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「邪魔?何を今更。お前が仕事をせずここに来ることが邪魔以外の何だと………」
そう言って眉を寄せた矜牙軍師は、しかしハタと何かに気がついたように動きを止めた。ついでじんわりとその顔を赤く染めていく。
勢いよく私の頬に触れていた手は離され、かわりに柳栄様に見せつけるように至近距離で指をさす。
「ばっ、馬鹿者!何をおかしな誤解をしている!!
こいつがお前との訓練でいらぬ傷を負っていたのを見ていただけだ!!」
「えぇ?だって矜牙、治癒かけてたじゃないか。
どうせ君のことだからお腹だけじゃなく全体にかけたんでしょ?
ほんとにそういう術に関しては大雑把って言うか心配性って言うか…」
「疑うならお前もこっちに来て見てみろ!」
二人の掛け合いを聞きつつ、私は気づかれないように小さく首を傾げた。
誤解とは何だろうか。先程のあの状態は傷を見る以外でどのような誤解を生む状況になるのだろう。よくわからない。けれど矜牙軍師には通じているようだし……これが社会経験の差だろうか。
そうしている間に柳栄様がどれどれ、と私の顔を覗きこむ。そして先程の私よりよほど分かりやすく、不思議そうに首を傾げた。
「ほんとだ、血がついてる。でも矜牙の術が失敗してるはずないし……あ、わかった!」
ちょっとごめんね、玲湶。
そんな言葉とともに慎重に頬に爪がたてられた。
かと言ってそれで私の皮膚が傷つくことはなく、カリカリと何かが剥がされた感覚だけが微かに頬をおそう。
「やっぱり。これ血がこびりついてただけだよ。
たぶん俺の最後の攻撃を流したときの衝撃でほっぺたが切れちゃったんじゃないかな?
それでちょっと血が出てたけど、玲湶の自己治癒力で数秒で傷自体はすぐ治った。ただ血が出たのは確かだから、それだけ消えずに頬につきっぱなしになっちゃった、ってことだと思う。さっきはお互い動いてたから、落ち着いた今になってようやく矜牙が気づいたんだね」
「……なんだ、そういうことか」
「矜牙ってば心配性だなぁ」
「五月蝿い。黙れ」
にやにやとからかってこようとする柳栄様を冷たくそうあしらうと、軍師は不愉快そうな顔で私に手巾を差し出した。
「使え玲湶」
つい反射で受け取ってしまったそれは、いつの間にしたのか天術でわずかに湿り気を帯びていた。何だか以前もこうしていただいたような。
「いえあの、自分のものがありますから!
それに乾いているなら先程柳栄将軍がしてくださったように適当に爪で…」
「もう濡らしてしまったのだから返されても困る」
それは、そうなのだが…
自分でもわかる弱りきった表情で矜牙軍師と手元の手巾を見る。
「……必ず、綺麗に洗ってお返しします」
「勝手にしろ」
「ヒュー、矜牙ってば紳士ー」
「お前はいいかげんそろそろ叩き出されたいらしいな…?」
ヒクヒクと頬をひきつらせる矜牙軍師と柳栄様に断って席をたつ。鏡を見ないと血がついている位置が確認できない。
私が離れたあともお二人はいつも通りの調子で盛り上がっていた。……まあ、そう評すると軍師にはお叱りを受けるのだが。
改めて鏡で確認したところ、確かにお二人が触れていた辺りに小さく血がこびりついていた。しかしかなり小さなものだ。元々浅い傷口だっただろうから、というのもそうだし、柳栄様が手でいくらか取り去ってくれたというのもあるのだろう。こんな小さな血程度で軍師の手を煩わせるなど申し訳ないことだ。
伝えた通り手巾を洗うのは勿論だが、返すときに何かしらのお礼の品も付け加えよう。あまり仰々しいものにしてしまうとお叱りを受けるから(以前屑共に絡まれたおりにも手巾をお借りし、その返却の際菓子折りを渡したところそうなった)その点も考えなければ。
「それで、先程までの続きだが」
血を落として席に戻ると、何故か柳栄様の口には茶菓子に出してあった饅頭がつまっていた。しかも両頬がこれでもかというほど膨らんでいるから、恐らく一個だけではない。
矜牙軍師の天術による拘束なのか手は動かせないらしく、モゴモゴと何かを喋っているのかもしくは饅頭を頑張って食べ進めているのか分からないが口が微かに動いている。
「あの………?」
「気にするな。話の邪魔になるからな、少し静かにさせただけだ」
「…………」
「お前の直属の上司である俺がそう言っているんだ。そして俺の上司である柳栄はこの状況に何も言っていないだろう?」
言っていないと言うか、言えないようにされていると言うか。
しかし矜牙軍師の満足そうな、してやったりとでも言いたげな笑みを見ていると何とも反論がし難かった。
「………はい」
「ふん、お前もなかなか話がわかるようになってきたようだな」
私のぎこちない返事に更に軍師の口角があがる。
とてもではないが、柳栄様の方は見られなかった。
「さて、話を続けるぞ。
姫伊も言っていた話だが、遠征中は基本的にいくつかのチームに分かれて行動をする。覚えているか?」
「はい。火鉾二名に対して水掩が三名です」
「そうだ。俺とお前、そしてここにいる馬鹿者と志宇、姫伊はそれに含まれん。
そうなると火鉾は残り二十四名、水掩は三十九名になる。それを二対三で割り振って、できるチームは十一だ」
「余った火鉾の隊員二名と水掩の六名は物資や木癒の方々の守りが主な任務になったはずかと。
基本的にその任に着くのは初めて遠征に参加する者が多いと聞きました」
従って火鉾からは少なくとも陵亥が選出されるのだろう。
勿論遠征中ずっとその役を務めるわけではないが(怪我をした者の代わりに別のチームに途中参入したりと、状況によって変わっていくらしい)、まずは遠征の雰囲気に慣れることが主な目的になるはずだ。
「チームに関しては俺ではなく志宇と姫伊、そしてこの馬鹿者の管轄だからな。それについては明日にならんと俺もわからないが、お前の予想は間違っていないだろう。
……ふむ、遠征部隊についての基本的なことはきちんと頭に入っているようだな。では今回の遠征地についてはどうだ?」
「遠征地は基本的に壁孔から東西南の三方向に分類されます。五ヶ月に一回ごとの遠征でその全方位を回り、東側の結界壁からちょうど半円を描くように進んでいきます」
遠征の期間はちょうど十日間。
その期間を使って決められた範囲をまわり魔獣を殲滅していく決まりだ。
「その通り。さて、ここからが本番だ。お前の意見が聞きたい。
遠征中進むルートは毎回少しずつずらされている。同じところばかり周っていても地形把握が進まんし、魔獣の種類や生態についての研究も遅れるからな。今回はこのルートだが……」
そう言って矜牙軍師は木簡のなかから一つを取り出しそれを卓に広げた。
大まかな地形が書かれた地図だ。建国当時から何度も繰り返された遠征の中で知りえた、結界壁の外の情報が書き加えられている。
結界壁から半径約十キロを描くように赤く塗られている範囲が今回の遠征で辿ることになる順路。ちなみにこれまでの遠征の最大範囲は結界壁を中心として半径五十キロの地点までなので、そう考えるとかなり内側――結界壁寄りのルートと言える。
「私という護衛がついた状態でどこまで軍師が動けるか、それを確認する上での選択で間違いないでしょうか?」
「ああ。お前を信用していないわけではないが、貴族どもから色々と言われていることも事実だからな。
それにお前は朱家の人間だ、その辺りも関係しているのだろう」
「私はともかく、軍師はこの国にとって得難いお方です。代わりになれるような者は存在しないのですから、当然とも言えます」
それに私が今回の遠征できちんと軍師を守り切ることができればその分次回の遠征ルートが外側になる。ならば私がすることは己の役割を果たすことだけだ。
「………………で、だ」
なんとも言えない表情で(苦虫を百匹程噛んだような顔、とも言えるかもしれない)しばらく黙り込んでしまわれた軍師は、何故か何度も気持ちを入れ替えるようなそぶりで頭をふってから言葉を続ける。
「毎回進行中は、基本的に向かってくる魔獣を倒せるものは倒し、一発で難しいようならいなしてかわすようにしている。そしてこちらにとって戦いやすい状況になったところで行進を止め、迎撃態勢に入る。
今回俺が初回の迎撃のために選んだ地点はここだが、お前はどう見る?」
そういって指をさした場所には印があらかじめつけてある。
迎撃後は事後処理をしてからしばらく進み、開けた土地で天幕を張り夜営する決まりだ。
今回の初回迎撃地点は岩場。傾斜などはないが、足元はゴツゴツしていてたまに大きな岩が立っていることもあるらしい。
「そうですね……もしも矜牙軍師にとって不都合がなければ、私としては問題ないかと」
「不都合?この場所を選んだのは俺だぞ?」
「はい。そしてこのルートを辿る際はこの場所が迎撃地点に選ばれることが多いとも書かれていたので把握しております。ですがそれは、今までのやり方を続けていた時の選択では?」
「ほう」
「今回軍師は私とともに、最前線とまではいきませんが少なくとも戦いの場に出られることになります。
これまでは陣の奥、木癒の方々が治療を行う場所にいらっしゃったとのこと。ですが今回はそうはいきません。指示を出すため、そして先々の行動の予定を立て必要ならば作戦の修正を行うためにある程度周囲を見回せるような手段が必要になるかと思います。そのための手段として第一に挙げられるのがご自身の視覚による確認ですが――この岩場では、目視ですべてを把握することはできないのではないでしょうか」
「………なるほどな」
矜牙軍師が興味深そうに呟いた。考えるように視線が伏せられる。
軍師自身何度かこれまでの遠征で通ったことのあるルートを、今思い出しているのかもしれない。
「もちろん私は軍師とともに移動することも可能ですので、例えば軍師を抱えて大きな岩場を足場にして動くこともできます。ただその場合足場が悪いので恐らく岩の上から軍師自身の足では一歩も動くことはできません。そして高い位置に立つ分魔獣からの襲撃は多くなります。勿論対処はすべて私が行いますが、少し集中を邪魔されることはあり得るかと。
もしくは矜牙軍師の天術で飛行型の魔獣以外が届かないような場所に浮くことで状況把握をする、という手段もとれますが、その場合はお手数ですが私も浮かび上がらせていただく必要があります。ただこちらは護衛としては賛同しかねる手段です。私が自分で飛行天術を扱えればよかったのですが、軍師に浮かせていただくとなると私の動きが普段より制限されることになりますので………力不足で申し訳ありません」
私が飛行の天術を扱えれば、自由に動けるため護衛も普段通り行えただろうに。
悔しい気持ちでため息を吐くと、軍師はいや、と否定の言葉を口にした。
「構わん。それにしても――なかなかいいところを突いてくる」
「光栄、です」
嬉しい。護衛としてではなく、こういったことでお褒めの言葉をいただくのは初めてのことだ。
「……おい、その顔をやめろ」
「あ、申し訳ありません。見苦しいところを……」
慌ててゆるんでだらしなくなっているであろう表情を戻す。
「そういう意味ではない。ただ調子が狂うと……いや、いい。楽にしていろ」
はあ、とため息を吐いて軍師は饅頭を手に取った。そしてそれを何の遠慮もない動作で柳栄様の口に突きこむ。
モゴッと言葉にならない柳栄様の悲鳴が聞こえた気がした。もうそれなりに口の中の饅頭は減っていたのに、残念ながらこれで最初の状態に後戻りだ。それをなんとはなしに見ていると、少し気まずげに軍師が私を見る。
「すまんな。せっかくお前が用意してきたものをこんな馬鹿に消費してしまった」
「あ、いえ、お気になさらないで下さい」
「いや、もったいないしこれを最後にして残りは俺とお前で食べるとしよう。
そもそも働いてもいない者にこの扱いは不相応だったな。この中身も茶ではなく水でいい」
頬を拭くために席をたった時一緒に用意していた柳栄様用の茶器に軍師が手を伸ばす。
柳栄様は口が饅頭に占領されていたのと手を拘束されていたことで、結局一口も口をつけていなかったのだ。
モゴ、と柳栄様の悲鳴?が強まる。それに聞こえていないふりをしているらしい矜牙軍師は、ぐいっと柳栄様のお茶を飲み干してしまった。
空になった器をもって席を立つ軍師は、そのまま室に設置されている簡単な洗い場に向かう。
「矜牙軍師、私が……」
「お前は座っていろ。こいつに水をついでやるだけだ」
そう言って本当に流しからそのまま器に水をつぎ、それを適当に柳栄様の目の前に置いて自分はゆったり腰かける。そして自らの茶器に入ったお茶に、機嫌よさそうに口をつけた。
「玲湶、これを飲み終わったらもう一杯注げ」
「は、はい………」
柳栄様はもはや涙目だった。
「それで迎撃地点だが……そうだな、例えばお前に俺がこの辺りに向かいたいと言ったとして、その移動はお前に抱えられて行くわけだな?」
「そう、なりますが……あの…」
「それで魔獣への対処は大丈夫なのか?片手しか使えんだろう」
「基本的に私は魔獣を殲滅するより軍師をお守りするのが役目ですので、最悪の場合手傷を負わせてひるませることが出来れば問題ないのです。そうすれば距離も取れますし、もしもの時は結界を張っていただければ両手での対応も可能ですし。それよりも……」
「ふむ……では到着した場所が開けているところだった場合、お前が俺を護衛する上で不都合はあるか?」
「いえ、問題ありません。私が自らの足で動くことができればどの様な場所であっても大丈夫かと。……その、矜牙ぐん」
「ならば岩場で、一番高い場所に俺が連れて行けと命じた場合はどうする?」
「その場合はまず軍師を抱えさせて頂いて跳び、一番高い岩の頂上部分を少し切り取って私と軍師が立てる程度の足場を作成します。ただその分数十センチ岩は小さくなってしまいますが。そこに軍師に立っていただき、私は傍で護衛を行うことになるかと。
すぐ近くにいくつか岩が乱立してあるならばそちらに私だけ移っても護衛が可能です。同程度の高さに足場さえあれば私は身軽な方なので移動できますし……それよりもぐん」
「空中に俺が足場代わりに薄い結界を張るのはどうだ?」
「それが見えるように少し色を付けていただくことが出来るなら問題ありません。……あの」
「………玲湶、昼の鍛錬に顔を出すぞ。俺の結界を足場にしてお前がどれだけ動けるか確認する。訓練相手になるように志宇達に通達しておこう。それが上手くいくようなら初回迎撃場所はこのままこの地点を採用する。それと……」
そこでようやく矜牙軍師は柳栄様の方を見た。
ひんやりと冷たい視線だったが。
「この大馬鹿者については気にするな。気を遣うだけ時間の無駄だ。
そのうち饅頭も食べきるだろうし、そうしたら俺も天術を解いて水くらい飲ませてやる。
そんなどうでもいいことより次の迎撃地点について―――いや」
矜牙軍師はいいことを思いついた、とばかりに口の端を上げた。
「もう一杯茶を注げ。俺と、お前用にな。この室にあるものの中で一番いい茶葉を使って構わんぞ」




