第4話 死にかけても通常営業 ―心臓からのクレームは受付対象外
皆様、こんにちは。
神威重工代表です。
三度にわたる死神とのダンスを終え、ようやく心筋梗塞の可能性に気づいた私。
普通なら、すぐに病院へ向かうところです。
しかし、私には大切な仕事がありました。
クレーム処理。
図面の修正。
契約準備。
……。
お前の心臓が一番クレーム出してるんですけど!!!
というわけで、今回は死にかけた男の通常勤務をご紹介します。
なお、今回もすべて実話です。
こんな会社員には、絶対にならないでください。
人生には、仕事よりも大切なものがある。
家族。
健康。
そして、命。
実に当たり前の話である。
ところが、世の中には、その当たり前が通用しない人間がいる。
……。
私である。
さて。
前回、私は三度目となる死神とのダンスを終えた。
夕方に一度。
夜にもう一度。
そして、早朝4時30分。
三回も猛烈な胸の痛みに襲われ、ようやく心筋梗塞という可能性に気づいたのである。
しかも、妻も同じ考えだった。
これは心筋梗塞かもしれない。
病院へ行かなければ。
普通なら、ここで救急車を呼ぶだろう。
しかし、私は違った。
「午前中だけ出勤しよう」
……。
…………。
お前、何考えてんだよ!!!
いや、今なら分かる。
完全におかしい。
どう考えてもおかしい。
しかし、当時の私は大真面目だった。
仕事がある。
やらなければならないことがある。
病院には行こう。
ただし、仕事を少し片づけてから。
……。
心筋梗塞って、そんなに都合よく待ってくれるのか!?
もちろん、待ってくれる保証などない。
それなのに、私は普通に出勤することにした。
さて。
午前8時。
いつもどおり、自宅を出発。
愛車に乗り込み、会社へ向かう。
実に平和な朝である。
前日の夕方から三回も死にかけたことを除けば。
……。
それが一番大きな問題だろ!!!
午前8時30分。
会社に到着した。
いつもどおりの出勤時間。
遅刻もしていない。
素晴らしい。
社会人の鑑である。
……。
いや、病院に行けよ!!!
ところで。
このとき、会社の人間は誰も私の状態を知らなかった。
当然である。
誰にも話していなかったのだから。
心筋梗塞かもしれない。
三回も猛烈な発作が起きている。
本人はそれを知っている。
しかし、会社の人間は誰も知らない。
私はいつもどおり出勤して、いつもどおり仕事を始めた。
……。
何とも不思議な光景ではないか。
周囲から見れば、普通に出勤してきた住宅営業マン。
しかし、本人の頭の中では、心筋梗塞という恐ろしい病名が浮かんでいる。
それなのに。
仕事をしている。
……。
…………。
誰か止めろよ!!!
いや、誰も知らないのだから、止めようがない。
しかも、本人が何も言わない。
まったく。
恐ろしい職場である。
いや。
恐ろしいのは職場ではなく、私の判断力だ。
さて。
当時、私は住宅営業の仕事をしていた。
そして、この会社はクレームが多かった。
実に多かった。
何とも素晴らしい会社である。
……。
もちろん、褒めていない。
住宅営業という仕事は、家を売れば終わりではない。
打ち合わせ。
図面の変更。
契約の準備。
そして、クレーム処理。
やることはいくらでもある。
この日も例外ではなかった。
私は、最低限必要なクレーム処理を進めた。
お客様との打ち合わせ図面を更新した。
契約の準備も行った。
……。
…………。
お前の心臓もクレーム出してるんですけど!!!
そう。
ここで、ようやく重大な事実に気づく。
私が一生懸命処理していたのは、お客様からのクレームだった。
しかし、私の心臓からも、すでに猛烈なクレームが届いていたのである。
しかも、三回。
夕方。
夜。
早朝。
計三件。
内容は、いずれも同じ。
「もう限界です!!!」
……。
…………。
ところが、担当者である私は、そのクレームを完全に無視していた。
それどころか、外部のお客様のクレームを優先していたのである。
何ということでしょう。
自社製品の故障なら、すぐに対応しなければならない。
しかし、自分の心臓の故障は後回し。
実に立派な営業マンである。
……。
不良品はお前自身だよ!!!
さて。
そんな調子で仕事を進めていった。
クレーム処理。
図面の更新。
契約準備。
最低限、やっておきたい仕事を片づける。
それだけで、時間は過ぎていく。
ところで、皆様。
ここで一つ、考えていただきたい。
もし、この仕事中に四度目の発作が起きていたら、どうなっていただろう。
夕方の初回公演。
夜の第二公演。
早朝の第三公演。
そして。
第四公演、勤務先にて開催。
……。
…………。
やめてくれええええ!!!
いや、笑い事ではない。
本当に、いつ再び激痛に襲われてもおかしくない状況だったのだ。
それなのに、私は仕事をしていた。
しかも、誰にも事情を話していない。
もし、会社で突然倒れたら。
周囲は何が起きたのか分からなかっただろう。
今になって考えると、背筋が寒くなる。
しかし、当時の私はそこまで深刻には考えていなかった。
何しろ、痛みが治まると、身体には特に違和感がなかったのである。
普通に動ける。
普通に仕事ができる。
だから、仕事をしてしまう。
……。
その「普通」が、一番怖いんだよ!!!
さて。
そんなこんなで、時刻は正午。
予定していた午前中の仕事が終わった。
よし。
そろそろ病院へ行こう。
……。
ようやくかよ!!!
私は店長のところへ向かった。
そして、これから病院へ行くことを告げた。
ただし、普通の早退ではない。
何しろ、心筋梗塞疑惑である。
しかも、昨夜から三回も猛烈な発作を起こしている。
私は、その事情を説明した。
記憶では、だいたいこんな感じだったと思う。
「昨日から、死ぬような痛みが三回もあったんですよ」
「多分、心筋梗塞だと思うんです」
「今から病院に行くので、今日は帰ります」
そして。
「もし当たりだったら、当分来ませんので。あとはよろしくお願いします!」
……。
…………。
何を爽やかに引き継いでるんだよ!!!
普通、早退するときには、理由を説明する。
体調が悪い。
熱がある。
病院で診察を受けたい。
そんなところだろう。
ところが、私の場合は少々違った。
「多分、心筋梗塞です」
……。
…………。
いやいやいや。
そんなことを突然言われても困るだろう。
しかも。
「当たりだったら当分来ません」
当たり?
……。
宝くじじゃねえんだぞ!!!
心筋梗塞という重大な病気を、まるで抽選結果のように扱っている。
当たりなら長期休暇。
外れなら通常営業。
……。
そんな抽選会があってたまるか!!!
さて。
この突然の報告を受けた店長。
一体、どんな反応をしたのか。
私の記憶では、見事なまでにドン引きしていた。
そりゃそうだろう。
朝から普通に出勤してきた部下が、正午になって突然、
「多分、心筋梗塞です」
と言い出したのである。
しかも、今まで普通に仕事をしていた。
クレームも処理した。
図面も更新した。
契約の準備も進めた。
そして最後に、心筋梗塞かもしれないと告白する。
……。
順番がおかしいだろ!!!
店長の返事は、確かこんな感じだった。
「お、おう……」
……。
…………。
そりゃ、それしか言えねえよ!!!
今になって考えると、実に申し訳ない。
突然そんな話をされて、一体どう返事をすればよかったのだろう。
「お大事に」
と言うには、少々話が重すぎる。
「頑張って」
と言われても、何を頑張ればいいのか分からない。
「また明日」
と言おうにも、本人が当分来ないかもしれないと宣言している。
……。
店長、完全に詰んでいる。
しかも、言い出した本人は、至って普通である。
私としては、必要な仕事を片づけた。
店長にも事情を説明した。
あとは病院へ行くだけ。
実に段取りがよい。
……。
何ひとつ段取りがよくねえええ!!!
さて。
私は会社を後にした。
時刻は正午。
予定どおりである。
午前中だけ仕事をする。
そして病院へ行く。
早朝に決めた予定を、見事に実行したことになる。
……。
そんな計画性はいらねえんだよ!!!
ここで、普通なら救急車を呼ぶところだろう。
いや、本来なら早朝4時30分の時点で呼ぶべきだった。
しかし、私は違った。
愛車に乗り込んだ。
そして、自分で運転して病院へ向かったのである。
……。
…………。
お前、まだ運転するのかよ!!!
もし、運転中に四度目の発作が起きていたら。
考えるだけでも恐ろしい。
自分だけの問題では済まなかったかもしれない。
しかし、当時の私は、そんな危険性を十分に理解していなかった。
身体には違和感がない。
胸も痛くない。
普通に運転できる。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。
「また発作が来たら嫌だなぁ……」
……。
…………。
いや。
それはそうだろう。
三回もあの激痛に襲われているのだ。
もう一度など、冗談ではない。
しかし、不思議なことに、それほど強い不安は感じていなかった。
なるようにしかならない。
そんな感覚だったのである。
今さら慌てても仕方がない。
病院に行けば、何か分かるだろう。
その程度の認識だった。
……。
ところで。
病院へ向かう途中、私は別のことを心配していた。
何しろ、予約をしていない。
突然行っても診てもらえるのだろうか。
しかも、時刻は正午を過ぎている。
病院だって昼休みがあるのではないだろうか。
私は考えた。
「予約なしで行っても大丈夫かな?」
……。
「お昼休み中じゃないかな?」
……。
…………。
お前、自分の心臓より病院の都合が心配なのかよ!!!
いや、しかし。
当時の私は大真面目だった。
病院には診療時間というものがある。
予約が必要な場合もある。
お昼休みだってあるだろう。
突然訪問して、迷惑にならないだろうか。
……。
心筋梗塞かもしれない患者が、そんなことを気にしている場合か!!!
まったく、何とも不思議な男である。
自分が死ぬかもしれないという心配より、予約なしで訪問してもよいのかという心配。
三回も激痛に襲われながら、救急車は一度も呼ばない。
それどころか、午前中は普通に仕事をしていた。
そして、病院へ向かう段階になって初めて、診療時間を気にし始める。
……。
お前の心臓に昼休みはないんだぞ!!!
さて。
そんなことを考えながら、私は愛車を走らせていた。
胸の痛みはない。
身体にも違和感はない。
いつもどおり運転できる。
ただし、一つだけ、いつもと違うことがある。
向かっている先が、仕事でも買い物でもない。
病院である。
しかも、ただの健康診断ではない。
心筋梗塞かもしれない男が、自分で運転して病院へ向かっている。
……。
今振り返れば、あまりにも危険な行動だった。
もし、四度目の発作が運転中に起きていたら。
もし、そのまま意識を失っていたら。
考えれば考えるほど、恐ろしい。
そして、それ以上に恐ろしいのは。
当時の私が、それほど恐ろしいと思っていなかったことである。
なるようにしかならない。
そう考えていた。
いや。
もしかすると、単に物事を深刻に考える能力が不足していたのかもしれない。
……。
…………。
その可能性は非常に高い。
こうして私は、人生で最も危険だったかもしれない通勤と早退を終え、病院へ向かっていた。
それにしても。
三回も死神と踊った。
心筋梗塞かもしれないと気づいた。
会社で普通に仕事をした。
店長に死亡予告のような早退報告をした。
そして、自分で車を運転して病院へ向かっている。
……。
何なんでしょうね、この人生は。
さて。
ここまで読んで、私の行動に呆れた方も多いだろう。
当然である。
私自身、今では呆れている。
ただし、これだけは真面目にお伝えしたい。
激しい胸や背中の痛みが繰り返し起きた場合、たとえ痛みが消えても、心筋梗塞などの重大な病気の可能性がある。
私のように仕事を優先したり、自分で運転して病院へ向かったりしてはいけない。
そのような症状があれば、すぐに119番へ連絡してほしい。
笑い話として書けるのは、私がこうして生きているからである。
さて。
私の頭の中では、すでに次の問題が始まっていた。
予約なし。
しかも昼休み。
診察してもらえるのだろうか。
……。
…………。
心配するところが違うだろ!!!
そして私は、まだ知らなかった。
これから病院で、どんな現実を突きつけられることになるのか。
何しろ、この時点では、まだ心筋梗塞という病名を疑っているだけだったのだから。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
死神とのダンスは終わったが、入院伝説はまだ始まってないのである。
――第4話・完――
次回「第5話 ―大丈夫ですよ♪ 」
いかがでしたでしょうか。
心筋梗塞を疑いながら、午前中は普通に仕事。
正午には店長へ突然の死亡予告。
「当たりだったら当分来ませんので、後はよろしく!」
店長「お、おう……」
……。
店長だって困るだろ!!!
そして、愛車で病院へ向かう私。
心配していたのは、心臓でも命でもなく、病院の予約と昼休み。
……。
お前の命は予約制なのかよ!!!
さて、次回はいよいよ病院へ到着します。
そこで待っていたのは、看護師さんの優しい一言。
「大丈夫ですよ♪」
……。




