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「足場の色はこの程度でいいのか?」
「はい、問題ありません。踏み込んで壊れないかどうか確認してもよろしいですか?」
俺が頷けば、玲湶はありがとうございます、と一礼して跳ぶ。
火鉾に割り当てられた昼の鍛錬の時間、広場に出した俺の結界の上で玲湶は何度かジャンプした。横で永莉が感嘆の息をつく。
「やはりああして体を動かしている玲湶様は生き生きしてらっしゃいますね…」
どこか表情は恍惚とすらしていた。正直気味が悪い。
その他の隊員は物珍しそうに囲って見ているだけだというのにこの男だけ異様だ。しかも生き生きしていると言ってはいるが、玲湶の表情は別段いつもと変わらない無表情だ。先程執務室で褒めた時のような笑顔は浮かべていない。
「矜牙軍師」
永莉の観察をしているうちに確認ができたのか、玲湶は(本当に意味が分からないが)申し訳なさそうにこちらを見下ろす。
「どうした」
「もう少しだけ強度を上げていただいてもよろしいでしょうか?
恐らくこれでは私が踏み抜いた時に破壊してしまいます……」
「ふむ……ならばこれくらいか?」
だからどうしてそうまで下手に出るのか。そもそも俺を運び護衛するためのものなのだから、俺にもっと遠慮なく注文をつけてきても構わないというのに。
そう思いつつ、けれどこの補佐官には言っても無駄なため新しく結界を作り直す。丁度今玲湶が足場にしている物の横に同じ大きさで展開した。そちらにやはり跳んで移動し、同じように確認が行われる。
それにしても本当に最初に浮かべていた結界が割れてしまった。瞬発力があるからやわなものでは壊れるだろうと事前に言われていたためあれでも少し強めに作ってはみたのだが、まだまだ俺は己の補佐官の力とやらを測りきれていないのだろう。
そもそも先程の話の最中も何度も突っ込みたい部分があった。岩を切り取るだとか、その上なら対処が可能だとか、大岩を伝って移動や護衛をするだとか、どうなっているのだ。ただしそれについて言及しても何度か練習をすればできるようになりますから、としか返ってきそうにないためあの場では沈黙することにした。あの補佐官はそういった部分でも常識はずれだ。
「これなら問題なさそうです。あの、この足場をいくつも作ったとして軍師にご負担はないのでしょうか?」
「この程度なら万作ったとして負担にはならんな。やはり何か所か必要か?」
「いえ、移動もこれを使えれば通常よりも速くできそうだと思ったのです。ただそれは無理にとは……。
軍師が状況を確認している間だけ、周囲を囲むように五つほど作っていただければ十分です」
本当にこの女は気を遣ってくる。それくらい造作もないと言っているのだからもっと意見を通してくればいいものを。
「お前はこの結界を足場に移動するとして、どの程度の間隔をあけて足場を作っていけば進める?」
「軍師を抱えてとなると最長で十メートル程でしょうか」
「………少しやってみせろ」
本当にこいつは規格外だ。柳栄はどうかわからんが、周りであんぐりと口を開ける火鉾の者達を見ていればそれが一般的でない返答だとわかる。
玲湶の言葉が信用できないわけではないが、単純に十メートルの跳躍というのがどれほどのものなのか確認したくてちょうどそのくらいの距離をあけて再度結界を展開した。結局のところ俺の補佐官は特に気負う様子もなく、一瞬でそちらに移動してしまったわけだが。
「このようなものでしょうか」
「………そうか。ところでお前は下からの攻撃にも対応できるのか?
地面の上なら警戒するのは上空と前後左右でいいだろうが、そこに下方も加わるとなるとお前の方にこそ負担ではないのか?」
「いえ、地上でも土の天術で地下から攻撃を受ける可能性がありますから、普段から三百六十度警戒するよう心がけています。それに殺気さえ感じられれば視界を塞がれても大抵の攻撃は対処できます。……もちろん柳栄将軍ほどのお方の攻撃はまた別枠ですが。恐らく武人は皆そうではないでしょうか?」
「そうなのか?」
俺が視線を向けた先で、志宇は勢いよく首を横に振っていた。
「それができるのは玲湶と将軍だけですって」
「そう、なのですか?では今度そういった訓練をしてみるのもいいかもしれませんね」
恐らく負傷者がかつてない程でそうな内容をさらりと口にして、玲湶は結界から降り俺の斜め後方に戻った。
「……んじゃまあ、足場を使った実戦練習ってやつをやってみますかね。
あ、玲湶。お前さん、目隠ししてやってもらってもいいか?」
「おい志宇、貴様」
「アハハハハ、すんません、勿論じょうだ……」
「わかりました。では不正のないように永莉、これで隠してもらっていいかな?」
「御意に」
「おい……」
志宇の冗談だというのに、玲湶は馬鹿正直にうなずいて自らの髪を縛っていた太めの布を解いて永莉に手渡した。永莉も何を簡単に従っているのか。指名されたことに喜んでいる場合ではないだろう。
「本当に問題はないのです。昔柳栄将軍にこのような鍛錬をつけていただいたことがありますので」
目元を布で巻かれた玲湶はそう言って、まるで見えているのではないかと思うほど正確に俺の方向を向いた。
「朱領の朱家本邸で目隠しをしたまま生活されていた頃を思い出しますね」
「そういえばそんなこともあった。あの時は永莉達に見られるとは思っていなかったけれど」
「急な用事でお伺い致しましたから。
そういったわけですので、玲湶様に対するご心配は不要ですよ。むしろ無礼にあたってしまいます。
ですがもし軍師が不安なようでしたら、今だけ私が軍師役として訓練に参加いたしますが」
自分でも顔が引きつったのを感じた。
本当にこの男は朱家が関わるととんでもなく面倒だ。
「構わん。玲湶、俺を抱えて移動しろ」
「よろしいのですか?」
「お前が問題ないと言うならそうなのだろう」
そう、結局のところこの補佐官は自分に不可能なことは決して口にしないのだ。
無理ならば無理ときちんと口に出すことができる。
可能なことが限りなく広範囲にわたっているだけで――その辺りの線引きはきちんとしているはずだ。
「光栄です。では、失礼します」
右腕が俺の腰にまわり、そのまま予備動作もなく一気に俺達は宙に舞った。
相変わらず俺にはどうなっているのか理解できない身のこなしで何の負荷もなく結界に着地する。
「どうして結界の位置がわかるんだ?」
疑問をそのまま口にすれば、玲湶は言葉を考えるように小さく首を傾げた。
「何と言えばいいのか難しいのですが……そういった気配がするのです。なので距離感や張られた結界の大きさも把握できます」
恐らくこれも、普通ではないのだろう。
「矜牙軍師、周囲にランダムに結界の足場をつくっていただいてもよろしいですか?
今回も二十分間の訓練ですので、最初の五分程は移動中の対応の練習を兼ねて結界を跳び移ったり地面に降りたりしてみたいのですが…」
「構わんぞ。大きさも適当でいいのか?」
「はい。最低限、私の片足の爪先さえ乗るようなサイズならどんなものでも構いません。それと移動をするので最初の五分は……もしかしたら軍師のお体に負荷がかかってしまうこともあるかもしれません。申し訳ありません」
「気にするな、これで一応馬にも乗れるし飛行の天術で宙に浮かぶこともある」
「………なるべく善処します」
困ったように眉を寄せて何か言いたげにした玲湶だったが、結局それだけ決意したような調子で言う。なるべく俺の体に負担がないように移動していく、ということなのだろう。
だからどうしてそう気を――いや、この訓練で俺がこいつの動きにきちんとついていける様子を見せれば(この場合ついていくというのは悲鳴をあげないだとか体調を崩さないだとかの最低限の内容にしぼられる)段々と動きに遠慮がなくなっていくだろう。融通のきかない玲湶に遠慮をするなと言い聞かせるよりこちらの手段の方がよほど早く俺の望む状態にもっていけるはずだ。
ともかくどんな動きをされても平然としていることを心に決め、志宇達に対しても最初の五分間は移動することを伝える玲湶の周囲に言われた通り結界を浮かべた。数は十、大きさも距離感もまちまちだ。
「じゃあ行きますよ―――始め!」
瞬間、俺の体は空中にあった。
「なっ」
「矜牙軍師、行きたい方向があれば指定して下さい」
俺達のいた方向を振り返るといくつもの天術が結界にまとわりついているのが見えた。それをわかっているのか、いつも通りの落ち着いた口調で玲湶が問う。
「……ならまず南だ」
「是」
今向かっていたのは北方だったのだが敢えて逆を言うと、視界がぐるりと半回転する。
「は!?おい馬鹿一体何を」
「逆方向のようなので反転します」
一瞬周囲の景色が止まり、ついで恐ろしい速さで再び動き出す。今までと逆方向に。そうしているうちに再び体が回転した。先程は縦回転だったのに対し、今度は横回転だったが。
今までは背中が地面側、頭から目的方向に向かって跳んでいたがいつの間にか背が空の方向を向いている。段々と体勢も寝ているような状態からきちんと地面に対して垂直になってきた。
「………っておい!ぶつかる!!」
目の前には弓を引いた火鉾の隊員が立っていた。
目が本気だ。恐らく完全に訓練中の心理状態ではない。
「きちんと対処いたしますので問題ありません」
「そんなものどうやっ!?!?!?」
急に目の前の相手が消えた。視線の先に地面が見える。いや違う、頭が地面を向いているのだ。
そして腰から手が離れる感覚。
「おい馬鹿玲湶貴様落ちる!」
「そんなことはさすがに致しません…」
今度は左手が腰に巻き付いた。完全に真正面から抱き抱えられるような体勢になる。そのまま足が地面についた。
膝は少々笑っているが――その場にへたりこまなかった自身を、俺は褒めてやってもいいのではないだろうか。もちろんその要因として玲湶にしっかり体を支えられているというのがあるにしてもだ。
「ばっ……!」
「軍師も私の首に手を回して頂けませんか?
その方が安定するでしょうし、あまり周囲も見えなくなりますから」
「くそ……」
そこでようやく俺も気がついたのだが、何が起こっても声をあげないと心に決めておいて一切成し遂げられていなかった。むしろ最初から今さっきまで騒いでいた。今は訓練だからいいが、実戦ではあまり大声を出しては魔獣の注意を引いてしまう。
これでは補佐官に気を遣われるのも当然だと唇を噛んだ。玲湶の言葉に反論もできず従うしかない。
「矜牙軍師、一応広場の南端まで来たのですが今度はどちらに向かいましょう?」
「……今度はここから時計回りに周囲を回ってくれればいい」
本当に、俺の補佐官は何という規格外の存在なのだ。
自分を情けなく思いつつその補佐官の首に両腕を回す。
何というか――密着感、が増したからなのか玲湶がホッとしたように息をついたのが感じられた。鼓動は一定で息が上がっている様子もない。一体何に反応したのだろうか。
「ではまた進みます。あの、ご気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
「だからお前は……いや、たしかに先程の俺の状態ではお前がそう思うのも無理はないが」
「いえ、違うのです。何というか、前科がありまして…」
「前科?」
「はい。移動しながらお話しても構いませんか?」
頷けば再び身体が上空へ舞い上がる。玲湶の肩越しに炎の天術が通過するのが見えた。
「昔、同じように祠苑様をこうして抱えて移動したことがあるのです。
夜に街中で暗殺者に会ってしまいまして。暗殺者への対応の殆どは影の者に頼んだのですが、馬車で移動していたためそのままでは目立つからと、細い路地や屋根の上などを伝って朱邸に戻りました」
………なんと言うか、やはり突っ込みどころが多い。
まず同じ朱家の本家筋、つまり狙われる側の人間である玲湶が同じく狙われているであろう祠苑殿を抱えて移動するのがどうなのだという話だ。だがそんなところで話を止めてしまえば恐らくこの先何時間経っても終わりそうにない。ここは無言を貫くのが賢明だろう。
そんな俺の考えなど一切読み取れていないであろう玲湶はいつの間にか出していた槍を軽くふるって、どうやら火鉾の隊員十人ほどを吹き飛ばしたようだった。
「ですが道が悪かったと言いますか私があまり祠苑様を気にせずに動いてしまったと言いますか……家に帰ってすぐ祠苑様が体調を崩されてしまって………嘔吐してしまったのです」
ズンッと目に見えて玲湶の周囲の空気が重苦しいものに変わった。
思い出しただけでどれだけ落ち込んでいるのか。
その間も移動の足が止まることはなく、俺が話を大人しく聞いて叫んだりしないことに安心したのか玲湶は積極的に隊員達をなぎ倒していった。とは言っても俺に見えるのは風になびく銀髪と細い肩、そして地に倒れ伏した男達の屍のみだが。
「祠苑様は許して下さったのですが、思えばあの時から祠苑様から、男性をこうして抱えて運ぶのは控えるようにと言われるようになりました。
私の動きはおおよそ一般の方の平衡感覚や三半規管をぐちゃぐちゃにするようなものだし、何より男の方の……意地?と沽券?に関わるから、とのことで」
………祠苑殿の言う内容は、同じ経験をしたであろう者として心から同意できる内容だった。
「ですが」
しかしそこで重苦しかった玲湶の周囲の雰囲気が明るいものにかわる。
「矜牙軍師は今のところ目が回ったりしているご様子はありませんし、周囲の状態を最低限把握できています。とてもよい平衡感覚をお持ちなのですね。恐らく火鉾の隊員でもこれで目を回さない者は限られてくるのではないでしょうか。それで言えばやはり矜牙軍師は軍師となるべく様々な才を持っていらっしゃるということですね。いついかなる時でも周囲が見えなければ先を読むことはできませんから。それにしても正直なところ、これまでの訓練では軍師のお体をどれだけ動かさずにすむかを重点的に考えて行動していましたが、意識が変わりそうです。
天術による結界の足場も素晴らしいですし。こうして色々なところに足場ができれば動きの幅も広がりますので、やはり天術が扱える方は羨ましいですね……。もっとも矜牙軍師ほどの力をお持ちでなければここまでのものを作成することなどできないとは分かっているのですが。
あと、これは私自身の意識の問題なのかもしれませんが軍師が傍にいらした方が護衛として働けている感覚が強まって、なんと言いますか……やる気が出ます。勿論普段から全力で職務にあたらせていただいてはいますが、やはりこうした瞬間は格別です。先程南に向かえと仰られたのも私の勘違いでなければわざと進行方向とは逆に向かわせたということですよね?きちんとご期待に添えたのでしょうか。
お恥ずかしい話ですがまだまだ未熟者なので軍師の望む通りには動けないこともあるかと思います。そういった時にはすぐに仰ってくださいね。あ、そろそろ五分が経過しそうなので最初に作った結界の上に戻っても―――あの、矜牙軍師?体が少し普段より熱い様な気がするのですが、どうかなさいましたか?やはり体調を崩されてしまいました?」
「……うるさい、この大馬鹿者!何なんだお前は、嫌味か!?」
「えっと、あの……?すみません、初めてこういった移動方法を試しましたので、少々浮かれてしまいました。何か失礼な発言をしてしまったのでしょうか……」
浮かれて………永莉の発言はあながち間違いではなかったということか。
はぁ、とため息をついて仕方なしに(他に場所がないため)玲湶の肩に突っ伏した。
これだから裏表のない人間の相手は苦手なんだ…。
ちなみに、分かりにくいが張り切っていたらしい玲湶によって五分経過した時点で敵役となっていた隊員達は全員気絶させられていたため、訓練はそこで終了となった。
今回の遠征でこの移動方法が採用となったのは……不本意だが最善の策なので致し方ないことだ。




