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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第二章 悪女令嬢は、領地を再建する
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第24話 悪女令嬢は、戦いのあとも帳簿を閉じない

 戦いが終わると、人は剣を納める。


 だが、帳簿は閉じない。


 むしろ、そこから始まる。


 グランベル領の薬草畑には、朝霧が戻っていた。


 昨日まで紫黒く染まっていた畑は、まだ傷跡を残しながらも、静けさを取り戻している。


 兵たちは折れた柵を直し、村人たちは水路の泥をさらう。


 泣いていた子どもが笑い、避難所だった教会からパンの香りが漂ってくる。


 戦いは終わった。


 暮らしは、もう始まっている。


 クラリスは、その様子を見ながら帳面を開いた。


「まずは被害の確認です」


 ヴィクトルが苦笑する。


「休まないのか」


「休みます」


 クラリスは真顔で答えた。


「そのためにも、終わらせます」


「……君らしいな」


 机には紙が並ぶ。


 負傷者、二十七名。


 重傷者、三名。


 死者、零。


 倒壊した納屋、一棟。


 水路損傷、四か所。


 薬草畑、全損。


 クラリスは一枚ずつ確認し、最後に小さく頷いた。


「死者がいません」


 その一言に、部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。


 ヴィクトルは腕を組み、窓の外を見た。


「兵が頑張った」


「はい」


「村人も」


「はい」


「君も」


「皆さんのおかげです」


 褒められても、受け取りすぎない。


 それがクラリスだった。


 その時、扉が開く。


「失礼いたします」


 セバスだった。


 両手に紅茶を載せた銀盆。


 包帯はもう替えてある。


「傷は」


 クラリスが聞く。


「問題ございません」


「本当に?」


「少々筋肉痛でございます」


「巨大魔物に殴られて筋肉痛だけという人を、私は知りません」


 セバスは穏やかに笑った。


「お嬢様は、これから知ることになります」


 ヴィクトルが吹き出した。


「その話は長そうだ」


「ええ、とても」


 ルシアンも部屋へ入ってくる。


 目の下にはうっすら隈があった。


 昨夜はほとんど眠っていないのだろう。


 机には黒い結晶の欠片。


 ルシアンは白い手袋をつけて、それを慎重に持ち上げた。


「やはり……」


「何か分かりましたか」


「帝国製ではあります」


「ですが」


「正規の術式ではありません」


 クラリスはメモを取る。


 帝国製。


 非正規。


 禁術。


「この紋章、《黒陽宮》は?」


 ルシアンは少しだけ迷った。


「王宮図書館でも閲覧制限があります」


「つまり」


「帝国でも触れてはいけない存在です」


 ヴィクトルが低く言う。


「秘密結社か」


「そこまでは」


「分かりません」


「ですが」


 ルシアンは結晶を見つめる。


「皇女殿下なら、ご存じかもしれません」


 初めて、その名前を口にした。


「アレクシア皇女」


 クラリスは、その名を帳面へ書き留める。


 人名。


 肩書。


 関連組織。


 情報は整理して初めて武器になる。


「どんな方ですか」


 ルシアンは少し笑った。


「怖い人です」


「怖い?」


「はい」


「兄上よりずっと」


 ヴィクトルが笑う。


「それは相当だな」


「でも」


 ルシアンは首を振った。


「弱い人を踏みつける人ではありません」


「強い人です」


「だからこそ」


「卑怯を嫌います」


 クラリスは興味深そうに聞いていた。


 帝国にも、そんな人物がいる。


 少し安心した。


 敵しかいない国なら、交渉は成立しない。


 正義を持つ相手がいるなら、話はできる。


 その頃。


 帝国皇城――。


 長い廊下を、一人の女性が歩いていた。


 漆黒の軍装。


 長い黒髪。


 黄金の瞳。


 腰には魔術剣。


 背には儀礼用の長杖。


 武も。


 魔術も。


 学問も。


 帝国最高峰。


 皇女アレクシア・フォン・グランツ。


 彼女は執務室へ入るなり、一通の報告書を机へ置いた。


「説明を」


 商務官たちが頭を下げる。


「グランベル領での実験は」


「失敗しました」


「なぜ」


「現地に」


 商務官が震える声で答える。


「アルベルティーナ公爵令嬢が」


「いたため」


 沈黙。


 アレクシアは報告書を一枚ずつ読む。


 薬草。


 瘴気。


 ローゼン商会。


 黒陽宮。


 最後の一文で手が止まった。


『黒陽宮は、計画継続を要求』


 その瞬間だった。


 バンッ!


 拳が机へ落ちた。


 分厚い机に、ひびが入る。


「誰の許可で」


 部屋が静まり返る。


「帝国の名を使った」


「誰の許可で」


「弱者を巻き込んだ」


「誰の許可で」


「こんな卑怯な真似をした」


 誰も答えられない。


 アレクシアは静かに立ち上がる。


「私は」


 黄金の瞳が細くなる。


「正面から勝つ」


「それが帝国だ」


「裏から国を腐らせるなど」


「帝国軍人の戦いではない」


 彼女は窓の外を見る。


 遠く西。


 王国の方角。


「クラリス・フォン・アルベルティーナ」


 その名を初めて口にした。


「あなたが報告書の悪女ですか」


 少しだけ笑う。


「面白い」


「ならば、直接会いましょう」


 その頃。


 王国では、一通の親書が王宮へ届いていた。


 差出人。


 グランベル辺境伯。


 添付書類。


 クラリス・フォン・アルベルティーナ作成。


 件名。


『ローゼン商会および帝国資金流入に関する中間報告』


 その封筒は、やがて王妃の机へ置かれる。


 そして。


 帝国皇女の机にも、ほぼ同じ内容の報告書が届こうとしていた。


 まだ二人は会わない。


 だが。


 同じ一冊の帳簿を、それぞれ別の国で開こうとしていた。



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