分からないことばかりですね。」
「監査とは。」
「そういうものです。」
「最初から答えが決まっていたら。」
「監査ではありません。」
リリアは十二項目を見つめた。
「なら。」
「見てきます。」
クラリスが顔を上げる。
「自分の目で。」
「聖協国が。」
「どんな国なのか。」
少し考えて。
「良いところも。」
「悪いところも。」
「持って帰ります。」
「ええ。」
クラリスは微笑んだ。
「それが一番です。」
◇
翌朝。
リリアは薬草畑にいた。
「十日ほど。」
「留守にします。」
農夫の老人へ頭を下げる。
「ほう。」
「偉くなったもんじゃ。」
「まだ何も。」
「外国へ呼ばれる聖女様じゃろ。」
リリアは笑う。
「でも。」
「帰ってきたら。」
「また鍬を教えてください。」
「忘れとらんかったか。」
「忘れません。」
老人は一本の小さな苗を渡した。
「持ってけ。」
「これは?」
「どこにでも生える薬草じゃ。」
「珍しくもない。」
「聖協国には。」
「もっと立派な薬草があるかもしれん。」
「じゃがな。」
老人は土のついた手で笑った。
「偉いところへ行くほど。」
「普通のもんを忘れるな。」
リリアは苗を両手で受け取った。
「はい。」
この時。
彼女は確かに。
その意味を分かっていた。
十日後。
きっと。
この畑へ戻ってくる。
泥だらけになって。
また鍬を振るう。
そう思っていた。
だが。
遠く聖協国では。
彼女を迎える準備が。
すでに始まっていた。
白亜の大聖堂。
三百年分の聖魔法研究。
すべての人へ。
同じ救いを。
同じ治療を。
同じ幸福を。
その理念は。
あまりにも美しく。
あまりにも正しかった。
だからこそ。
誰もまだ気付かなかった。
正しさにも、限度額があることを。




