第46話 焼き栗屋の少女は、二つの橋を知っていた
事件は、大人だけが知っているとは限らない。
むしろ。
毎日同じ景色を見ている子どもの方が、小さな違和感には敏感だった。
翌朝。
共同監査委員会は再びフェルン渡河村を歩いていた。
市場は昨日より賑やかだ。
焼きたてのパン。
魚を並べる商人。
行商人の呼び声。
橋の上では旅人が行き交っている。
「……平和ですね。」
ルシアンが呟く。
クラリスは小さく頷いた。
「だからこそ。」
「違和感が見えます。」
その時だった。
「おねえちゃん!」
元気な声が響く。
昨日の焼き栗屋の少女だった。
今日も大きな籠を抱えている。
「また来た!」
「ええ。」
クラリスはしゃがみ込み、目線を合わせる。
「今日も焼き栗をいただけますか。」
「もちろん!」
少女は嬉しそうに袋へ詰め始めた。
その様子を見ながら、クラリスは穏やかに尋ねる。
「昨日、『橋を使わない人がいる』と言っていましたね。」
「うん!」
「どこで見ましたか。」
「森!」
「毎日?」
「毎日じゃないよ。」
少女は指を折り始めた。
「晴れの日。」
「月が丸い日。」
「あとね。」
「雨の次の日!」
クラリスの手が止まる。
「雨の次の日。」
「うん!」
「いっぱい通る!」
ヴィクトルが低く呟く。
「……川か。」
クラリスも同じ結論へたどり着いていた。
「橋ではありません。」
「川ですね。」
アレクシアが腕を組む。
「泳ぐのか?」
「いえ。」
クラリスは地図を広げる。
「雨で水位が上がる。」
「普通は渡れません。」
「ですが。」
ヴィクトルが続ける。
「浅瀬が隠れる。」
ルシアンが首を傾げた。
「隠れる?」
「逆です。」
クラリスが説明する。
「浅瀬を知っている者だけが渡れる。」
「他人には危険に見える。」
少女は大きく頷いた。
「そう!」
「みんな怖がる!」
「でも、おじさんたちは普通に行っちゃう!」
セバスが帳面へ書き込む。
――未登録渡河地点。
――現地住民証言。
――雨天後のみ利用。
「ありがとうございます。」
クラリスは少女へ焼き栗代とは別に小さな銀貨を渡した。
少女は首を横へ振る。
「いらない!」
「え?」
「おじいちゃんが言ってた!」
「お話は売っちゃだめ!」
クラリスは思わず笑った。
「良い橋守さんですね。」
少女は胸を張る。
「世界一!」
◇
その頃。
橋守の老人は橋のたもとを掃除していた。
クラリスたちを見ると、静かに頭を下げる。
「昨日はありがとう。」
「こちらこそ。」
クラリスは老人へ一枚の紙を見せた。
「この辺りに浅瀬はございますか。」
老人は驚いた。
「誰から聞いた。」
「焼き栗屋さんです。」
老人はしばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
「子どもは。」
「よう見とる。」
橋守はゆっくり歩き出した。
「ついて来なされ。」
十分ほど歩く。
森を抜ける。
そこには幅の広い川。
一見すると、とても渡れそうにない。
しかし。
「ここじゃ。」
老人が杖で指した場所だけ、水面の色が少し違う。
「石畳……。」
ルシアンが息を呑む。
川底に人工の石。
「昔の渡河道じゃ。」
老人が言う。
「橋ができる前は皆ここを通っとった。」
クラリスはしゃがみ込み、水へ触れる。
「最近も使われています。」
石が新しい。
泥が削れている。
足跡。
馬の蹄。
荷車の跡。
「なるほど。」
ヴィクトルが頷いた。
「橋を使わず。」
「税も払わず。」
「交易だけしていた。」
アレクシアは槍を肩へ担ぐ。
「密輸だな。」
「はい。」
クラリスは証拠写真……ではなく、丁寧にスケッチを描く。
「現場確認。」
「未登録渡河路。」
「使用痕跡、多数。」
その時。
ヨルが突然、川下へ向かって走り出した。
「ヨル!」
クラリスが呼ぶ。
黒い子犬は止まらない。
川下の茂みへ飛び込む。
全員が後を追う。
そこには。
古びた船着場があった。
「船……。」
セバスが呟く。
桟橋は朽ちている。
だが。
縄だけが新しい。
「最近まで使われています。」
ルシアンが魔力を探る。
「人の気配はありません。」
クラリスは桟橋を調べる。
木材。
縄。
杭。
その一本へ、小さな刻印があった。
白い翼。
天秤。
「天秤院。」
アレクシアの表情が険しくなる。
「またか。」
「はい。」
クラリスは証拠袋へ入れた。
「点が。」
帳面を開く。
橋。
森。
渡河道。
船着場。
黒陽草。
天秤院。
一つずつ線を引く。
「まだ足りません。」
ヴィクトルが尋ねる。
「何がだ。」
「中心です。」
クラリスは地図を見る。
「運ぶ人。」
「渡る道。」
「積み替える場所。」
「全部あります。」
「ですが。」
「命令する人がいません。」
その瞬間。
村の方角から鐘の音が鳴り響いた。
カン。
カン。
カン。
橋守の老人が顔色を変える。
「まずい。」
「どうしました。」
「村役場じゃ。」
「その鐘は。」
老人は苦い表情で答えた。
「監査が来た時だけ鳴る。」
全員が顔を見合わせた。
クラリスは静かに帳面を閉じる。
「歓迎ではありませんね。」
「ええ。」
老人はゆっくり頷いた。
「村長が。」
「証拠を消す合図じゃ。」
クラリスは黒檀の杖を握り直した。
「急ぎましょう。」
共同監査委員会は一斉に村へ駆け出した。
その頃。
村役場の地下では。
一人の男が大量の帳簿へ火を放とうとしていた。
そして、その胸元には。
白い翼を持つ天秤の紋章が静かに揺れていた。




