悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る
第41話 悪女令嬢は、終わった仕事を数えない
終わった仕事は、数えない。
クラリスは昔から、そう決めていた。
褒められるためではない。
次に困る人を待たせないためだ。
零番庫の朝は静かだった。
昨夜まで暴れていた黒陽草は枯れ、紫黒い瘴気も消えている。
棚いっぱいに並ぶ帳簿だけが、朝日を受けて淡く光っていた。
「押収品目録、確認します。」
クラリスが読み上げる。
「黒陽宮最終帳簿、一冊。」
「共同設立記録、一冊。」
「王国関係資料、三百二十七冊。」
「帝国関係資料、二百九十四冊。」
「国境商会契約書、百四十二冊。」
「暗号文書、未整理箱六箱。」
セバスが淡々と書き込んでいく。
「抜けは。」
「ございません。」
「封印番号。」
「一番から七百七十三番まで。」
「確認。」
羽根ペンが止まる。
その瞬間だった。
「お前は。」
拘束されたグレゴールが呟く。
「本当に最後まで帳簿なのだな。」
クラリスは老人を見る。
「はい。」
「勝ったのだぞ。」
「そうでしょうか。」
「黒陽宮は潰れた。」
「まだです。」
「何?」
「組織が潰れても。」
クラリスは静かに言う。
「被害は残っています。」
戦争は起きなかった。
だが。
家族を失った人。
名前を消された人。
利用された村。
荒らされた薬草畑。
それらは消えない。
「勝利ではありません。」
「後始末です。」
グレゴールは苦く笑った。
「だから、お前は厄介だ。」
その時。
零番庫の入口から兵士が入ってきた。
「皇女殿下。」
「帝都より急使です。」
アレクシアが封書を開く。
読み終えると。
静かにクラリスへ差し出した。
「皇帝陛下からだ。」
そこには短く書かれていた。
『王国公爵令嬢クラリス・フォン・アルベルティーナを、帝国最高功労者として迎える』
部屋が静まる。
ルシアンが笑う。
「当然ですね。」
ヴィクトルも頷いた。
セバスだけは表情を変えない。
「お嬢様。」
「何かしら。」
「お断りになるのですね。」
「もちろんです。」
アレクシアが吹き出した。
「読む前から分かるとは。」
「功績を受け取るために来たのではありません。」
クラリスは封書を閉じる。
「ですが。」
「共同監査委員会設立の提案は、お受けします。」
「……。」
アレクシアは笑った。
「褒美より制度か。」
「制度は残ります。」
「勲章は。」
「箱へしまわれます。」
「なるほど。」
皇女は心から笑った。
「やはり、お前は面白い。」
ヨルが目を覚ました。
大きな欠伸をして。
クラリスの膝へ頭を乗せる。
「今回は。」
クラリスが撫でる。
「頑張りました。」
ヨルは満足そうに目を閉じた。
「ヨル記録。」
クラリスが帳面を開く。
「黒陽草瘴気吸収、適量。」
「指示違反なし。」
「証拠物への前足。」
少し考える。
「……なし。」
ヨルが勢いよく尻尾を振った。
セバスが小さく笑う。
「初めて満点でございます。」
零番庫に。
穏やかな笑い声が広がる。
その笑いを見ながら。
グレゴールは目を閉じた。
「セバス。」
「はい。」
「私は。」
老人はゆっくりと言った。
「間違っていたと思うか。」
セバスは、すぐには答えなかった。
二十五年。
師だった男。
憎み続けた男。
それでも。
「あなたは。」
静かに言う。
「最初は、国を守ろうとしたのでしょう。」
グレゴールは黙っている。
「ですが。」
「途中で。」
「国より。」
「仕組みを守るようになった。」
クラリスも続ける。
「人が制度を作ります。」
「ですが。」
「制度が人を食べ始めたら。」
「直さなければなりません。」
老人は目を閉じたまま笑った。
「悪女に。」
「説教される日が来るとは。」
「説教ではありません。」
クラリスは首を振る。
「監査です。」
グレゴールは声を出して笑った。
そして。
それが。
彼が最後に見せた、穏やかな笑顔だった。
零番庫の外では。
帝国の朝日が昇っていた。
王国と帝国。
二つの国を照らす光に。
もう、国境はなかった。
悪女令嬢は、世界を救ったとは言わない。
ただ。
誰かの名前を。
一つ残しただけだった。
それだけで。
十分だと思えた。




