表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
86/118

6月25日『載らない名前』

挿絵(By みてみん)

 木曜日。晴れ。


 月次の貸出集計に取りかかる。数字を拾っていく途中で、扉が開いた。


 縦にまっすぐ伸びた長い耳に、短く刈り込んだ白髪。背が高く、痩せた女性。襟は一分の歪みもなく、ボタンが一つ残らず留まっている。


「王立行政府、記録監査局のエーデルガルトです。年次の定例調査に参りました」


 封蝋つきの書簡と行政府の印。毎年六月末に届く調査書。例年は書面で済んでいた。直接来館は初めてのことだ。


「今年は現地確認を含む調査に変更となりましたので」


 変更の理由は述べなかった。革装の手帳。削りの均一な鉛筆。迷いのない所作で閲覧机に向かう。


           ◇


 貸出台帳、蔵書管理台帳、来館者記録をそれぞれ並べた。


「六月の貸出件数ですが、前年同月比で――」


「一割増です」


「理由を伺えますか」


「鍛冶祭の準備で、技術書の閲覧が増えまして」


 短い問いに、短い答え。帳簿のページがめくれる音だけが間を埋めていく。エーデルガルトの長い耳が、質問のたびにわずかに傾く。


「蔵書管理台帳の総数。――こちらは全階を含んでおりますね」


「一階から三階までです。四階は秘蔵書庫のため別管理となっています」


「台帳はございますか」


「施錠した書庫内にて保管しています」


 手帳に書きつける。それだけ。


「六月中に施設管理上の特記事項はございませんか。鍵の交換、施錠の不備、修繕等」


「ありません」


 鉛筆が手帳の上を走る小さな音。


 修復依頼、蔵書廃棄、新規受入件数等々。次々と数字を追い、三階の棚を一つずつ見て回ってから、エーデルガルトは戻ってきた。


「保存状態は良好です」


 それが褒め言葉だと分かるまで、少しかかった。


 蔵書管理台帳に戻る。ページをめくる指が止まった。在架数と総数を照らし合わせている。


「一冊、合いませんね」


「先日、修復の過程で台帳番号の整理が発生しました。海賊版が一冊混在していたため、分類を保留にしています」


「保留。――注記で対応してください」


 それだけ。深追いはしない。


           ◇


 監査の手が帳簿に戻ったところで、扉がまた開いた。


 灰色の外套。短い角。大柄な男性が本を一冊、カウンターに置く。


「先日お借りした本の返却に」


 レオン。古書商として来館する、ここ最近の顔。手続きを済ませ、新しい一冊を借りる。利用証を記帳していると、閲覧机からエーデルガルトが顔を上げた。


「――失礼。その胸の留め具、見慣れない規格ですね。行政府のものとも違う」


 レオンの目が一瞬だけ鋭くなった。だが声は穏やかなまま。


「……いやはや、お目が高い。以前、とある王家との取引で頂いたものでして。それ以来、癖でつけたままにしております。古物商をしていると、いろいろなものが手元に残ります」


「なるほど。物は来歴を語る、ということですか」


「帳簿と同じでしょう。数字にも来歴がある。そして、嘘をつかない」


「いえ。並べるのは人です。数字は嘘をつきませんが、選ばれなかったものは――私の管轄ではありません」


「いい線引きです。……追う仕事をしていると、線の外ばかり気になるものです」


 エーデルガルトは手帳に視線を戻した。


 レオンがカウンター越しに本を受け取り、そして口元がわずかに動いた。


「……このあたり、随分と静かになりましたね」


 灰色の外套が扉の向こうに消えた。


           ◇


 静かになった閲覧室で、エーデルガルトが来館者記録に目を移す。


「この記録。貸出以外の用件が多いようですね」


 相談。修復。閲覧のみ。資料調査。借りずに帰る人が三割以上いる。


 耳がわずかに動いた。窓の外に向けて。遠くから金属を打つ音が届いている。


「音が聞こえますね」


「鍛冶場です。この時間帯は第二炉が動いている時間です」


 しばらく、どちらも何も言わなかった。鍛冶場の槌の音が、窓越しに遠く届いている。


「……記録に残るものと、残らないもの。数えられるものと、数えられないもの。――どちらが多いと思いますか」


「残らないもののほうが、多いと思います」


 手帳を閉じた。鉛筆を胸ポケットにしまう。


「帳簿は正確でした。先ほどの注記の追加を一点。それ以外に指摘事項はありません」


 書類鞄の留め金がかちりと鳴る。帰り支度を整え終えてから、エーデルガルトはまっすぐにこちらを見た。


「今年の六月は、穏やかでしたか」


 帳簿とは関係のない質問だった。


「ええ。穏やかな六月でした」


「そうですか」


 それだけだった。


           ◇


「来年は書面で済むことを、願っています」


 エーデルガルトが振り返らずに、一言。そして、扉が閉まった。


 台帳を開いた。六月二十一日。来館者の名前。借りた本。返した本。――あの日の欄に、あるはずの名前がない。


 台帳に載らない本が一冊。台帳に載らない名前が一つ。


 ふと思った。あの人は帳簿を見に来ただけだったのだろうか。


 それとも――私の声を、聴きに来たのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ