第48話 善意にも、領収書は必要です
アーベルの淹れた薬草茶は、驚くほど美味しかった。
癖がなく、ほんのり甘い。
村人たちも自然と笑顔になる。
「この薬草も寄付なのですか。」
クラリスが尋ねる。
「はい。」
アーベルは微笑んだ。
「白翼慈善会の畑で育てています。」
「毎月、村へ届けています。」
その言葉に嘘は感じられない。
子どもたちも老人も、彼へ感謝していた。
だからこそ。
クラリスは慎重に言葉を選んだ。
「帳簿を拝見できますか。」
「もちろんです。」
アーベルは迷いなく木箱を開けた。
寄付金台帳。
薬草管理簿。
炊き出し記録。
診療記録。
どれも几帳面だった。
「……。」
ルシアンが小さく感心する。
「すごく綺麗ですね。」
「毎日書いておりますから。」
アーベルは少し照れくさそうに笑った。
「帳簿は苦手でしたが。」
「先輩から、人を助けるなら数字も助けなさい、と教わりました。」
クラリスは一瞬だけ目を細めた。
その言葉は嫌いではなかった。
むしろ。
どこか自分と似ている。
「失礼ですが。」
クラリスは寄付金台帳を開く。
「こちらの寄付金は、どなたが承認されていますか。」
「地区司祭様です。」
「その上は。」
「司教様。」
「さらに上は。」
「教区長様になります。」
クラリスの羽根ペンが止まる。
「現金は、直接持ち込まれますか。」
「いいえ。」
「本部から届きます。」
「本部は。」
「聖協国です。」
部屋が静まり返った。
アレクシアが腕を組む。
「外国資金か。」
「はい。」
アーベルは疑いもなく頷いた。
「困っている人を助けるためです。」
クラリスは数字を追う。
一年。
二年。
三年。
毎月同じ日。
同じ額。
ぴたりと揃っている。
「……変ですね。」
「何がでしょう。」
「寄付というのは。」
クラリスは静かに言う。
「普通、毎月同じ額にはなりません。」
豊作の年。
凶作の年。
景気。
災害。
寄付は必ず揺れる。
だが、この数字は機械のように一定だった。
「これは寄付ではありません。」
「え?」
アーベルが目を丸くする。
「予算です。」
その一言に。
ルシアンも気付いた。
「なるほど……。」
「寄付なら善意。」
「予算なら事業。」
クラリスは頷く。
「つまり。」
「支援活動ではなく。」
「最初から計画されている。」
アーベルは困ったように笑う。
「でも、それで助かる人がいるなら。」
「問題ないのではありませんか。」
「ええ。」
クラリスは否定しない。
「助かっています。」
「あなたのおかげで。」
「村人も。」
「子どもたちも。」
「ですが。」
帳簿を閉じる。
「助かった人が。」
「自分で立ち上がれる仕組みになっていますか。」
アーベルは答えられなかった。
診療所。
薬。
炊き出し。
すべて毎月届く。
届かなければ。
生活できない。
「依存……。」
ルシアンが小さく呟く。
「はい。」
クラリスは静かに頷いた。
「善意は。」
「人を支えるものです。」
「ですが。」
「人を立てなくしてしまえば。」
「それは支えではありません。」
その時だった。
入口から一人の少年が駆け込んできた。
「先生!」
息を切らしながら叫ぶ。
「隣村でも薬が足りないって!」
アーベルはすぐ立ち上がった。
「分かりました。」
迷いなく薬箱を抱える。
クラリスへ深く頭を下げる。
「申し訳ありません。」
「仕事がありますので。」
「もちろんです。」
クラリスも立ち上がった。
「お気をつけて。」
アーベルは笑顔のまま走って行った。
その背中を見送りながら。
アレクシアがぽつりと言う。
「いい奴だな。」
「はい。」
クラリスも同じだった。
「とても。」
「だから。」
ヴィクトルが低く続ける。
「利用される。」
誰も反論しなかった。
その頃。
フェルン渡河村から遠く離れた山岳地帯。
白い大聖堂の地下。
一人の司教が報告書を閉じる。
「共同監査委員会。」
静かな声だった。
「予定より早いですね。」
部屋の奥。
顔の見えない人物がゆっくり口を開く。
「構いません。」
「彼女はいずれ。」
「こちらへ来ます。」
司教は深く一礼した。
「聖女様の準備も。」
「順調です。」
暗い部屋に。
白い翼と天秤を重ねた紋章だけが静かに浮かんでいた。
そして、その誰もいない祭壇には。
一脚だけ。
まだ誰も座っていない、美しい白い玉座が置かれていた。




