覚え書き14 倫理は教えられない
主な登場人物
・海福ブレイド玲奈
主人公の高校1年生の女子。身長が180㎝あるクルド人との「ハーフ」。学校でレイシストにいじめられるルッキズムの持ち主。ジンベイ君との初デートでクマに食われた死体を発見する。
・ジンベイ君
身長が2mあるジャマイカ人との「ハーフ」。本名:蘭堂駿平太。男は殴るが女は殴らない差別主義者。
・津玉 茉佑香
ブレイド玲奈の所属するクラスカースト上位グループのボス。小学生のころからブレイド玲奈をいじめるだけでは飽き足らず、新しく出来た彼氏との関係上、目障りになった元カレ「ジンベイ君」を押し付ける。スペイン人との「ハーフ」。
キリスト「わたしは真理を証しするためにこの世に来たのだ」
ピラト総督「真理とは何か」
キリスト教の聖書の最大の「欠陥」はこの問いにイエス・キリストが何と答えたか書かなかった事である。アタシは中学二年生の時、聖書を読んで一番知りたかったことがはぐらかされたような気がして失望した。答えられなかったから書かれていないと思ったアタシはこのイエス・キリストという奴はとんでもないペテン師だと思った。なにが「求めよさらば与えられん」だ。
朝起きるとまず脇の濡れたブラウスを脱いでシャワーを浴びた。家の昭和時代の浴槽では体育座りしないと湯船につかれないタイプなのでアタシのように大柄だと魔女裁判の拷問のようになるので入れない。シャワーの後、制服を着るとファブリーズを体中に噴霧した。
スマホを確認すると何も通知が来ていなかった。そういえばジンベイ君と連絡先も交換していなかった。アタシは朝食を簡単に済ますと学校に出かけた。
校舎内に入ると花壇のブロックに腰かけたジンベイ君に豆山君がなにやら切々と訴えていた。昨日のいじめ被害についてかもしれない。二人にあいさつし話しかけるも豆山は割り込んできたアタシに思い切り嫌な顔をしたのでそのまま教室に向かった。
クラスで微妙な立ち位置にある者はあんまり早く教室に入るべきでない。他の生徒の物が無くなったときに、盗んだことにされるからである。あるいは無くなったことにして盗んでいないことを証明させようとする「悪魔」がいる。
計算しつくした時間で教室に入るとすでに何人かの生徒がいた。申し分程度に挨拶を振りまいて席に座り支度をしていると、濡れ衣を被せようとした「悪魔」檜山が津玉と一緒に教室に入ってきた。
濡れ衣事件はGW明けの教室での秩序形成がひと段落したころである。どうも檜山は登校して古文の教科書を忘れたのに気が付いたが腹いせに、たまたま朝一に教室に来たのがアタシなので盗んだ、と言い掛かりをつけてきた。教室中を探しても教科書は見つからず、アタシは盗みも隠しもしてないし教室にも出ていないと言ったがしつこく盗んだとなじってきた。だがそこから話が大きくなりジンベイ君がそれなら朝アタシが教室に入った後、教室の外に何か持ち出していないか廊下に設置されている監視カメラを先生に確認してもらおうというと、途端に檜山は勘違いかもしれないと言い出した。結局檜山の勘違いでその件はケリがつけられた。
「おはようございます津玉さん檜山さん」
「豚ちゃんおはよう」
そういうと自席が教壇の真ん前の檜山は窓際の角に位置するアタシの席まで来てアタシの鼻先を押した
「やめなよ檜山」
津玉は笑いながら心にもない事を言って昨日のことを聞いてきた。
「ところで昨日のデート、どうだった。蘭堂とはもうヤッタの?」
「初デートでそれはないです。少し話して一緒にご飯を食べただけです」
説明するのが厄介なので死体を見つけたことは話さないでおこう。檜山が驚いたように言ってきた
「え、やってないの。すごいらしいよ、蘭堂のラスチン」
「ラスチン?」
元カノの津玉の方を見ると顔を赤らめつつ檜山を睨んだが、檜山はしゃべるのをやめられなかった
「すごいらしいよ、ラスチン、ラスボスチンコ。最初仮性包茎だけど、勃つとデカクなって半剥けの第二形態になって、ナカに入れると完全形態になって津玉でも全部入りき……」
そこで津玉が檜山を全力で引っ張って連れ去った。毎日アタシに嫌がらせのようにスマホに送ってくる今カレ星美君とのデート写真では清楚なお嬢様系を演じているように見えるので、イメージを壊すようなことが広まりたくないのだろう。
HR開始時間ギリギリになってアタシの彼氏にして津玉の元カレ、ジンベイ君が教室に入ってきた。そのあと、すぐに副担の峯山も入ってきた。副担の峯山雅和は今年大学を卒業して貴重な新卒カードをこんな学校につかってしまった先生だが、スタイルもルックスも良く女子生徒の受けがいい。だが如何せん経験がなく授業とか指導とか教師としてはいささか心もとない。
本来の担任の現国の教師坂島紀子は50過ぎくらいの独身専業小説家志望の人で小説賞の締め切りが近づくと授業が休みになるといわれ、1学期は休みがひどく特に6月は丸々1か月学校に来なかった。先日だか今年度の受賞作が発表され1週間の音信不通の後、今はわりとまともに出勤しているが今日は執筆活動の日なのだろう。
HRが終わりに1限目は峯山先生が担当する「倫理」である。峯山先生は社会科の教師であるのだが「政治・経済」と「世界史・日本史・歴史総合」「地理」が本来の担当のはずだがさらに「倫理」と「公共」も任されているが、専門外故かたまに地の価値観が垣間見えるのでかえって面白い。
今日の授業は日本の仏教についてだが、どうも仏教の教えは今のアタシと結び付けることができず退屈である。
峯山先生は4月当初はやる気に満ち満ちていて2010年代には流行ったマイケル・サンデルの如くディベート形式の授業をやったが段々と授業が退屈になり今では教科書に書いていることを延々と垂れ流すことも多くなった。
噂では専門外の科目でも3年生の校内模試やミニテストの採点と小論文の添削などの業務も回され相当疲弊しているらしい。
新人つぶしのようなオーバーワークに加え、追い打ちをかけるようにうちのクラスのほかに担任を任された1-D組ではいじめが起きておりその対応にもまた苦慮しているらしい。なにせ1-Dクラスはクルド系のアタシをいじめるが、日本人もいじめる平等主義者大島タケルや土井孝が幅を利かせるクラスである。1-Dクラスは担任がもともといたが、夏休み以降学校に来なくなってしまい峯山先生が副担から担任となったが、倫理を教える担任のもとでいじめが起こっているのは何とも皮肉なことだ。
ソクラテスは「メムノン」のなかで倫理は教えられないと言った。
「笛吹けど踊らず」。倫理の授業ではイジメのインセンティブを排除できないようである。とはいえなんだかんだアタシの一番好きな授業である。生き物と人間の観察と自身の経験だけでは得られない何かがを得られるからだと思う。
あらためて「真理とは何か」
辞書の定義以上を求めても結局いろいろな哲学者のいろいろな「真理」についての考察はありそうだが「唯一無二」の「真理」はなさそうである。
もしキリストが
「それは42だ」
と言ったら、今のキリスト教徒は42を真理として崇めているのだろうか。真理は与えられるものでなく自ら求めるというのが聖書のキリストの教えなのだろう。
そしていろいろ拝見した哲学者の「真理」についてのご意見の中で一番おもしろいのはショーペンハウアーのもので
「真理は娼婦ではないから、それを渇望してもいない男の首たまに飛びついたりしないのだ。むしろ真理はとりつきにくい美貌の女で、彼女のためにすべてを犠牲にした男でさえ、彼女の寵愛を確実に手に入れるとは決まっていないのだ」
いやいや誰も確実に手に入れたことはないでしょう。確実に手に入れたという奴は脳内の二次嫁と結婚しているだけである。
このいかにもオス目線の考えをメスに置き換えると、倫理や哲学に「真理」を求めるのは、ホストに真実の愛を求めるメンヘラ女みたいに不可能ということだ。
古代ギリシア以前にも奴隷制は在り働かなくてもいい暇人は多くいたがなぜかソクラテスの生きた時代に「何もしないことに価値を見出す」エリートニートたちが爆誕した。そいつらがはじめた倫理や哲学に興味を持ってしまったメンヘラなアタシは碌な生き方ができないだろう。
(筆者より)
中学生のころはお釈迦様の脳波がわかれば、機械で同じような脳波にすればお釈迦様レベルの悟りが超タイパ良く開かれるんじゃね?と中二病全開で思ったりしました。まあそれと似た発想をガチでやったのがオウム真理教でなんでも教祖と同じ脳波になるヘッドギアなるヘルメットのような装置を頭に着けていたそうです。精神的な問題を抱え宗教に引き寄せられたエリート大学出身の理系の信者が騙されたのもこんな子供だましだったようです。




