第49話 優しさは、数字にならない
翌朝。
共同監査委員会は、白翼慈善会が運営する診療所を訪れていた。
石造りの小さな建物。
窓際には薬草が干され、待合室には十人ほどの村人が静かに順番を待っている。
「先生、おはよう。」
「腰が楽になりました。」
「薬、本当に効いたよ。」
村人たちは、口々にアーベルへ礼を言う。
アーベルは一人ひとりに笑顔で返事をしていた。
子どもには目線を合わせ。
老人には椅子を勧める。
診察は丁寧で、決して流れ作業ではない。
その姿を見ていたアレクシアが、小さく息をついた。
「……悪人には見えんな。」
「はい。」
クラリスも同じ気持ちだった。
「だから難しいのです。」
診療が一段落すると、アーベルはお茶を運んできた。
「粗茶ですが。」
「ありがとうございます。」
クラリスは礼を言い、部屋を見回した。
壁には村の子どもたちが描いた絵。
寄付のお礼の手紙。
収穫祭の写真。
どれも温かい。
「素敵な診療所ですね。」
「皆さんのおかげです。」
アーベルは照れくさそうに笑う。
「私は何も。」
「いいえ。」
クラリスは首を横へ振った。
「あなたがいなければ、この村は困っていたでしょう。」
その言葉に、アーベルは少しだけ嬉しそうな顔をした。
「ですが。」
クラリスは机の上へ一冊の帳簿を置く。
寄付金受領簿。
静かに開く。
「一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」
「もちろんです。」
「この診療所は。」
「白翼慈善会の支援が止まった場合、運営できますか。」
アーベルの笑顔が止まった。
「……え?」
「村だけで続けられますか。」
「それは……。」
言葉が出ない。
薬は寄付。
建物も寄付。
器具も寄付。
薬草畑も慈善会の所有地。
「難しい、ですね。」
アーベルは正直に答えた。
「村には、お金がありませんから。」
クラリスは責めなかった。
「承知しました。」
帳面へ一行だけ書く。
『自立運営不可』
アーベルは、その文字を見つめていた。
「……何か。」
静かに尋ねる。
「問題がありますか。」
「あります。」
クラリスは優しく答える。
「ですが。」
「あなたではありません。」
部屋が静まり返る。
「仕組みです。」
「仕組み?」
「はい。」
「あなたは毎日、人を助けています。」
「村人も感謝しています。」
「それは事実です。」
「ですが。」
クラリスは窓の外を見る。
子どもたちが笑っている。
「十年後も。」
「二十年後も。」
「この村は毎月助けてもらわなければ暮らせない。」
アーベルは何も言えなかった。
「優しさは。」
クラリスは静かに続ける。
「立ち上がる力を渡して初めて、本当の支援になります。」
「歩けない人を支える杖は必要です。」
「ですが。」
「一生、抱きかかえ続けることは。」
「支援ではありません。」
アーベルは深く俯いた。
「……考えたことがありませんでした。」
「ええ。」
「だから。」
クラリスは微笑む。
「考えるのは、これからで十分です。」
◇
その頃。
診療所の裏庭。
ヨルが何かを嗅いでいた。
鼻を地面へ近付け。
低く唸る。
「ヨル?」
ルシアンが近寄る。
そこには、小さな木箱。
土に半分埋まっている。
掘り出す。
鍵は掛かっていない。
開けると、中には手紙が束になっていた。
「……これは。」
クラリスも駆け寄る。
古い封筒。
宛先はすべて。
『聖協国 本部』
差出人。
アーベル。
その内容は。
「今月も村人は元気です。」
「薬草の収穫が少し増えました。」
「来年には薬草畑を村へ譲りたいと考えています。」
クラリスは、次の手紙を開く。
そこには赤い文字。
却下
さらに次。
時期尚早
さらに。
現行支援体制を維持せよ
アーベルの顔から血の気が引いた。
「そんな……。」
「知りませんでした。」
「送ったあと、一度も返事は見せてもらえなくて。」
クラリスは最後の封筒を開く。
そこには短く。
支援終了は認めない。
現地依存率を維持せよ。
部屋が静まり返った。
アーベルは震えていた。
「依存率……?」
「そんな言葉。」
「聞いたこともありません。」
クラリスは静かに封筒を閉じる。
「あなたは。」
「利用されていました。」
「人を助けたい。」
「その善意を。」
「数字へ変える人がいます。」
アーベルは椅子へ座り込んだ。
今まで信じてきたもの。
尊敬してきた組織。
その奥で。
誰かが、人の暮らしを「依存率」という数字で管理していた。
その頃。
聖協国。
白亜の大聖堂。
地下最深部。
一人の老司教が静かに報告を受ける。
「アーベルが。」
「知りましたか。」
「はい。」
「共同監査委員会が。」
「予定より早く。」
老司教は静かに立ち上がった。
「では。」
祭壇の奥へ歩いていく。
厚い扉。
ゆっくり開く。
そこには。
純白の法衣。
黄金の冠。
誰も座っていない白い玉座。
老司教はその玉座を見つめ、小さく呟いた。
「そろそろ。」
「聖女様を、お迎えする時期です。」
誰もいない玉座だけが、静かに朝日を受けて輝いていた。
その玉座に座る人物が。
まだ、自分の運命を知らないまま。




