第4章 2人目の居候
請負人と言っても、ハリーの場合は少し違っていた。
普通なら依頼を受けたらすぐに帰ってしまうのに、ハリーは僕の隣室をあてがわれて数日間ここに住むことにしたようだ。
『時間がかかるってどういうことだよ』
初日から翁に詰め寄っていたのを思い起こす。
依頼が遅れるとわかれば、普通なら近場のホテルなどへ引っ込むだろうに。
そういうことからも、やはりロッセーリ翁との関係はただの依頼人と請負人ではないんだとわかった。
相当長い付き合いなのか、それとも『家族』のような関係なのか?
それにしても…
どうしてこの男はこうも騒がしいんだ?
家に来て早々、ロッセーリ翁と話しに行ったと思ったら、とんでもなくデカい声で笑ったり、声を荒げたり…
今までの静寂はどこへ、という感じ。
依頼の内容が丸聞こえになるんじゃないか?と心配になるほどだ。
と、僕はふと思った。
……そういえば、依頼ってどんなことなんだろう?
諜報機関って、例えばCIAとか?
イタリアだからマフィアも関係していたり?
もしかしたらハリーへの依頼というのも、スパイとか、調査とか…?
そんなことをぼんやり考えながら、僕がカメラのレンズの手入れをしていた時……
「おーい!開けろエミール!」
廊下からハリーの声が響いたと思ったら、いきなりドアを連打でノックされた。
ちょっと…何だよ突然!
焦って鍵を外すと、ドアがバーンッと勝手に開かれてしまった。
なんなんだ…この乱暴者は!
軽く睨みつけると、ハリーがニヤリと笑って言った。
「そんな顔してると、マジで目つきの悪い顔になっちまうぜ?」
「そうなったとして、あなたに何か問題がある?」
「見てるのが辛くなる。若くして眉間に皺が寄ったら、そのキレイな顔が台無しだろ」
……はあ。
まったく、何を言うんだか。
僕がどうなろうと、彼には関係ないじゃないか。
会ったばかりだし、どうせ数日中にはいなくなる相手なんだろう?
拍子抜けして、怒る気が失せた。
肩を竦めながら、僕は訊く。
「で、何か用事が?」
「おう!メシまだだろ?外に行って食おうぜ!」
「僕と?一緒に?」
「お近づきのしるしで奢ってやるよ!ほれ、行くぞ!」
何がお近づき、だよ…
あんたが用があるのはロッセーリ翁だろ。
僕はまったく関係ないんだけど?
それに、お昼ご飯だってもうすぐソフィーさんが持ってきてくれるはず。
そう伝えると、
「姐さんは今日は来ないぜ。ジジイから聞かされてないのか?」
「聞いてない」
素っ気ない僕の返事を遮るように、ハリーは強引に僕の肩に腕を回してきた。
「ちょ…、何す……」
「こんなに天気が良いんだから、美味いもん食って楽しもうぜ!久々のヴェネツィア料理、何食おうかな~」
「……」
まるで聞いちゃいない。
こんな性格の人間が、どんな依頼を受けるんだか。スパイなんて絶対無理だ。
何と言っても、とにかく声の大きさがウザすぎる。態度もデカいし、最悪だ。
昨日までの落ち着いた空間がかき消されてしまい、僕は深くため息をついた。
結局、昼飯に付き合うことになった。
拒否したところでこの男が聞くはずもないのは目に見えていた。
まあ…ここに来てからずっと一人で食べていたし、たまには外で食べるのも良いか、なんて一瞬でも思ってしまったのがいけなかった。
連れて行かれたのは観光客がほとんど近寄らないような薄暗い小径にある、夜はバーになるような酒臭い店だった。
戸惑って店に入れずにいると、先に入ったハリーがドアまで戻ってきた。
「何してんだ?入れよ」
「ここ、酒場だろう?食事するならもっとマシな店に行く方が…」
「酒も飲めるし、美味いもんも食えるぜ?魚貝のパスタが絶品だぞ!」
何食おうかな、なんて言っていた割には、来る店を決めていたのか。
仕方なく、その言葉を信じて店に入る。
初老のマスターがカウンター内に一人。テーブル席は少なく、立食できるスペースが壁際にいくつかある。
こんなところでパスタ…?
怪訝に思っている僕をよそに、ハリーはカウンターに近づいてマスターと親しげに話し出した。メニューを見せられても酒の種類とつまみが数点書いてあるだけ。
裏メニューなのか?
やがて出されたのは、大きなムール貝のパスタとイカ墨のリゾットだった。
とても美味しそうな匂いで、店とのギャップの激しさに唖然とした。
「美味しい」
一口食べ、素直に出た感想。
ビールを飲んでいたハリーはニッと笑った。
「だろ?ここのマスターはすげえ無愛想だが、腕はいいんだぜ」
失礼なことをあっさり目の前で…
よく知っている間柄なのか、マスターは怒ることなく、黙々と調理器具を洗っている。
「俺も時々手伝ってやると言ってるんだが…ああ、もちろん金は貰うぜ?けどよう、一向にお声がかからねえんだ」
ぶつくさと文句を言うハリー。
……まあ、そりゃそうだろうね。
こんなのがカウンターにいたら、うるさくて食事も楽しめないよ。
気持ちも解るよと言いたげにマスターをチラッと見ると、マスターが口を開いた。
「メニューの味付けを教えてくれたのはそいつだからな。手伝えなんて言えねえよ」
……え?
驚いて見やると、ハリーは2杯目のジョッキを頼んでこう言った。
「この店、まだ一年足らずなのさ。知り合いのよしみで俺がメニュー考えて、味付けの基本も教えてやったんだ」
「…へえ」
それはまた…意外な。
顔に出てしまったのか、僕の顔を覗き込んでハリーは言う。
「なんだ、そういう顔もするんだな。年相応の顔、いいじゃねえか」
いちいち気にするようなことを……
ムッとしそうになった僕に、言葉を続けた。
「最初に会ったときは、目の奥に戦場を隠したような感じだったからな」
「……!」
何も言えなくなる。
僕の顔を真っ直ぐに見ていただけだと思っていたら、そんなふうに考えていたのか。
戦場なんて、普通の神経じゃ言わない。
冗談交じりの軽口にしては、例えが的確すぎる。
「な、何だよそれ…」
あくまで僕は平静を装うことにした。
失礼を通り越して、薄気味悪い男だ。
無視して食事を続けようとすると、ハリーはジョッキを掲げながら笑って言った。
「ま、同じ匂いのするなんとかってやつさ」
……何?
同じ匂い?
誰と、誰が?
戦場…
リナンがロッセーリ翁に話した外人部隊の件だろうとは予想がつく。
それをハリーが聞いた…?
そんな馬鹿な。
それじゃこの男も、銃を握ったり、剣を使ったりしたことがあるってことなのか?
とたんに、翁の仕事がらみの依頼というのが気になり始めた。
この男は……いったい何者なんだ?
ゴクゴクと音を立ててビールを美味そうに飲むハリー。
そんな姿から目を逸らし、僕はテーブルの下に震える手を隠した。




