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悪女令嬢は、断罪式のあとで領収書を切る  作者: 海空
第二章 悪女令嬢は、領地を再建する
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第23話 黒曜は、瘴気を喰らう

 戦場が静かになる時ほど、恐ろしい。


 兵も。


 魔物も。


 一瞬だけ動きを止めていた。


 巨大魔物の胸には、黒い紋章。


 《黒陽宮》。


 ルシアンの顔色が変わった理由を、誰もまだ理解していない。


「殿下。」


 クラリスが静かに言う。


「説明は後です。」


「……はい。」


「今は。」


 黒檀の杖を握り直す。


「この魔物を止めます。」


 巨大魔物が咆哮した。


 畑全体が震える。


 地中から紫色の根が何十本も飛び出した。


 兵士へ。


 村へ。


 水路へ。


 無差別に伸びる。


「散開!」


 ヴィクトルの声。


 兵たちが左右へ分かれる。


 槍で根を払う。


 しかし。


 斬った根はすぐ再生した。


「再生速度が早い!」


 ルシアンが叫ぶ。


「術式が核へ魔力を送り続けています!」


「核は。」


「胸ではありません!」


 クラリスは巨大魔物を見た。


 胸ではない。


 胸は囮。


 帳簿で言えば。


 合計欄だけ見せて。


 本当の数字は別紙へ隠すようなもの。


「足元です。」


 クラリスが言った。


「根の集まる場所。」


 ヴィクトルが笑う。


「やっぱり帳簿の読み方と同じか。」


「流れは全部つながっています。」


「なら。」


 剣を構える。


「道を作る。」


 ヴィクトルが真正面から突っ込んだ。


 巨大魔物の注意が集まる。


 兵たちも一斉に前へ。


「第一列!」


「押し返せ!」


 剣と槍が火花を散らす。


 巨大魔物が右腕を振る。


 兵士が吹き飛ぶ。


 その前へ。


 セバスが滑るように入った。


「危ない。」


 白手袋を外す。


 細い指。


 だが。


 無数の古傷が刻まれていた。


 短杖一本。


 巨大な腕を。


 ほんの数センチだけ逸らす。


 兵士の頭上を。


 魔物の腕が通り過ぎた。


「何者だ……。」


 若い兵士が呟く。


 セバスは静かに微笑む。


「現在は執事でございます。」


 ルシアンが思わず言った。


「現在は?」


「昔話は長くなります。」


 クラリスが小さく息をつく。


「あとで全部聞きます。」


「覚悟しております。」


 その時。


 ヨルが前へ出た。


 もうふらついていない。


 いや。


 限界だからこそ。


 最後の一歩を踏み出した。


 黒曜石の瞳。


 黒い影。


 影だけが。


 巨大な狼になっていく。


 村人たちが息を呑む。


「守り神様……。」


 影狼は巨大魔物へ飛びかかった。


 牙では噛まない。


 瘴気だけを噛み砕く。


 黒紫色の煙が。


 音を立てて消えていく。


 巨大魔物が苦しみ始めた。


「今です!」


 ルシアンが魔法陣を書き換える。


「姉様!」


「見えています。」


 クラリスは。


 巨大魔物の足元へ飛び込んだ。


 黒檀の杖。


 半身。


 踏み込み。


 流水。


 儀杖術《流水》。


 敵を倒す術ではない。


 流れを変える術。


 杖先が根へ触れる。


 押さない。


 叩かない。


 流す。


 根が少しだけ動く。


 その隙間へ。


 ヴィクトルの剣が入った。


「そこだぁ!」


 斬撃。


 根が裂ける。


 その奥。


 黒い結晶が現れた。


 ルシアンが叫ぶ。


「核です!」


 巨大魔物が絶叫した。


 畑全体が震える。


 ヨルが。


 最後の力で遠吠えを上げた。


 黒曜餓狼。


 本来の姿。


 一瞬だけ。


 巨大な狼の影が空を覆った。


 その牙が。


 黒い結晶へ届く。


 砕けた。


 紫色の光が。


 空へ舞う。


 そして。


 消えた。


 巨大魔物は。


 静かに崩れ落ちた。


 長い沈黙。


 誰も動かなかった。


 風だけが。


 薬草畑を吹き抜ける。


 やがて。


 ヴィクトルが剣を下ろした。


「終わったか。」


「まだです。」


 クラリスは結晶の欠片を拾う。


 黒い。


 しかし。


 中心には。


 銀色の紋章。


 《黒陽宮》。


 ルシアンが震える。


「やっぱり。」


「知っているのですか。」


「帝国でも。」


 息を飲む。


「存在自体が禁書になっている組織です。」


 ヴィクトルが顔をしかめた。


「帝国の軍か。」


「違います。」


 ルシアンは首を振る。


「皇帝直属でもありません。」


「では。」


「帝国でも。」


 少年は静かに言った。


「皇女殿下が、一番嫌っている人たちです。」


 クラリスが目を細める。


「皇女。」


「はい。」


「アレクシア皇女。」


 その名前だけで。


 ヴィクトルも。


 セバスも。


 少しだけ空気を変えた。


「文武魔術。」


 ルシアンは続ける。


「全て帝国最強。」


「国民からも慕われています。」


「ですが。」


 少年は苦く笑う。


「正面から勝つことしか認めない人です。」


「弱体化工作。」


「毒。」


「流通汚染。」


「そういう戦い方を。」


「誰より嫌います。」


 クラリスは黒い結晶を見つめた。


 帳簿は。


 まだ終わっていない。


 王宮。


 辺境。


 そして。


 帝国。


 一枚の裏帳簿は。


 国境を越えようとしていた。


 その頃。


 はるか東。


 帝国皇城。


 一人の皇女が。


 机へ叩き付けられた報告書を読んでいた。


 そこには。


 たった一行だけ書かれていた。


『グランベル領試験、失敗』


 皇女アレクシアは。


 静かに立ち上がる。


「……誰だ。」


 黄金の瞳が細くなる。


「帝国の名を使って。」


「こんな卑怯な真似をしたのは。」


 その声には怒りしかなかった。


 帝国は。


 正面から勝つ国だ。


 少なくとも。


 彼女はそう信じていた。


 だから。


 この報告だけは。


 絶対に許せなかった。



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