第45話 帳簿にない橋を渡る者たち
地図にない道は、必ず誰かが知っている。
そして。
誰かだけが知っている道は、長くは隠れない。
翌朝。
共同監査委員会は、橋守の老人から聞いた「森の近道」へ向かった。
朝露の残る獣道。
人一人が歩けるほどの細さだったはずなのに、少し進むと景色が変わる。
「……広い。」
ルシアンが思わず声を漏らした。
馬車が二台並んでも通れるほどの幅。
轍は深く、最近まで何度も荷車が通っていたことが分かる。
「地図には載っておりません。」
クラリスが帳面へ書く。
「未登録道路、幅約四メートル。」
「荷車の通行跡、多数。」
ヴィクトルは地面に膝をついた。
「しかも急いでいる。」
「急いでいる?」
アレクシアが尋ねる。
「車輪の跡が蛇行していない。」
ヴィクトルは轍を指差した。
「重い荷を積むと普通は左右へ揺れる。」
「これは違う。」
「同じ速度。」
「同じ間隔。」
「訓練された輸送隊だ。」
クラリスは頷く。
「商人ではありませんね。」
「軍か。」
アレクシアが呟く。
「いえ。」
セバスが静かに否定した。
「軍なら隠しません。」
「なるほど。」
クラリスは一本線を引いた。
『軍ではない。だが軍並みに統率されている。』
その時。
ヨルが低く唸った。
耳を立て、森の奥を見つめている。
「何かいます。」
ルシアンが魔力を探る。
しかし反応は薄い。
「人ではありません。」
ヨルはゆっくり歩き始めた。
誰も止めない。
しばらく進むと、小さな広場へ出る。
そこには荷車が三台。
積み荷は空。
だが地面には黒い粉が散っていた。
クラリスがしゃがみ込む。
「黒陽草……。」
「乾燥前です。」
ルシアンが青ざめる。
「ここで加工していた。」
ヴィクトルが周囲を確認する。
「見張りはいない。」
「撤収したばかりだ。」
セバスは木箱を開けた。
中には帳面が一冊。
粗末な紙。
乱暴な文字。
「お嬢様。」
クラリスへ渡す。
開く。
日付。
数量。
受渡し。
それだけ。
「帳簿というより。」
「運搬記録ですね。」
その最後のページ。
受取人の欄だけが暗号になっていた。
「読めますか。」
アレクシアが聞く。
セバスは首を横へ振る。
「夜帳式ではありません。」
ルシアンも眉をひそめる。
「帝国式でもない。」
クラリスはページを閉じた。
「つまり。」
「第三者です。」
その瞬間。
森の奥から鳥が一斉に飛び立った。
ヴィクトルの目が鋭くなる。
「伏せろ!」
全員が身を低くする。
次の瞬間。
矢が一本。
荷車へ突き刺さった。
さらに二本。
三本。
森の奥。
「敵襲!」
アレクシアが槍を構える。
だが。
クラリスは静かに言った。
「待ってください。」
「何だ!」
「矢をご覧ください。」
一本拾う。
鏃は鉄。
羽根は白。
そして。
矢柄には焼印。
見覚えのない紋章。
円の中に三本線。
「王国ではありません。」
「帝国でもない。」
ヴィクトルも頷く。
「傭兵か。」
「いえ。」
クラリスは矢を袋へ入れた。
「組織です。」
「証拠品として回収。」
アレクシアが苦笑する。
「戦場でも押収するのか。」
「もちろんです。」
「後で必要になります。」
再び矢が飛ぶ。
今度は五本。
しかし。
どれも人を狙わない。
荷車。
木箱。
帳面。
証拠だけを狙っている。
「証拠隠滅!」
ルシアンが叫ぶ。
「燃やされます!」
一本の矢が木箱へ刺さる。
赤い魔法陣。
発火。
「《流水》!」
クラリスの杖が円を描く。
空気中の水分が集まり、炎を包む。
蒸気が森へ広がった。
「今です!」
ヴィクトルが叫ぶ。
「アレクシア!」
「任せろ!」
皇女は一直線に森へ飛び込む。
深紅の槍が枝を払い、木々を駆け抜ける。
だが。
戻ってきた時には誰もいなかった。
「逃げられた。」
珍しく悔しそうだった。
セバスが地面を見つめる。
「逃走は計画通り。」
「足跡が二手に分かれています。」
クラリスは荷車の陰に落ちていた小さな木札を拾う。
裏返す。
刻まれていたのは。
黒陽宮でも。
ローゼン商会でもない。
初めて見る紋章。
白い翼を持つ天秤。
ルシアンが息を呑む。
「この紋章……。」
「知っているのですか。」
少年はゆっくり頷いた。
「古い魔術書で一度だけ見ました。」
「名前は。」
ルシアンの声が少し震える。
「……《天秤院》。」
「記録では。」
「百年前に滅んだ組織です。」
クラリスは木札を見つめた。
百年前に滅んだ組織。
しかし。
今、その紋章がここにある。
黒陽宮の残党ではない。
もっと古く。
もっと根深い何か。
アレクシアが槍を肩へ担ぐ。
「面白くなってきたな。」
クラリスは首を横へ振った。
「いいえ。」
証拠袋へ木札を入れる。
「やっと。」
静かな声だった。
「本当の事件が始まりました。」
森を抜ける風が、白い翼の紋章をかすかに揺らした。
まだ誰も知らない。
この小さな木札が。
やがて王国と帝国、そして聖協国までも巻き込む、大きな物語の始まりになることを。




