7月1日『なぞなぞ』
七月。
窓から入る風が湿気を含んで重い。ケヤキの葉が午後の光を受けて、閲覧室の天井に緑の影を落としている。
午後。
アンネリーゼが夏期読書講座の書類を届けに来て、「少しだけ涼ませてください」と閲覧席に座っていた。そこに、あの三人組がやってきた。先頭のマルクス、がっしりした体格のゴルト、丸い耳のリーネ。いつもの順番だった。
古書棚の前でゴルトが一冊を引き抜いた。『なぞなぞ百選』。革表紙が手脂で黒光りしている。何世代もの手を経てきた本だ。
「百問全部やろうよ」
「二十問もやれば上出来じゃない?」
「えー……どうせ五問で飽きるよ」
三人が閲覧席に陣取ると、だんだんと声が大きくなった。
私はカウンターから静かに近づき、人差し指を唇に当てた。三人がびくっとした。
◇
最初の一問はマルクスが選んだ。
「『言葉をたくさん持っているのに、一度もしゃべったことがないものは?』」
「本でしょ」リーネが即答した。
「あ! 早すぎ! もっと面白くて難しいの選ぶ!」
「まあまあ、順番にやろうよ」
「順番通りにやったら面白いのに辿り着く前に飽きちゃうよ」
「ほら。……飽きるって自分で言ってるじゃない」
マルクスが悔しそうにページをめくった。
◇
二問目。リーネが指さした問いをゴルトが読む。
「『あなたのものなのに、他の人のほうがよく使うものは?』」
「影!」マルクスが即答する。「――いや待て。影って使うものかな?」
「使わないでしょ。勝手にくっ付いてくるだけ」とリーネ。
「じゃあ影は誰のものでもないんだ……」
「お。なんか今、かっこいいこと言ったよ」ゴルトの丸い鼻の穴がぱっと膨らんだ。
「え、なんか言った?」
「……名前」リーネがぼそっと正解を言った。
「えー。でも名前って自分も使うじゃん。自己紹介のときとか」とマルクスが食い下がる。
「自己紹介は相手に渡すため。それに、相手から呼ばれる方が多いじゃない?」
「……屁理屈じゃん」
「なぞなぞに屁理屈って言う人、初めて見た」
その時、閲覧席のほうからアンネリーゼの笑い声が漏れた。三人が振り向く。
「名前って不思議よね。呼ばれるたびに意味が変わるような気がするのよね」
「先生! ……お客さんなら入場料を払ってもらおうか」
マルクスが身を乗り出す。
「そうだ。なぞなぞ一問、先生も出してよ。入場料替わりだよ」
ゴルトが巨躯を揺らして笑った。
◇
三問目はアンネリーゼが出した。
「『扉を開けたとき、あなたより先に中へ入るものは?』」
「俺!」
「……『あんたより先』って言ってるじゃん」
「あ」
「風じゃない?」ゴルトが首を傾げる。「扉開けたら、ふわって来るよね」
「風は扉を開けた時に、もう中にいるじゃん。先に入るのとはなんか違う気がする」
「まあ、確かにそうか」
「光でしょ」リーネが言った。「扉が開いた瞬間に、誰よりも先に奥まで届く」
正解だ。マルクスが机に突っ伏した。
「……先生の問題、ちょっと難しくない?」
「お客さんですから、手加減はしませんよ」
◇
四問目はリーネが選んだ。ページを指さして、マルクスに読ませる。
「『その名前を口にしたら壊れるものは?』」
「秘密!」マルクスが叫ぶ。
「言葉にしただけじゃ壊れないでしょ。中身を言わなきゃいいもの」
「秘密の名前は秘密なのよ」リーネが平然と返す。
「それ答えになってない」
「会話としては成立してるね」
「約束……は、うーん。壊れるというより破るかしら。それに、言葉にしただけじゃ破れないわね」
アンネリーゼが首を傾げた。リーネの丸い耳がぴくりと動いた。
「……沈黙」
一瞬、全員が黙る。閲覧室に静けさが降りてくる。奥の棚で本が傾く小さな音が響いた。
「――俺たちさっきからずっと壊してたのか」
「まあ、図書館でやるなぞなぞとしては最高の答えかもね」ゴルトがへらっと笑った。
マルクスが声を上げる。
「うぅ。なんでリーネばっかり当たるんだよ!」
「なぞなぞって、案外一番つまらなそうなのが正解なの」
リーネが小さく肩を揺らした。
◇
五問目。アンネリーゼが少し間を置いてから読み上げた。
「では、『自分は動かないのに、人を遠くまで連れて行くものは?』」
「船!」
「船は動くじゃない」
「あ……じゃあ。えっと、風!」
「風も動く。動くものしか思いつかないの?」
「……動かないのに連れて行くって、矛盾してない?」
「まあ、矛盾してるからなぞなぞなんだろうけど」ゴルトが腕を組んだ。
「……道?」リーネがぽつりと言った。
少し静かになった。マルクスとリーネが窓の外を見る。石畳の道が夏の光を受けて白く伸びていた。
「本もそうだよね」ゴルトが静かに言った。「動かないのに、読んだら遠くまで行った気がする」
アンネリーゼの手が膝の上で止まった。
「じゃあ、この椅子だってそうかも」リーネが呟いた。
「座ってるだけなのに、本さえあれば、どこにでも行ける」
◇
六問目。アンネリーゼがページをめくる。
「『誰もが持っているのに、誰にも見せられないものは?』」
「おなら?」
全員が吹き出した。ゴルトが体を揺らして笑い、椅子がきしむ。
「なぞなぞの答えにおならって書いてある本があったら読んでみたいよ」ゴルトが目を拭いている。
「考え……いや、考えは言葉や文字にできるな」リーネが首を傾げる。
「……考えの手前にあるもの。まだ言葉になっていないもの。うーん」
「じゃあ秘密?」とマルクス。
「さっき不正解だったじゃん」
「あれは別の問題だよ」
アンネリーゼが少し考えてから言った。
「……未来? かしら。誰もが持っているけれど、見せるころにはもう過去になっている」
四人の手が同時に答えのページへ伸びた。
――ページが、破れていた。
「あ! 司書さん! この本、答え破れてます!」
マルクスが本を差し出した。私は受け取り、破れた跡を確かめる。
「……答え、わからないままかなあ」
「ええ。でも、あなたたちの答えの中にあるかもしれませんね」
「でもそれ、なぞなぞの答えとしては、少々ずるいですけどね」
アンネリーゼが苦笑した。
◇
三人が帰り支度を始めていた。
「じゃあ来週、あのページの答え考えてくるから」
「……俺も考えてみるよ」
「わたしも」
「お、珍しく素直」
「素直じゃない。負けたくないだけ」
三人の足音が遠ざかった。アンネリーゼがカウンターに寄る。
「答えのないなぞなぞが、一番面白いのかもしれません」
「ええ。答えがないのではなくて、まだ見つかっていないだけかもしれません」
◇
閉館。
棚に戻された本を取り出して見つめる。革表紙には何十年分もの手垢が染み込んでいる。破れたページの端に、かすかなインクの跡がある。誰かが答えを書き込もうとして――やめたのだろうか。あるいは、書いたものを消した跡なのだろうか。
引き出しの奥。答えをその内に秘めたまま、黙っている本がもう一冊。
七月が始まった。
制作メモ:四層構造の文体プロンプトv3。プロットジェネレーター完成。




