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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第三章 悪女令嬢は、帝国の帳簿を読む
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第34話 名前のない木箱には、出所があります

 文化とは、運ばれるものである。


 絵画。


 書物。


 織物。


 楽器。


 料理。


 祈り。


 誰かの土地で生まれたものが、国境を越え、別の誰かへ届く。


 だから文化交流には、荷札が必要だ。


 どこで作られたか。


 誰が所有していたか。


 誰が運んだか。


 誰が受け取ったか。


 美しいものほど、出所を曖昧にしてはいけない。


 帝国文化展示館は、昼の光の中で輝いていた。


 王国の刺繍。


 帝国の金属細工。


 辺境地方の木彫り。


 王都楽団の楽器。


 帝国魔術学院の古代魔石。


 壁には両国の旗が交互に飾られ、広間には親善祭を楽しむ人々の笑い声が響いている。


 その地下へ。


 王国の旧温室から運び込まれた、名前のない木箱がある。


「表は続けると言ったが」


 文化展示館の裏口で、アレクシア皇女は腕を組んだ。


「地下を調べている間も、市民を中へ入れるのか」


「地上部分に危険がないと確認できれば」


 クラリスは答えた。


「現時点で、魔力異常は地下に集中しています」


 ルシアンが銀杖を床へ向けた。


 淡い青の線が、石床の下を流れている。


「昨日より弱いです。でも、消えてはいません」


「罠か」


 ヴィクトルが尋ねる。


「可能性はあります」


「可能性ばかりだな」


 アレクシアが言う。


「断定できるまでは」


「分かっている」


 最近のアレクシアは、クラリスの返答を先に言うようになっていた。


 学習が早い。


 少し声は大きいが。


「地上には親衛隊を配置します」


 クラリスは展示館の案内図を開いた。


「ただし、警備強化とは公表しません」


「理由は」


「皇女殿下の槍術競技を見に来た市民が増えたため、混雑整理を行う――と」


 アレクシアの眉が動く。


「また私を理由に使うのか」


「事実です」


「確かに増えているが」


「便利です」


「皇女を便利と言うな」


 ヴィクトルが横で笑った。


「国民的人気も、時には帳簿上の資産になるらしい」


「辺境伯まで調子に乗るな」


 展示館地下へ降りる者は、クラリス、アレクシア、ヴィクトル、ルシアン、セバス。


 そしてヨル。


 今回は最初から同行を許可されている。


 ただし、条件がある。


 瘴気を勝手に喰わない。


 単独で走らない。


 木箱へ前足をかけない。


「三つ目は必要ですか」


 ルシアンが尋ねた。


「前回、押収品の帳簿へ前足を載せました」


 ヨルは聞こえないふりをしている。


「かわいかったですけど」


「かわいさと証拠保全は別です」


 地下へ続く階段は、展示館の保管室奥にあった。


 鍵庫から押収した黒い鍵。


 記録上、過去半年で十二回使われている。


 階段の前には、帝国商務庁の古い封鎖札が貼られていた。


『老朽化のため立入禁止』


 アレクシアが札を見る。


「この展示館は、三年前に全面改修した」


「老朽化とは早いですね」


「虚偽だ」


「その可能性が高いです」


「もう断定してよいだろう!」


「地下を確認してから」


 アレクシアは深く息を吐いた。


 黒い鍵を差し込む。


 錠が開いた。


「開錠時刻を」


 クラリスが言う。


「今か」


「今です」


 ルシアンが懐中時計を見る。


「午前十時十二分」


「開錠者、アレクシア・フォン・グランツ皇女殿下。立会人――」


「全員だ」


「セバス」


「記録済みでございます」


 扉を開けると、冷たい空気が上がってきた。


 土の匂い。


 古い木。


 薬草。


 そして、ごく薄い瘴気。


 ヨルの耳が立つ。


「少しだけですよ」


 クラリスが言う。


 ヨルは、まだ何もしていない。


 だが先に注意され、不満そうに鼻を鳴らした。


 地下保管区は、想像より広かった。


 長い石造りの廊下。


 両側に保管室。


 扉には番号札がある。


 第一保管室。


 第二保管室。


 第三保管室。


 その先。


 番号のない扉が一つ。


「図面では」


 ルシアンが展示館図面を確認する。


「第三保管室で終わっています」


「また、図面にない部屋か」


 ヴィクトルが言う。


「隠す者は、余白を好むようです」


 クラリスは扉の表面を見た。


 鍵穴はない。


 代わりに、中央に小さな窪みがある。


 黒い鍵の頭部と、同じ形。


「鍵そのものを、印章として使うのでしょう」


 アレクシアが黒い鍵を窪みへ当てた。


 低い魔力音。


 石壁に細い線が走る。


 扉が横へ開いた。


「今度は壊していません」


 皇女が言う。


「記録します」


「褒めろ」


「正常に開錠しました」


「それは報告だ!」


 扉の向こうには、木箱が並んでいた。


 大小、合わせて二十七箱。


 どれにも正式な荷札がない。


 あるのは、記号だけ。


 庭。


 森。


 塔。


 門。


 そして、半分の黒い太陽。


「黒陽宮の保管庫か」


 ヴィクトルが剣へ手をかける。


「誰も触れないでください」


 クラリスは入口で全員を止めた。


「まず、現状を記録します」


 セバスが保管室全体を描き始める。


 箱の位置。


 向き。


 積み方。


 床の足跡。


 埃の有無。


「お嬢様」


「何かしら」


「床に、最近の靴跡が三種類ございます」


 一つは、大きな軍靴。


 一つは、細い革靴。


 一つは、踵の低い作業靴。


「人数は」


「少なくとも三名」


「出入りの時期は」


「一週間以内でしょう」


 アレクシアの顔が険しくなる。


「親善祭の準備期間と重なるな」


 クラリスは、一番手前の木箱を見る。


 王国産の白樺材。


 釘の頭が、王国の職人がよく使う平型だった。


 側面には、削られた跡。


 何かの焼印を消している。


「こちらが、王国から運び込まれた箱です」


「分かるのか」


「木材と釘が王国式です」


 箱の底には、わずかに緑色の塗料が残っている。


 王宮西庭園で使用される備品箱の色。


 クラリスは手袋を替えた。


「開けます」


「私が」


 アレクシアが前へ出る。


「皇女殿下は、箱を開ける際に蓋まで割る可能性があります」


「割らん!」


「では、釘を順番に」


「分かっている」


 アレクシアは、思ったより丁寧に釘を抜いた。


 力は強い。


 だが、力を制御できないわけではない。


 最後の釘が外れる。


 蓋を持ち上げる。


 中にあったのは、土だった。


 黒い土。


 乾いているのに、湿った匂いがする。


「薬草は」


 ルシアンが尋ねる。


「見当たりません」


 クラリスは土の表面を見る。


 細い根が、何本も残っている。


 黒陽草。


 あるいは、王国で瘴気浄化草と呼ばれていたもの。


 ヨルが低く唸った。


「喰わないでください」


 ヨルは箱の中を見つめたまま動かない。


 ルシアンが魔術灯を近づける。


 土の中に、銀色の粉が混ざっていた。


「魔力触媒です」


「土と一緒に?」


「黒陽草の根へ、特定の魔力を覚えさせるためだと思います」


「覚えさせる」


 アレクシアが聞き返す。


「植物に?」


「黒陽草は魔力を吸います。育てた場所の魔力導線を、根に残すことがある」


 クラリスは、王宮西庭園の旧温室を思い出した。


 誰も使っていないのに。


 毎年、少額の修繕費が計上されていた。


 黒陽草を育てていたなら。


 あの温室は、王宮の魔力を吸い続けていたことになる。


「この土は、王宮の魔力を記録している」


 クラリスが言った。


「それを帝国へ運び、何に使う」


 ヴィクトルが尋ねる。


 ルシアンは、箱の中から一本の根を慎重に持ち上げた。


 銀杖を近づける。


 青白い魔法陣の中に、別の紋様が浮かび上がる。


 王家の紋章。


「王宮の防御結界です」


 ルシアンの声が震えた。


「この根、王宮結界の魔力を覚えています」


「つまり」


「結界を内側から再現できます」


 保管室の空気が冷えた。


 王国王宮の防御結界。


 門を閉じる術。


 侵入者を弾く術。


 王族を守る術。


 それを外部で再現できるなら。


「破る方法も調べられる」


 アレクシアが言った。


「はい」


「王宮を攻めるためか」


「それだけではありません」


 クラリスは別の木箱を見た。


 帝国産の黒樫材。


 側面の紋章は削られているが、金色の塗料が少し残っている。


 皇女府の備品箱と同じ色。


「こちらは帝国側です」


 二つ目の箱を開く。


 中には、赤茶色の土。


 深紅の細い根。


 ルシアンが魔力を調べる。


 今度、浮かび上がったのは双頭鷲。


 帝国皇城の防御結界。


「両国の結界を」


 ヴィクトルが言う。


「同じ場所で調べていたのか」


「はい」


 クラリスは二つの箱を並べた。


 王国王宮。


 帝国皇城。


 どちらの防御結界も、黒陽宮は根から記録している。


「どちらかを攻めるためではありません」


「では何のためだ」


 アレクシアが尋ねる。


「両方を同時に閉じるため」


 クラリスは答えた。


 王宮の結界が暴走し、王族や文官が中へ閉じ込められる。


 帝国皇城でも同じことが起きる。


 外から攻める必要はない。


 門を内側から閉じる。


 指揮系統を止める。


 通信を切る。


 その間に。


 両国へ偽の命令を出す。


「戦争を始める」


 アレクシアの声が低くなる。


「王国では、帝国が王宮を攻撃したと」


 ルシアンが言う。


「帝国では、王国が皇城へ術式を仕掛けたと」


「両方の証拠が残る」


 クラリスは二つの根を見る。


 王国産の土。


 帝国産の土。


 それぞれの結界を覚えた植物。


 疑うには、十分な材料。


 誤解させるには、十分すぎる証拠。


「黒陽宮は、偽造印章だけではなく」


 クラリスは言った。


「偽造された戦争を作ろうとしています」


 アレクシアの拳が震える。


 だが、箱は壊さない。


 土にも触れない。


 怒りを止めている。


「全部押収する」


「はい」


「ただし」


「何だ」


「一度に運び出すと、黒陽宮が気づきます」


「また囮にするのか」


「保管室はそのままに見せます」


 木箱の中身を、無害な土へ入れ替える。


 根は封印箱へ。


 箱の位置も、釘の向きも戻す。


 出入りした者が見ても、すぐには分からないようにする。


「そして、次にここへ来る者を確認します」


「待ち伏せか」


 ヴィクトルが言った。


「はい」


「それなら俺の仕事だ」


「兵を置けば気づかれます」


「置かない」


「では」


「人の動きを変えずに、逃げ道だけ塞ぐ」


 ヴィクトルは保管室の図面を見る。


 その横顔は、辺境で兵を動かしていた時と同じだった。


「俺も学習している」


「頼もしいです」


 ヴィクトルが一瞬、クラリスを見る。


「今のは褒めたのか」


「はい」


「皇女殿下より先に褒められたな」


「辺境伯」


 アレクシアの声が低くなる。


「張り合う場所ではありません」


 ルシアンは、さらに奥の箱を調べていた。


「クラリス様」


「何でしょう」


「この箱だけ、土が入っていません」


 最奥。


 小さな木箱。


 外側には、王国でも帝国でもない紋章。


 円の中に、三本の線。


 セバスの表情が変わった。


「ご存じですか」


 クラリスが尋ねる。


「《夜帳》の旧保管印でございます」


 王国暗部。


 証拠を消し。


 人を消し。


 記録を帳消しにしてきた組織。


「なぜ、王国暗部の箱が帝国に」


 アレクシアが言う。


 セバスは答えなかった。


 箱を見たまま。


 過去の何かを探している。


「開けても?」


 クラリスが尋ねる。


「……はい」


 セバス自身が、箱を開けた。


 中には、黒い帳面が一冊。


 そして、古い銀の懐中時計。


 時計の蓋には、《夜帳》の紋章。


 セバスが手を伸ばす。


 だが、触れる直前で止めた。


「あなたのものですか」


「いいえ」


 声が、少しだけ低い。


「かつての上官のものでございます」


「お名前は」


「グレゴール・ヴァイス」


 セバスは、初めてその名を口にした。


「私に、証拠を消す方法を教えた男です」


 黒い帳面の表紙を開く。


 最初の頁。


 王国語。


 帝国語。


 二つの文字で書かれている。


『黒陽宮共同設立記録』


 その下。


 設立関係者。


 王国暗部《夜帳》。


 帝国商務庁対外流通監査室。


 国境軍需商会連合。


 薬草研究院。


 日付は、二十五年前。


 ローゼン商会の不正よりも。


 クラリスの王太子妃教育よりも。


 アレクシアが政治へ関わるよりも前。


「黒陽宮は」


 ルシアンが言葉を失う。


「最初から、両国の人間が作った」


「はい」


 クラリスは設立記録を見た。


 帝国の陰謀ではない。


 王国の陰謀でもない。


 争いが続くことで利益を得る者たちが。


 国境を越えて手を結んだ。


「セバス」


 クラリスが呼ぶ。


「グレゴール・ヴァイスという方は、今どちらに」


「死亡しております」


「確認は」


 セバスが、わずかに目を伏せた。


「私が、この手で」


 地下保管室が静まった。


 誰もすぐには言葉を出さなかった。


 セバスは黒い帳面を見つめる。


「少なくとも」


 ゆっくり続ける。


「死亡したと、思っておりました」


 その言葉を待っていたかのように。


 銀の懐中時計が動き出した。


 止まっていたはずの針が。


 一秒。


 もう一秒。


 時を刻む。


 裏蓋の内側で、黒い魔術印が光った。


 ルシアンが銀杖を構える。


「通信術式です!」


 時計から。


 老人の声が流れた。


『久しいな、セバス』


 セバスの顔から、完全に微笑みが消えた。


『帳消しにしたはずの男が』


『まだ帳簿を守っているとは』


 短い笑い声。


『悪女を連れて来い』


『今度こそ、最後の頁を閉じよう』


 通信が切れた。


 時計の針も止まる。


 アレクシアが長槍を握る。


「死んだ男ではなかったのか」


「確かに、私が止めを刺しました」


「では、どういうことだ」


 セバスは、黒い帳面へ手を置いた。


「確認が必要でございます」


 クラリスは、その言葉を聞いた。


 いつも自分が使っている言葉。


 セバスの過去にも。


 まだ確認されていない頁がある。


 名前のない木箱には、出所がある。


 土にも。


 根にも。


 帳簿にも。


 そして。


 人間の過去にも。


 消したはずの記録は。


 消した者のもとへ、いつか戻ってくる。


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