代替品と死人のその後
「ウォッチ」
事務所の前にあるカフェで、ハーフ美人と楽しげに談笑しているウォッチを見つけて、ミコトは声を掛けた。
「おやおや、浮気がバレてしまったね」
ウォッチは、甘いマスクに口元のヒゲを蓄えたダンディな中年だ。
チェーンスモーカーである事とノリが軽すぎるのが玉に瑕だが、知的で服装の趣味も良い。
「トキを知らない?」
ミコトの声に何かを感じたのか、軽く眉を上げたウォッチは、目の前にいる美女に声を掛けた。
「済まない、ミス・シリ。デートの途中で他の女性と喋り続ける無礼を許してくれないか?」
「私、心も広くて気も長いの」
「ありがとう。……どうした、ミコトちゃん」
「なんだか、最近避けられてる気がするのよね」
無事に白金のところから逃げ延びた後、ミコトはウォッチのチームに加わり新たに便利屋業の勉強を始めた。
だが、チームの最後の一人であり、恋人であるトキの様子がおかしいのだ。
いつもと何が違うという訳でもないのだが、まるで極力ミコトと二人きりになるのを避けているかのように、外出が多い。
ただの勘だが、そういうのを放置するのは、ミコトの主義に反した。
気に入らない事があるのなら話せば良いのに、それをしないのは何故なのか。
今日こそ問い詰めてやろうと思ったのだが。
「なるほどな」
ウォッチはおかしげに笑って、手元のポータブルを操作した。
「……おやおや。珍しい所にいるな」
トキの腕には、通信機器が仕込まれている。
そこから発する電波によって、ウォッチには彼の居場所が分かるのだ。
「ヒントだ、ミコトちゃん」
ウォッチは考える素振りを見せてから、勿体つけた。
「『今の君の始まりの場所』。そこに、トキはいる」
「後は自分で探せ、という事ね」
「そう。便利屋仕事の訓練だと思うと良い。チームの不和は、リーダーとしても望ましくはないから、ヒントだけはあげよう。早急に解決してくれ」
「ええ。ありがとう。……ミス・シリ? 失礼致しました。ごゆっくりどうぞ」
ミコトが礼を言って頭を下げると、少し意外そうな顔をしてから、シリは面白そうに首を傾げた。
「良い子ね。うちに欲しいかも」
「しかも有能でね。抜かれるとうちとしても困る。ああ、ミコトちゃん」
「何?」
相手にせずに場を辞そうとしたミコトに、ウォッチが声を掛けた。
振り向くと、彼は指を立てて言う。
「話し合いは、正直にな。……トキは、自分の気持ちにだけは嘘をつけない」
「あの口の悪い嘘つきが?」
よく意味が分からなかったが、とりあえずうなずいて、ミコトはウォッチの言葉の意味を考えながら、購入した自分のバイクに向かった。
※※※
ミコトが去ると、ウォッチはシリに目を戻した。
「お待たせした」
「さほど待ってはいないわ。あの子、若いのね」
ウォッチとミコトのやり取りから何を感じたのか、シリが彼女の話題を口にした。
「どうだろうな。男と女は、幾つになっても似たようなもんだと思うがね」
「そうね」
「さて、これからどうする?」
ウォッチの問いかけに、シリは腕時計に目を落とすと、小首を傾げた。
「夕食までデート、と言いたいところだけれど、やめておくわ」
「おや、何でだい?」
「脈のない人と共に過ごすには、今日は忙しいの」
「脈がない? おやおや、君のような美人を前にして、俺が何も思っていないとでも?」
シリは、意味ありげに微笑んだ。
テーブルの上で指を組み、ウォッチの目を覗き込む。
ゾクゾクするほどの色気だった。
「何を思っているの?」
「そうだな。一夜を共にしたいと思っている」
「あら、奥様は?」
「空の上さ」
「心が縛られてるのではない?」
シリの問いかけに、ウォッチは肩を竦めた。
「どうかな。愛しくは思う。……女房は、嫉妬に狂うタイプじゃなかったのが困りものだ」
「強い方だったのね」
「そうなんだろうな。黙って何も言わない女だった。愛していると言われた事もない」
「浮気して、怖くないの?」
「怒ったところを見た事がなくてね。自分が死ぬ時も、俺と息子の心配ばかりしていたよ」
「佳い人だったのね」
「ああ。だが、俺はいい加減な人間でね。どうしても、愛しいと思う気持ちに反して、我慢というものが出来ない。こうして君のように美しい人と昼のひと時を共にし、寝たくなれば風俗へ行く。俗物だからね」
「私と寝たいと思う?」
ウォッチは、考えるそぶりを見せた。
「さて、マダムに弱みを握られるのは怖いな」
「スマートな口説き文句に反して、義理堅い人ね」
「どういう意味だい?」
シリは、組んだ指を解いて立ち上がった。
「私は、ビジネスライクな付き合いは好きよ。でも、心がここにない人はダメ」
「あるさ。俺が君の事を何とも思っていない、と?」
「何とも思っていない訳ではないから、問題なの。お互いに、ね」
流し目の意味を、ウォッチは図りかねたふりをした。
「……よく分からないな」
「私は、一番が好きなのよ。本気で想い合うなら尚更。……私は、想い人に操を立てない人を伴侶にしようとは思わない。だからって、すぐに忘れる人も嫌。我儘なのよ」
ウォッチは、大仰に空を仰いだ。
「つまり、脈はない、という訳だ」
「ええ。貴方とのお話は楽しいわ。だから、これからもお友達としてね」
魅力的な肢体を惜しげもなく陽の光に晒しながら言うシリを眺めて、ウォッチは眩しげに目を細めた。
「生殺しだ」
「そうやって平然と嘘が付けるから、貴方は信用ならないと思うわ」
ウォッチは無言で頭を振り、去って行くシリを見ながらタバコを取り出して火を付けた。
※※※
ミコトは、ウォッチの言葉の意味を考えながら湾岸通りを走っていた。
今の自分の始まりの場所。
太陽が照り付けて赤いライダースジャケットを焼き、その熱を風が奪い去っていく中。
法定速度でのんびりと走る車をかわしながらたどり着いたのは、貨物用の船着き場だった。
今の自分になる決意をした場所。
しかし荷下ろしの喧騒の中を巡っても、コンテナの近くを眺めても、トキの姿は見当たらなかった。
次に向かったのは、すぐ近くの白金の工場だった場所。
謎の爆破事件により痛手を受けた工場は、現在は閉鎖されている。
白金の会社は規模を縮小し、別の企業や買い手がつかないまま放置されているが、入り口は厳重に閉ざされていた。
夕方になり、腹ごしらえをしながら最後に向かったのは、トキとウォッチに出会った倉庫街だ。
どの倉庫だっただろう。
似たような建物を巡って、記憶を辿りながら入口を覗きこんでいくと。
ようやく、ミコトはトキの姿を見つけた。
「……こんなところにいたのね」
「よぉ、どうした?」
トキの周囲にはタバコの吸い殻が散乱し、ご丁寧に携帯式のコーヒーメーカーが横に置かれている。
黒光りする金属の手足に、無精髭。
ひどく目付きの悪い、整っているとは言いがたい顔立ちの男。
ミコトの恋人であるトキは、いつものようにニヤニヤと笑みを浮かべて、ミコトを見ていた。
※※※
「ここ最近、私を避けていたでしょう」
「覚えがねーな」
すっとぼけるトキに、思わずいつもの悪態が口をつきそうになるが、ぐ、と堪える。
話し合いは、素直に。ウォッチはそう言ったのだ。
「そう。じゃ、何でこんな所にいるの? 事務所でも出来そうな事よね」
「関係ねーだろ? 俺はお前に、いちいちどこで何してるか伝えなきゃなんねーのか」
「いいえ。堂々としていれば? と言ってるのよ」
トキは、ミコトの言葉に肩を竦めた。
「何の話かさっぱり分からねぇな」
「そこまで鈍い女だと思われているのは心外ね」
「分かっててわざわざ言いに来るのか? やっぱお前、鬱陶しい女だわ」
トキは。
「別れようぜ。メンドクセー」
おそらくここ最近、ずっと考えていたのだろう言葉を口にする。
「良いわよ」
あっさり答えたミコトに、トキの表情は変わらない。
だがウォッチは言った。
トキは、自分の気持ちに、嘘はつけないと。
「ただし条件付きでね。私の事が嫌いになったのなら、別れるわ」
トキは、ミコトの言葉に眉をしかめた。
少し沈黙して、トキはぼそりと言う。
「……いいや。嫌いにはなっちゃいない」
「なら別れるのはなしよ」
溜息を吐くトキに、ミコトは首を傾げる。
「あなたらしくないわね。憎まれ口ばかりで、欲しいものは力づくでも奪い取るような自己中のクセに」
「略奪ショーが終ってみたら賞品が見窄らしく見えた、って事もよくある話だ」
「張りがない?」
「正直な」
ミコトが微笑むと、トキは何故か目を細めた。
トキは今まで、追い立てられるように生きてきた。
ここ最近の生活や平和というものを、実は退屈に感じていたのはミコトも同じだ。
命の期限に、ミコトの期限に、少しでも早く、と。
そう生きてきたトキよりは、ミコト自身はマシかも知れないが……この退屈さは、余計な事を考えるのに十分な暇だ。
だが暇なのは、今に危機がない事の証なのだ。
目的を見失ったトキは、どうせ下らない事を考えたのだろう。
異形の手足を持つ自分の身や、ミコトの今後など。
トキは平和と、そこにそぐわない自分に、負けそうになっているのだ。
「ウォッチに休みを貰いましょう」
「あ?」
「そうね。旅行とかどうかしら。今まで、白金の仕事以外で遠出をした事がないし、どこかに泊まりで出掛けるのも良いわね」
「何の話だ?」
トキが、訝しげな顔で眉をしかめる。
戸惑っているのだ。
血気盛んな、黒い烏。
手に入れるのが困難な光り物……ミコトを、その嘴で攫った男。
ミコトを守ろうとして、どこかズレた事ばかりする彼は、何も分かっていない。
「私はね、トキ」
彼が素直になれないなら。
自分が、素直になれば良い。
「他の誰かじゃなくて、あなたと一緒に、平和の中で生きていきたいの」
トキは、優しい。
でも、自分が優しくされる事には慣れていない。
ミコトが最初、トキやウォッチが助けてくれる事に戸惑ったように。
彼は、自分が優しさの中で安らぐ事を望んでいると、気付いていない。
目の前でいつもの笑みを消した彼は、こんなにも心細そうに見える。
ミコトは、トキの前に膝をつき、そっと頬に手を添えた。
揺れるトキの目を逃さないように、真っ直ぐに覗き込んで。
ミコトは、自分の心を伝える。
「トキ。今までと違い過ぎて、私達はどう生きたら良いか手探りだけど」
頬に添えた手を滑らせて、ミコトは自分の日に焼けない白い手を、トキの異形の腕に重ねる。
「私は、あなたの事が好きなの。だから、私の未来から、自分を消そうとしないで」




