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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第三章 悪女令嬢は、帝国の帳簿を読む
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第28話 帝国皇女様、その帳簿はあなたを犯人にします


 帳簿を読む場所には、窓が少ない方がいい。


 外から覗かれにくい。


 紙が風で飛ばない。


 何より、逃げ道を数えやすい。


 帝国中央競技場の地下記録室には、窓が一つもなかった。


 石壁。


 鉄扉。


 天井近くに、小さな通気口が二つ。


 出入口には帝国親衛隊が四名。


 室内にはアレクシア皇女、クラリス、ヴィクトル、ルシアン、セバス。


 そして、机の下にヨル。


 競技場で取り戻した黒い帳簿は、中央の机に置かれていた。


「開けるぞ」


 アレクシアが言った。


「その前に、押収記録を」


「またか」


「またです」


 クラリスは淡々と確認する。


「押収時刻」


「午前十一時四十三分」


「押収場所」


「中央競技場、西通路」


「押収者」


 親衛隊長が答える。


「帝国第一親衛隊、第二分隊。ただし対象者を制圧したのは、こちらのセバス殿です」


 視線がセバスへ集まった。


 セバスは穏やかに一礼する。


「通路で転びそうな方を、少々お支えしただけでございます」


「短刀を持った男が、肩から床へ一回転していたが」


 アレクシアが言う。


「勢いのある方でございました」


「お前の執事は、いつもああなのか」


「現在、確認中です」


 クラリスが答えた。


 セバスは紅茶を淹れ始めた。


 地下記録室にもかかわらず、茶器一式を持ち込んでいる。


 誰が許可したのかは分からない。


 おそらく、許可を求めていない。


「封印状態」


 クラリスが続ける。


「競技場で確認後、帝国親衛隊の封蝋を使用。記録室搬入まで開封なし」


「立会人は私だ」


 アレクシアが答えた。


「皇女殿下ご本人が?」


「問題があるか」


「皇女殿下が被疑者でなければ」


 空気が一瞬、止まった。


 親衛隊長が息を呑む。


 ルシアンは頭を抱えた。


 ヴィクトルだけが、少し笑っている。


 アレクシアは、ゆっくりクラリスを見た。


「私を疑っているのか」


「疑うことと、確認することは別です」


「二度目だな、その言葉」


「事実は何度でも同じです」


 黄金の瞳と紫の瞳がぶつかる。


 やがてアレクシアが鼻で笑った。


「よい。私が関係者なら、私も記録しろ」


「すでに記録しています」


「本当に面倒な女だな」


「よく言われます」


 押収記録への署名が終わる。


 ようやく、黒い帳簿が開かれた。


 最初の頁には、品目も金額もなかった。


 黒い太陽を半分だけ描いた紋章。


 その下に、帝国語で一文。


『陽の当たる場所ほど、影は深い』


「趣味が悪い」


 アレクシアが言った。


「同感です」


 クラリスは頁をめくった。


 記録は、通常の商業帳簿に見えた。


 競技場修繕費。


 魔術演武用魔石。


 親善祭警備費。


 外国使節接遇費。


 文化展示館装飾費。


 一見すれば、親善祭の運営帳簿である。


 だが、クラリスの指が止まる。


「競技場修繕費が、三度計上されています」


「別々の工事ではないのか」


 アレクシアが尋ねる。


「名目は別です」


 クラリスは三つの記録を並べた。


 観客席基礎補強。


 地下排水路修繕。


 魔力導管交換。


「発注先は三社。ですが、受取人の署名に同じ癖があります」


「癖?」


「最後の払いが、すべて左へ流れています」


 アレクシアが紙を覗き込む。


「字が似ているというだけで同一人物とは言えん」


「はい。ですので、紙も見ます」


 クラリスは帳簿を光へ傾けた。


 三つの請求書。


 透かしは違う。


 だが、紙の端に混じる青い繊維が同じだった。


「帝都南部の製紙工房で使われる混合紙です」


 セバスが紅茶を置きながら言った。


「なぜ分かる」


 アレクシアが聞く。


「昔、少々、紙を見分ける仕事をしておりました」


「どんな仕事だ」


「長くなります」


「その返答も二度目だぞ」


「昔話とは、繰り返すほど味が出るものでございます」


 クラリスは請求書をまとめた。


「三社は、実質的に同じ者が管理している可能性があります」


「競技場の工事費を抜いていたのか」


「それだけではありません」


 ルシアンが、魔力導管交換の明細を見ていた。


「この部品番号、存在しません」


「分かるのですか」


「帝国式魔力導管には規格があります。でも、この番号は古い禁術研究で使われる分類です」


 ルシアンは銀杖を帳簿の上へかざした。


 薄い青の魔法陣が広がる。


 紙の上に、消されていた線が浮かび上がった。


 競技場の平面図。


 その地下を走る、黒い導線。


 中央演武場。


 魔術競技場。


 観客席。


 文化展示館。


 すべての導線が、地下の一か所へ集まっている。


「魔力を集める術式です」


 ルシアンの顔色が変わった。


「親善祭で使用される魔術を、少しずつ地下へ流しています」


 アレクシアが立ち上がる。


「競技を中止する」


「お待ちください」


 クラリスが止めた。


「待てるか!」


 皇女の拳が机を打った。


 茶が少し揺れた。


 セバスが無言で茶杯を安全な位置へずらす。


「数万の民がいる! 術式が何を起こすか分からんのだぞ!」


「だからこそ、今すぐ中止を公表してはいけません」


「理由を言え」


「敵が逃げます」


 クラリスは地下図を指す。


「帳簿を奪おうとした者がいた。つまり、黒陽宮はこの帳簿が戻ったことを知っています」


「だから急いで止める」


「公表すれば、相手はこちらが術式に気づいたと理解します。導線を別の方法で作動させるか、証拠を消すでしょう」


「民を囮にするつもりか」


 アレクシアの声が低くなる。


 親衛隊員たちが緊張する。


 ルシアンも、クラリスを見る。


「いいえ」


 クラリスは答えた。


「民を避難させながら、祭典を続けているように見せます」


「どうやって」


「競技日程を変更します」


 クラリスは親善祭の予定表を開いた。


「午後は魔術団体演武。本来なら中央競技場に最も魔力が集まる時間です」


「それを止めるのだな」


「会場を変更します」


「どこへ」


「屋外第二競技場。理由は、午前の槍術競技で中央競技場の床面に異常が見つかったため」


 アレクシアの眉が動いた。


「異常など」


「先ほどできました」


「何?」


「皇女殿下が槍の石突きを何度か強く打ちつけました」


「競技中だぞ」


「床面検査が必要です」


「言いがかりではないか!」


「念のためです」


 ヴィクトルが堪えきれずに笑った。


「皇女殿下の槍で会場変更か。誰も不自然には思わん」


「笑うな、辺境伯!」


「実際、良い理由だ」


 クラリスは続ける。


「観客には、文化展示館の特別公開を追加。競技場から人を分散します。中央競技場には最低限の係員だけを残します」


「術式はどうする」


 ルシアンが答えた。


「僕が流入する魔力を偽装します」


「できるのか」


「少量なら」


「危険です」


 クラリスが言う。


「分かっています」


 ルシアンはまっすぐ彼女を見る。


「でも、僕が一番適任です」


 姉様、と言いかけたのだろう。


 公務中だから飲み込んだ顔だった。


 クラリスは少し考え、頷く。


「必ず補助魔術師を二名。魔力記録係を一名。異常があれば即座に停止してください」


「はい」


「無理は」


「しません」


「本当に?」


「……記録上、無理ではない範囲で」


「言い方が私に似てきましたね」


「嬉しいです」


 そこは喜ぶところなのだろうか。


 ヴィクトルが地下図を見た。


「地下の中心へは、誰が行く」


「俺が兵を連れる」


 アレクシアが即答する。


「皇女殿下ご自身が?」


「帝国の地下だ。帝国の皇女が行く」


「なら、俺も行く」


 ヴィクトルが言った。


「なぜだ」


「兵を動かすのは慣れている。それに、帝国の皇女を一人で行かせたら、地下道ごと壊しそうだ」


「壊すべきものなら壊す!」


「証拠ごとか」


 アレクシアが黙る。


 クラリスは静かに言った。


「証拠を保全してください」


「分かっている!」


 少しずつ、皇女が学んでいる。


 少し乱暴だが。


「私は帳簿の流れから、地下施設の使用者を確認します」


「お前も来るつもりか」


「帳簿の記録と現場を照合します」


「危険だぞ」


「存じています」


 アレクシアとヴィクトルが、同時に息を吐いた。


 その反応まで似ている。


 セバスが言う。


「では、私はお嬢様の護衛を」


「執事が地下施設へ?」


 アレクシアが尋ねる。


「紅茶をお出しできる場所であれば、どちらへでも」


「地下で茶を出すつもりか」


「ご希望でしたら」


 アレクシアはセバスをしばらく見た。


「お前も面倒だな」


「主人に似たのでございましょう」


「似ていません」


 クラリスが即座に否定した。


 机の下で、ヨルが小さく鳴く。


 話がまとまったと思ったのか、立ち上がって尻尾を振った。


「ヨルは残ります」


 尻尾が止まる。


「なぜです」


 ルシアンが尋ねる。


「前足の治療は終わっていますが、地下に瘴気がある可能性があります。先日の戦闘で吸収量が限界を超えました」


 ヨルは不満そうに、帳簿へ顎を載せた。


 その時。


 小さな鼻が、ぴくりと動いた。


 ヨルは帳簿の端を嗅ぎ始めた。


「ヨル?」


 一頁。


 二頁。


 三頁。


 頁をめくるたび、鼻を近づける。


 そして、四十七頁で止まった。


 低く唸る。


 クラリスはその頁を開いた。


 記載されているのは、皇女府特別支出。


 地下施設安全点検費。


 承認印には、アレクシア皇女の紋章。


 アレクシアの顔が変わる。


「私の印だ」


「承認なさいましたか」


「していない」


「印章管理は?」


「皇女府の金庫。私と侍従長しか開けられん」


「では、どちらかが使用した」


 アレクシアの目に怒りが浮かぶ。


「侍従長を疑うのか」


「疑うことと、確認することは別です」


「三度目だぞ!」


「事実は何度でも同じです」


 だが、ヨルは承認印ではなく、その横の小さな染みを嗅いでいた。


 黒紫色。


 乾いている。


 クラリスは手袋をつけ、紙を光へ傾けた。


「インクではありません」


 ルシアンが魔力を近づける。


 染みが、かすかに光った。


「瘴気です」


 ヨルが唸る。


 先日の薬草畑と同じ反応。


「この頁を書いた者は、瘴気に触れていた可能性があります」


 クラリスは皇女府特別支出の合計を確認した。


 金貨四百八十枚。


 地下施設の修繕費としては高い。


 だが、その内訳には見覚えのある品名が並んでいた。


 魔力導管。


 蓄積魔石。


 浄化香。


 そして。


 黒陽草。


「黒陽草?」


 アレクシアが読む。


「瘴気浄化草の、帝国での原名でしょうか」


 クラリスが言う。


「いいえ」


 ルシアンが首を振った。


「黒陽草は、帝国でも栽培を禁じられています」


「理由は」


「魔力を吸って、周囲へ別の形で放出するからです」


 薬草畑で起きたことと同じ。


 名前だけを変え。


 国境を越え。


 今度は、帝国中央競技場の地下へ持ち込まれた。


 アレクシアの拳が震える。


「私の印を使い」


「私の民が集まる場所で」


「禁じられた草を育てたのか」


 今にも机を割りそうだった。


「皇女殿下」


 クラリスが呼ぶ。


「何だ」


「机は証拠ではありませんが、壊さない方がよろしいかと」


「分かっている!」


 アレクシアは拳を開いた。


 深く息を吐く。


 力を持つ人間が、力を止めた。


 小さなことだが、クラリスは記録してもよいと思った。


「皇女殿下」


 クラリスは、押収帳簿を彼女の前へ置いた。


「この帳簿は、あなたの印を使っています」


「ああ」


「このまま公表されれば、地下術式を命じたのは皇女殿下ということになります」


 室内が静まる。


 アレクシアの目が、ゆっくり細くなった。


「私を犯人にするつもりか」


「その可能性があります」


「黒陽宮は、帝国の弱体化だけでなく」


 ヴィクトルが言った。


「次代の皇帝候補まで潰す気か」


 アレクシアは答えなかった。


 帝国国民から厚い信頼を得る第一皇女。


 彼女が親善祭で大量の魔力を集め、王国代表を巻き込み、市民を危険にさらした。


 その記録が残れば。


 帝国は揺れる。


 王国との友好も壊れる。


 戦争の理由にすらなり得る。


 クラリスは、帳簿の頁を閉じた。


「皇女殿下」


「何だ」


「この帳簿は、あなたの敵です」


 アレクシアは黒い表紙を見た。


「ならば、正面から潰す」


「潰してはいけません」


「言葉の話だ!」


「それなら結構です」


「お前は本当に……!」


 怒鳴りかけた皇女が止まる。


 そして笑った。


 怒りを残したまま。


 それでも、少し楽しそうに。


「いいだろう、クラリス」


 初めて、名前だけで呼んだ。


「私を犯人にしたいなら」


「その帳簿ごと、敵を引きずり出す」


 クラリスも彼女を見る。


「証拠を残してお願いします」


「分かっている!」


 その時、鉄扉の向こうで足音がした。


 親衛隊員が一通の封書を持って入ってくる。


「クラリス・フォン・アルベルティーナ様へ、使者が」


「差出人は」


「記載がありません」


 白い封筒。


 封蝋なし。


 中には、小さな紙が一枚だけ。


『今夜、地下第七導管室へ。


帝国皇女の無実を証明したければ、一人で来い。


帳簿の足りない頁を渡す。』


 クラリスは、もう一度読み直した。


「罠だな」


 アレクシアが言う。


「はい」


「行くな」


「行きません」


 アレクシアが少し意外そうな顔をした。


「そうなのか」


「一人では」


 ヴィクトルが額へ手を当てる。


 ルシアンがため息をつく。


 セバスだけが、たいへん穏やかに微笑んだ。


「夜のお出かけでございますな」


「護衛をお願いします」


「喜んで」


 アレクシアが長槍を手に取る。


「私も行く」


「一人で来いと書かれています」


「私は一人ではない。帝国皇女だ」


「人数の問題です」


「細かいな!」


「重要です」


 黒陽宮は、クラリスを呼んだ。


 帳簿の足りない頁と引き換えに。


 だが、悪女令嬢は知っている。


 条件を出された時点で、交渉は始まっている。


 そして。


 相手が「一人で来い」と書いた時ほど。


 一人で行く理由はない。


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