第44話 橋は一本、渡り方は二つ
フェルン渡河村は、小さな村だった。
王国と帝国を隔てるフェルン川。
その川幅は広くない。
しかし流れは速く、昔から橋一本が村の命だった。
「……静かですね。」
馬車を降りたクラリスが呟く。
「交易村にしては。」
アレクシアも周囲を見回す。
「荷車が少ない。」
ヴィクトルは地面へしゃがみ込んだ。
車輪の跡を指でなぞる。
「……面白い。」
「何かございますか。」
セバスが尋ねる。
「橋へ向かう轍より。」
ヴィクトルは土を払った。
「橋から離れる轍の方が深い。」
クラリスも近づく。
「荷物を積んで帰っている。」
「ですが。」
「橋を渡った記録は減っています。」
ルシアンが帳簿を開いた。
「数字と一致しません。」
その時だった。
「旅のお方!」
元気な声が飛ぶ。
十歳くらいの少女が、大きな籠を抱えて走ってきた。
「焼き栗はいりませんか!」
アレクシアが笑う。
「朝から商売か。」
「朝が一番売れるの!」
少女は胸を張った。
「橋を渡る人がいっぱいだから!」
クラリスの手が止まる。
「いっぱい?」
「うん!」
「毎日たくさん!」
少女は不思議そうな顔をした。
「でもね。」
「最近は橋を使わない人も多いよ。」
全員の視線が集まる。
「どちらへ行くのですか。」
クラリスが優しく聞く。
「森。」
「森を抜けると早いんだって。」
アレクシアが眉をひそめる。
「森?」
「地図には道がないぞ。」
少女は笑う。
「おじさんたちは”近道”って呼んでる。」
クラリスは少女へ銀貨を一枚渡した。
「ありがとう。」
「焼き栗もいただきます。」
少女は嬉しそうに駆けていった。
その背中を見送りながら。
クラリスは帳面へ書く。
――現地証言一件。
――橋を使用しない交易路の存在。
「子どもの証言を信じるのか。」
アレクシアが聞く。
「全部は。」
クラリスは首を振る。
「ですが。」
「嘘をつく理由がありません。」
セバスが頷く。
「利益誘導も見られません。」
「焼き栗は売られましたが。」
「それは正当な商取引でございます。」
ルシアンが苦笑した。
「セバス、本当に帳簿脳ですね。」
「お嬢様の影響かと。」
◇
橋へ着くと、一人の老人が欄干を磨いていた。
年季の入った作業着。
日に焼けた腕。
橋守なのだろう。
「おはようございます。」
クラリスが一礼する。
「橋を管理されている方ですか。」
老人は静かに頷いた。
「三十年になる。」
「修繕記録を拝見できますか。」
「……役人か。」
「共同監査委員会です。」
老人は少し驚いた顔をした。
「噂は聞いとる。」
小屋から帳簿を持ってくる。
クラリスはその場で開いた。
「……。」
「どうだ。」
老人が尋ねる。
「変です。」
「何が。」
「修繕費は多い。」
「ですが。」
「実際の修理内容が少なすぎます。」
橋脚一本。
板二枚。
釘数十本。
それだけ。
請求額だけが大きい。
「橋守さん。」
クラリスが顔を上げる。
「本当に、この修理をされましたか。」
老人は長く黙っていた。
川の流れる音だけが聞こえる。
「……わしは。」
ようやく口を開く。
「書いただけじゃ。」
アレクシアが一歩前へ出る。
「誰に。」
「村長じゃ。」
老人は肩を落とした。
「修理したことにしてくれ、と。」
ヴィクトルが静かに尋ねる。
「金は。」
「橋には使われとらん。」
「どこへ。」
老人は首を横に振る。
「知らん。」
「知らない方が長生きできる、と言われた。」
部屋の空気が重くなる。
クラリスは老人を責めなかった。
「確認しました。」
それだけを書いた。
老人は驚く。
「責めんのか。」
「責めません。」
「なぜじゃ。」
「あなたは。」
クラリスは帳簿を閉じる。
「帳簿を偽造しました。」
「ですが。」
「利益を得ていません。」
「脅されていた可能性があります。」
老人の目が潤む。
「……初めてじゃ。」
「何がですか。」
「話を最後まで聞いてくれた役人は。」
その言葉に。
アレクシアは静かに目を伏せた。
◇
橋を離れた帰り道。
ヴィクトルが小さく呟く。
「匂うな。」
「はい。」
クラリスも頷く。
「村長一人ではありません。」
「もっと大きな流れがあります。」
ルシアンが地図へ印を付ける。
「近道の森。」
「偽装修繕。」
「帳簿改ざん。」
「全部つながっています。」
その時。
セバスが立ち止まった。
「お嬢様。」
「何かしら。」
「こちらをご覧ください。」
道端の草むら。
荷馬車の車輪跡。
その脇に、小さな黒い粒が落ちている。
クラリスが拾い上げる。
固い。
黒い。
光を当てると紫色に揺らめいた。
「これは。」
ルシアンが顔色を変える。
「黒陽草の乾燥種子です。」
全員が黙った。
黒陽宮は終わった。
そのはずだった。
だが。
黒陽草は。
まだ誰かが運び続けている。
クラリスは種子を証拠袋へ入れる。
封をしながら、小さく呟いた。
「事件は終わっていませんね。」
その言葉を聞いたアレクシアは、静かに槍を握り直した。
「ならば。」
「ここからが、本当の共同監査だ。」
夕暮れのフェルン川を渡る風が、森の奥へ吹き抜ける。
そこには地図にない道がある。
そして、その道の先には。
まだ姿を見せぬ誰かが、彼らを待っていた。




