第2話 王太子殿下、署名欄はこちらです
銀のワゴンが、大広間の中央に止まった。
白百合と薔薇に囲まれた夜会の床に、分厚い書類束が積まれている。
それは、あまりにも場違いだった。
宝石。
絹。
音楽。
香水。
称賛。
社交辞令。
そのすべてで飾られた空間に、突然、帳簿と記録が運び込まれたのだ。
美しい嘘の上に、現実がどさりと置かれた。
クラリスは、王太子レオンハルト殿下の前へ一歩進んだ。
「殿下。ご署名欄はこちらでございます」
差し出された請求書を前に、レオンハルトは動けなかった。
彼の顔には、怒りより先に困惑が浮かんでいる。
それも無理はない。
彼は、この夜を悲劇の舞台にするつもりだったのだ。
冷酷な婚約者を断罪し、健気な聖女候補リリアを守り、真実の愛を選んだ王太子として、皆の同情と喝采を受ける。
おそらく、そういう筋書きだった。
けれど舞台の中央に置かれたのは、涙でも剣でもなかった。
請求書だった。
「ふざけるな……」
レオンハルトが低く言った。
「この場で、この私に、そのようなものを出すとは」
「この場だからこそ、でございます」
クラリスは静かに答えた。
「殿下はこの場で、私との婚約破棄を宣言なさいました。であれば、この場で精算の意思を確認するのが、最も公平かと」
「公平だと?」
「はい」
クラリスは、少しだけ首を傾けた。
「ご自身のご発言だけを大広間でなさり、その結果については後日密室で、というのは、あまり公平ではございません」
広間の奥で、誰かが息をのんだ。
貴族たちは、これまで王太子の言葉に乗るつもりでいた。
クラリスは冷たい。
リリアは可哀想。
王太子は勇気ある決断をした。
その空気に乗っていれば、夜会は分かりやすい物語になった。
だが今、クラリスは物語の床板を剥がし、その下に隠されていた帳簿を見せようとしている。
華やかな物語ほど、床下は汚れていることがある。
「お嬢様」
老執事セバスが、第一資料を開いた。
厚い紙の束。
それぞれの頁に、日付、場所、関係者、処理内容、証人、支出額が整然と記されている。
クラリスは、それを受け取った。
「第一資料。王太子殿下、十六歳から十七歳までの調整案件記録」
「やめろ!」
レオンハルトが叫んだ。
その声は、よく響いた。
だが、よく響く声と、正しい声は違う。
クラリスは頁をめくった。
「十六歳、春。隣国フローレンス王女殿下歓迎晩餐会にて、殿下は王女殿下のお名前を三度お間違えになりました」
「昔のことだ!」
「はい。昔のことでございます」
クラリスは頷いた。
「ですが、外交文書は残っております」
広間の空気が、かすかに揺れた。
隣国の大使が、扇の陰からこちらを見ている。
クラリスは続けた。
「当時、王女殿下はご不快の意を示され、翌日の狩猟会を欠席されました。これに対し、アルベルティーナ公爵家より謝罪の花と書簡を手配。加えて、王室楽団による私的演奏会を追加開催。費用は、公爵家が一時立替え」
「そんな細かいことを!」
「細かいことで済んだのは、処理した者がいたからです」
クラリスの声は、荒れなかった。
レオンハルトの方が、荒れていた。
それが、じわじわと場を変えていく。
リリアが王太子の袖を握った。
「殿下……」
か弱い声だった。
だがその声にも、先ほどまでの余裕はない。
「クラリス様、もうおやめください。殿下がお可哀想です」
クラリスは、リリアを見た。
「お可哀想」
「はい。こんな大勢の前で……」
「それは、私が大勢の前で婚約破棄を告げられたことについても、同じご意見でしょうか」
リリアの唇が止まった。
広間の端で、扇がまた一つ閉じる音がした。
クラリスは書類から目を離さない。
「第二件。十六歳、夏。侯爵家主催の狩猟会にて、殿下は使用馬を取り違えられました。結果、侯爵家所有の名馬が脚を痛め、三か月間療養。侯爵家より正式な抗議」
「それも私が悪いのか!」
「はい」
クラリスは即答した。
あまりに迷いがなかったので、広間のどこかで小さな空気の抜ける音がした。
笑いではない。
笑ってはいけないと分かっている者が、必死に飲み込んだ音だった。
「馬具の札には所有者名が記されておりました。殿下の従者も確認を促しております。それを『同じ栗毛だから構わない』と判断なさったのは、殿下です」
「そこまで記録しているのか……」
レオンハルトの声に、初めて恐れが混じった。
「婚約者でしたので」
クラリスは淡々と言った。
その一言は、先ほどよりも重く響いた。
婚約者。
それは、舞踏会で隣に立つ者ではない。
祝賀行事で微笑む飾りでもない。
王太子の未来を共に背負う者だ。
少なくとも、クラリスはそう教えられてきた。
幼い頃から、王太子妃教育を受けた。
国法。
礼法。
外交儀礼。
会計。
領地経営。
慈善事業。
災害対応。
医療基金。
孤児院支援。
諸侯の家系図。
隣国の宗教禁忌。
晩餐会で出してはならない魚の種類まで。
学んだ。
覚えた。
間違えなかった。
その結果、彼女は「可愛げがない」と言われた。
面白いものだ、とクラリスは思う。
間違えれば無能。
間違えなければ悪女。
ならば、せめて悪女らしく、正確でいよう。
「第三件。十六歳、秋。王宮舞踏会にて、殿下は西方諸侯の税負担について、『肥えた地方には少し痩せてもらえばよい』とご発言」
大広間の西側、地方貴族たちが一斉に顔色を変えた。
忘れていた者もいただろう。
忘れたふりをしていた者もいただろう。
だが、言われた側は忘れない。
「この発言を受け、西方三侯爵家が翌月の献上金を保留。アルベルティーナ公爵家が仲裁に入り、殿下名義で視察計画と灌漑支援案を提示。保留は解除されました」
「それは、父上の政策の一環で……」
「いいえ」
クラリスは頁をめくった。
「こちらに、当時の草案がございます。王家からの正式指示が出る前に、公爵家と会計院が共同で作成したものです。殿下は最終日に署名のみなさいました」
会計院の若手官僚ユリウスが、顔を伏せた。
伏せたが、その耳が赤い。
彼も知っている。
あの視察計画を作った夜のことを。
夜半過ぎ、王宮の小会議室で、クラリスは袖口にインクをつけながら言った。
「殿下のお言葉は取り消せません。ならば、お言葉の意味を後から整えるしかありません」
ユリウスは、その時まだ新人だった。
書類の山の前で途方に暮れていた彼に、クラリスは温かい茶を出した。
氷の悪女と呼ばれる令嬢は、なぜか下働きや若い文官の名前をよく覚えていた。
そのことを、ユリウスは誰にも言わなかった。
言えなかった。
今も、まだ。
「クラリス」
王妃エレノアの声が響いた。
大広間の空気が、また一段引き締まる。
王妃は、王族席からゆっくり立ち上がった。
銀糸の刺繍が施された深青のドレス。
品のある微笑み。
この国で最も優雅に圧をかける女性。
彼女は、クラリスをまっすぐ見ていた。
「その資料は、誰の許可を得て持ち出したのです」
レオンハルトの表情に、わずかな安堵が戻る。
母が出てきた。
そう思ったのだろう。
クラリスは王妃へ向き直り、礼をした。
「王妃陛下。こちらは王宮機密文書ではございません」
「婚約者であるあなたが、王太子の行動を私的に記録していたというのですか」
「はい」
ざわめきが広がった。
王妃の目が細くなる。
「それは、王家への不敬ではありませんか」
広間が静まった。
さすがだった。
王妃は、論点を変えるのが上手い。
王太子が何をしたか。
クラリスが何を処理したか。
その話から、クラリスが記録していたことの是非へ移す。
守るべきものを守るためなら、王妃はためらわない。
クラリスは、その強さを嫌いではなかった。
ただし、今夜は譲らない。
「不敬ではなく、引き継ぎでございます」
「引き継ぎ?」
「はい。私は殿下の婚約者として、将来王太子妃となる予定でした。殿下の公務上の傾向、過去の失言、各家との火種、支出の癖を把握することは、王宮運営上必要な業務でございます」
クラリスは、もう一枚の書類を取り出した。
「また、こちらに王妃陛下から十二年前に頂いた教育方針書がございます」
王妃の表情が、一瞬だけ止まった。
クラリスは読み上げた。
「『王太子妃となる者は、王太子殿下の隣に立つ飾りではなく、殿下が見落とした国の綻びを拾う者でなければならない』」
大広間が静まり返った。
王妃は黙った。
クラリスは、ゆっくり書類を閉じた。
「私は、そのお言葉に従いました」
誰も動かなかった。
王妃の言葉を、王妃自身の前に置く。
それは剣より鋭く、魔法より逃げ場がなかった。
レオンハルトは母を見た。
「母上……」
王妃は答えない。
クラリスは王妃を責めているわけではなかった。
ただ、置いたのだ。
過去の言葉を。
その言葉によって動いてきた自分の十年を。
そして、いま不要になった者として断罪されている現実を。
記録とは、時々、いちばん静かな叫びになる。
「クラリス様……」
リリアが震える声を出した。
「そんなふうに、正しいことばかり並べられたら、誰も何も言えなくなってしまいます」
クラリスはリリアを見た。
「正しいことを並べられると困る場では、たいてい誰かが不当に黙らされています」
「私は、そんなつもりじゃ……」
「リリア様」
クラリスは、初めて少しだけ声を柔らかくした。
「あなたの『そんなつもりではない』によって、予定を変更された者がいます。謝罪文を書いた者がいます。深夜まで馬車を走らせた者がいます。表に出ないところで、誰かが必ず帳尻を合わせています」
リリアの瞳が潤む。
「でも、私は殿下のお心を……」
「ええ」
クラリスは頷いた。
「殿下のお心を大切になさった。では、そのために乱れた他者の時間も、大切になさってください」
リリアは言葉を失った。
その涙は、まだ落ちない。
けれど今度は、誰もすぐに庇わなかった。
涙は美しい。
だが、何度も同じ場所で使えば、少しずつ効力を失う。
大広間の空気は、もう先ほどとは違っていた。
王太子の断罪を見に来た者たちは、気づき始めている。
これは、断罪される令嬢の話ではない。
断罪という名の茶番が、精算される話なのだ。
「セバス」
クラリスが呼ぶ。
「はい、お嬢様」
「第二資料を」
「かしこまりました」
老執事は、また別の束をワゴンから取り出した。
表紙には、こう記されていた。
『リリア・メルクール嬢関連支出および予定変更記録』
リリアの顔から、今度こそ血の気が引いた。
「わ、私の……?」
「はい」
クラリスは静かに言った。
「リリア様。あなたを責めるためではありません」
それは本心だった。
クラリスはリリアを憎んでいない。
憎むには、彼女はあまりにも幼い。
自分の涙が誰を動かし、誰を疲れさせ、誰の時間を奪っているのか、考えたことがないだけなのだろう。
ただし。
考えたことがない、は免罪符ではない。
「これは、あなたが王宮に来られてから発生した、周辺業務の記録です」
「そんな……私、何も……」
「何もしていない方の周りで、なぜか多くの人が動いております」
クラリスは頁を開いた。
「最初の項目から確認いたしましょう」
レオンハルトが前へ出た。
「やめろ、クラリス! リリアをこれ以上傷つけるな!」
「殿下」
クラリスは請求書を持ったまま、王太子を見た。
「では、署名なさいますか」
「なに?」
「殿下がこちらに署名され、婚約破棄に伴う違約金および関連費用を王太子個人の責任としてお支払いくださるなら、この場でリリア様関連の資料を読み上げる必要はございません」
大広間が、またざわめいた。
選択肢が示された。
リリアを守りたいなら、自分で支払う。
支払いたくないなら、資料が読まれる。
レオンハルトは請求書を見た。
その額を見た瞬間、顔色が変わる。
「こ、こんな金額……」
「十年分でございます」
「払えるわけがない!」
「では、読み上げます」
「待て!」
クラリスは待った。
優しいからではない。
手続きだからだ。
「殿下。お決めください」
「なぜ私が……」
「婚約を破棄されたのは殿下です」
「だが、君にも非がある!」
「であれば、その非を文書でご提示ください」
「だから、それは……」
「ございませんか」
同じところへ戻ってくる。
王太子は、ようやく気づいた。
勢いで始めた断罪式には、出口がない。
クラリスは、入り口に請求書を置いたのではない。
出口に置いたのだ。
逃げようとする者が、必ずそれを踏むように。
沈黙が続いた。
その時、低い声が大広間に響いた。
「クラリス」
公爵アルベルティーナだった。
クラリスの父。
王国でも屈指の大貴族。
彼はそれまで、会場の端で黙っていた。
怒りを抑えているのが、遠目にも分かった。
だが、娘が自分の案件として処理している限り、口を挟まない。
そういう父だった。
公爵はゆっくりと歩み出た。
大広間の空気が、一瞬で重くなる。
王太子ですら、無意識に背筋を伸ばした。
「父上」
クラリスは礼をした。
「ここは私の案件です」
「分かっている」
公爵は短く答えた。
そして、王太子を見た。
「殿下」
「ア、アルベルティーナ公……」
「我が娘との婚約を破棄なさること自体は、王家と公爵家の協議事項でございましょう。しかし、我が娘を悪女と呼び、公衆の面前で罪人のように扱うのであれば、話は別です」
公爵の声は荒れていない。
だが、床が低く鳴ったように感じた。
「証拠をお示しください」
レオンハルトは何も言えなかった。
公爵は続けた。
「証拠がないなら、謝罪を」
広間が静まり返る。
「謝罪がないなら、精算を」
クラリスは、少しだけ目を伏せた。
父らしいと思った。
短く、重く、逃げ道がない。
レオンハルトは王妃を見た。
リリアを見た。
周囲の貴族を見た。
誰も、すぐには助け舟を出さなかった。
先ほどまで味方だった空気が、いまは様子見に変わっている。
空気というものは、正義ではない。
勝ちそうな方へ流れるだけだ。
クラリスは、それをよく知っていた。
だから空気を信じない。
記録を信じる。
「殿下」
クラリスはもう一度、請求書を差し出した。
「署名欄はこちらです」
レオンハルトは、歯を食いしばった。
「……私は、認めない」
「承知いたしました」
クラリスは即座に請求書を引いた。
その動きがあまりに滑らかだったので、レオンハルトは逆に怯んだ。
「では、支払い意思なしとして記録いたします」
「なっ……」
「セバス」
「はい」
「証人欄を」
セバスは別紙を差し出した。
クラリスは羽根ペンを取る。
「この場にいらっしゃる皆様には、後ほど証人としてご署名をお願いする場合がございます。もちろん、強制ではございません」
彼女は広間を見渡した。
「ただし、本日の殿下のご発言を聞いていたかどうかだけは、確認させていただきます」
貴族たちの顔色が変わった。
巻き込まれたくない。
だが、聞いていないとは言えない。
この大広間で。
これほどはっきりと。
王太子が婚約破棄を宣言し、悪女と呼び、真実の愛を掲げた。
聞いていない者など、いない。
クラリスはペンを置いた。
「本日は、殿下にとっても、私にとっても、よい夜でございます」
「どこがだ!」
レオンハルトが叫ぶ。
クラリスは微笑んだ。
「十年分の誤解を、ようやく整理できますので」
その瞬間、広間の扉が開いた。
遅れて到着したのは、王国会計院長だった。
白髪の老官僚。
杖をつきながらも、その目は鋭い。
ユリウスが息をのむ。
「会計院長……」
会計院長は、広間の状況を一目見た。
花。
王太子。
泣きかけの聖女候補。
請求書。
ワゴンの書類束。
公爵。
そして、静かに立つクラリス。
老官僚は、深いため息をついた。
「間に合わなかったか」
その一言に、広間が揺れた。
クラリスは会計院長へ礼をした。
「お越しいただきありがとうございます」
「クラリス嬢」
会計院長は、苦い顔で言った。
「本当に、この場で開くつもりかね」
「はい」
「王宮の恥になる」
「すでになっております」
クラリスは答えた。
「違いは、それを花で隠すか、帳簿で確認するかだけでございます」
会計院長は、しばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「まったく。君は王太子妃になるには、少々正確すぎた」
「よく言われます」
「だが、会計院には向いている」
王太子の顔が歪んだ。
クラリスは、その言葉にだけ少し驚いたように瞬きした。
「光栄でございます」
会計院長は王太子へ向き直る。
「殿下」
「な、なんだ」
「婚約破棄に伴う精算について、会計院は中立の立場で確認いたします」
「なぜ会計院が!」
「王太子殿下の公務費、公爵家立替金、慈善基金、外交調整費が関係しているためです」
「これは私的な問題だ!」
「殿下」
会計院長の声が低くなった。
「私的な問題として処理したいのであれば、公的な大広間で宣言なさるべきではありませんでした」
沈黙。
今度こそ、王太子は何も言えなかった。
クラリスは、第一資料を閉じた。
そして、請求書をセバスに預ける。
「では、本日はここまでにいたしましょう」
広間がざわめく。
レオンハルトもリリアも、同時に顔を上げた。
「ここまで……?」
「はい」
クラリスは微笑んだ。
「一度にすべてを確認しては、皆様もお疲れになるでしょう。断罪式には、休憩も必要です」
その言葉に、何人かの貴族が露骨に青ざめた。
続きがある。
この悪女は、まだ資料をすべて開いていない。
クラリスは王太子へ向き直った。
「殿下。次回までに、私の罪状を文書でご用意ください」
「次回だと……?」
「はい」
クラリスは、銀のワゴンに視線を向けた。
まだ未開封の書類束が、そこに積まれている。
「こちらも、第二資料以降を整理しておきます」
リリアが小さく震えた。
クラリスは、彼女に言った。
「リリア様も、ご安心ください」
「え……?」
「あなたの件も、感情ではなく記録で確認いたします」
それは少しも安心できない言葉だった。
リリアの顔が、泣く前の少女のものから、逃げ道を探す人間のものへ変わる。
クラリスはそれを見た。
責めはしない。
ただ、見逃しもしない。
王宮の花は、まだ甘く香っている。
だが、その香りの奥で、帳簿の紙が乾いた音を立てていた。
クラリスは最後に、会場全体へ礼をした。
「皆様。本日は、私の婚約破棄にお立ち会いいただき、誠にありがとうございました」
あまりに丁寧な礼だった。
だからこそ、誰も笑えなかった。
「次回は、聖女候補リリア・メルクール様関連支出、および王宮慈善基金の使途について確認いたします」
リリアの肩が跳ねた。
王妃の扇が、ぴたりと止まった。
会計院長が、目を閉じる。
王太子レオンハルトだけが、まだ理解していない顔をしていた。
クラリスは思った。
真実の愛とは、きっと美しいものなのだろう。
ただし、美しいものほど、後片付けを誰かに任せてはいけない。
彼女は、セバスに小さく頷いた。
銀のワゴンが、再び動き出す。
車輪の音は静かだった。
けれど今夜、その音を聞いた者たちは、しばらく忘れられないだろう。
それは断罪式の終わりではなかった。
精算の始まりだった。




