第22話 四人は、初めて同じ戦場に立つ
氷が砕ける音は、美しくない。
悲鳴に似ている。
ルシアンの《氷結結界》によって動きを止められた巨大魔物は、その全身を震わせながら黒紫色の瘴気を吹き上げた。
地面が軋む。
薬草畑の根が、生き物のように脈打つ。
「姉様!」
ルシアンが叫ぶ。
「その根から離れてください!」
「まだです」
クラリスは黒檀の杖を握ったまま答えた。
「結び目が残っています。」
ルシアンは一瞬だけ目を見開く。
魔術師である自分は魔力の流れを見る。
クラリスは、水路と根の流れを見ている。
見ているものは違う。
だが、辿り着く場所は同じだった。
「辺境伯様!」
クラリスが声を上げる。
「左側の根が浮きます!」
ヴィクトルは理由を聞かない。
「第三隊!」
剣を振り上げる。
「左へ五歩!」
兵が一斉に動く。
その瞬間。
クラリスが杖を半歩だけ押し込んだ。
地中の根が浮き上がる。
「今です!」
ヴィクトルの剣が、露出した根を斬り裂いた。
紫色の液体が噴き出す。
巨大魔物が苦しげに咆哮した。
「効いています!」
ルシアンが魔法陣を組み替える。
「氷では止まりません!」
「十分です」
クラリスは答える。
「止める時間があれば構いません」
ルシアンは思わず笑った。
やっぱり姉様だ。
誰も魔法を褒めない。
結果だけを見る。
でも、その結果を誰より信じてくれる。
だから、自分はもっと魔法を磨こうと思えた。
「第二術式!」
銀杖を振る。
「氷槍展開!」
十数本の氷槍が空中へ浮かぶ。
巨大魔物ではなく。
周囲の小型魔獣へ。
逃げ道を塞ぐように突き刺さった。
「退路を切りました!」
「ありがとうございます」
クラリスは短く礼を言う。
ヴィクトルが兵へ叫ぶ。
「包囲を狭めろ!」
隊列が動く。
まるで歯車だった。
兵が前へ。
槍が並ぶ。
クラリスが流れを作る。
ルシアンが魔法陣を押さえる。
ヨルが瘴気を喰らう。
そして。
ヴィクトルが、その全てを一つにまとめていた。
「これが……」
若い兵士が呟く。
「辺境伯様の戦い……」
ヴィクトルは英雄ではない。
一人で魔物を倒す男ではない。
百人を百人として戦わせる男だった。
「右が薄い!」
クラリスが叫ぶ。
ヴィクトルは振り向きもせず命じる。
「第四列、右へ!」
兵が即座に埋める。
「左!」
「第二列!」
「中央!」
「槍!」
命令が短い。
だから早い。
ルシアンは思わず呟いた。
「すごい……」
「殿下。」
クラリスは視線を魔法陣から外さない。
「感心するのは後です。」
「はい!」
その返事が、少しだけ嬉しかった。
その時だった。
ヨルがふらついた。
「ヨル!」
クラリスが駆け寄る。
小さな体が震えている。
黒曜石の瞳が紫に染まり始めていた。
魔獣医の老女が叫ぶ。
「喰い過ぎだ!」
「どうすれば!」
「全部喰わせちゃ駄目だ!」
「では!」
「逃がせ!」
クラリスは理解した。
瘴気を全部ヨルへ集めれば。
ヨルが壊れる。
「辺境伯様!」
「何だ!」
「第二水門を半開放!」
「理由は!」
「瘴気を水へ逃がします!」
「下流は!」
「私が浄化します!」
ヴィクトルは一瞬だけ迷った。
だが。
「第二水門!」
叫ぶ。
「半開放!」
「はっ!」
兵が走る。
ルシアンが驚く。
「姉様!」
「何でしょう」
「瘴気浄化術が使えるのですか!」
「使えません」
「え?」
「だから、水路を使います。」
クラリスは杖を水門へ向けた。
「水は流れます。」
「はい。」
「瘴気も流れます。」
「はい。」
「なら、流れを戻します。」
ルシアンは一瞬理解できなかった。
魔法じゃない。
土木だった。
水門が開く。
旧水路へ大量の水が戻る。
黒紫色の瘴気が、水流へ引きずられていく。
ヨルが大きく息を吐いた。
影狼も少し小さくなる。
「助かった……」
老女が呟く。
「この子はまだ子どもだ。」
クラリスはヨルの頭へ手を置いた。
「頑張りました。」
ヨルは小さく鳴く。
尻尾を一度だけ振った。
だが。
巨大魔物はまだ立っていた。
いや。
立ち上がろうとしていた。
裂かれた根が。
自ら繋がっていく。
ルシアンの顔色が変わる。
「そんな……」
「どうしました。」
「再生しています。」
クラリスも見る。
根が。
土の奥から。
誰かに引っ張られるように集まっている。
自然ではない。
魔法でもない。
「これは……」
ルシアンが震える声で言う。
「帝国軍の術式じゃありません。」
「違うのですか。」
「もっと古い。」
銀杖を強く握る。
「皇帝直属。」
「え?」
「封印指定魔術です。」
ヴィクトルも動きを止めた。
兵たちも息を呑む。
「そんな術が。」
「王国で使われるはずがない。」
ルシアンは巨大魔物を見つめる。
「誰かが。」
「帝国でも禁じられた術を。」
「ここで使っています。」
風が止まる。
畑の中央。
巨大魔物の胸。
そこに。
黒い紋章が浮かび上がった。
誰も見たことのない紋章。
だが。
ルシアンだけは知っていた。
「……《黒陽宮》。」
その名を口にした瞬間。
戦場の空気が凍りついた。
クラリスは、その紋章を静かに見つめる。
帳簿は。
また一枚。
新しい頁を開こうとしていた。




