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6月22日『祭りのあと』

挿絵(By みてみん)

 月曜日。


 窓を開けると、鉄と炭の匂いがまだ残っていた。


 広場では片付けがもう始まっている。金床が荷車に載せられていく。地面に、丸い跡が三つ。


 跡はそのうち雨で消える。けれど今朝のところはまだ、くっきりと形が残っている。


 カウンターに座る。貸出台帳を開いて、今日の日付を書き入れた。


           ◇


 午前。扉が開いて、声が先に飛び込んできた。


「おはようございまっす!」


 ルッツだ。太い腕に本を抱えて、カウンターまで駆けてくる。腕の硬い毛が逆立っている。よほど嬉しい事でもあったのだろう。


 袖をまくって見せたのは、日焼けした肌に浮かぶ小さな赤い火傷の跡だった。


「鉄花火っすよ! 跳ねたやつが当たって。でも全然痛くないっす」


 痛くないわけがないけれど、この子は笑っている。


 祭りの話がとまらない。昼の合奏のこと、夜の高炉の大点火のこと、セラの打つ音がきれいだったこと。


「信じてやってみるもんっす。息が合うか不安だったんすけど、叩いたらぴったりだった」


 ルッツが窓の外を見た。


「でも不思議っすよね。……昨日あんなに賑やかだったのに、今日はもう普通っす。祭りって、終わると嘘みたいに思えるっすよね」


「でも、腕の火傷は本物ですよ」


「あ——」


 ルッツは自分の腕を見下ろして、少し目を丸くした。


「たしかに。これは残ってるっすね」


 そうだ。残るものは残る。


「あ、そうだ」


 帰り際、ルッツが思い出したように言った。


「昨日、工房街の裏通りまで人が出てたっすよ。それで、夜番の連中も夜回りに出てたらしくて」


 腕を組んで、首を傾げた。


「けど、何にもなかったらしいっす。盗賊の噂知ってます? 祭りの夜は気をつけろって言われてたのに。まあ、その方が良かったんすけどね」


 大きな足音が階段を降りていった。


 返却された本のあいだに、紙片が一枚はさまっていた。


 ——しょしさんへ まつりたのしかったです ルッツ


           ◇


 昼過ぎ。ハンスが広場に向かう途中で立ち寄った。額が汗で鈍く光っている。朝から片付けに出ていたのだろう。


「十二個、全部飾れたっす。親方と姐さんには『来年は二十四個だ』って言われたけど……」


 図案を返却する。見せてくれた画帳は、最後のページまで使い切ってあった。六角形の鉄飾りが、どのページにも隙間なく並んでいた。


「また借りに来ます。次は花のモチーフで調べたいことがあって」


 煤の染みた太い指先が、カウンターに小さな黒い跡を残していった。


 すると、ちょうど中庭のほうで足音がして、リンデの姿が見えた。


 植木鉢の前にしゃがみ込んで、しばらくじっと見つめていた。やがてこちらに気づいて、小さく手を振る。


「五枚目の葉、出てますね」


 それだけ言って、深く頭を下げてから帰っていった。


           ◇


 カミラが焼き菓子の箱を持ってきたのは、午後も遅い時間だった。


「祭りで全部出したつもりが、一箱余ってて」


 箱の底に、白い紙が敷いてあった。出店の箱には紙を敷かない。これは、最初から誰かに渡すために作った箱だ。


「司書さん、昨日は図書館にいたでしょう?」


「ええ。ここにいました」


 声が少しだけ硬くなったのを、自分で聞いた。嘘ではない。ここにいた。


 ただ、一人ではなかっただけ。


           ◇


 来館者が途絶えた。


 白葉草の焼き菓子の甘い香りが、静かなカウンターに広がっている。


 『祭りって、終わると嘘みたいっすよね』。


 ルッツの声が、耳の奥で繰り返す。あの時間も、嘘のようだった。


 ふと、通りの向こうに二つの影が見えた。


 ザラだ。


 隣に小柄な影がもう一つ。灰色の体毛に三角の耳——フェイ。腰に短剣を帯びている。討伐隊の軍装だろう。二人とも北の街道に向かって歩いている。


 ザラが何か言って、フェイの耳がぴんと立った。それから二人とも笑った。声はここまで届かないけれど、肩の揺れ方でわかる。


 ザラがふいにこちらを見た気がした。気のせいかもしれない。でも、軽く片手を上げる仕草をした。私も、窓の内側から小さく手を振った。届いたかどうかは、わからない。


 二つの影が角を曲がって、見えなくなった。


 ——昔は、あの列の中に私もいた。


 剣を提げて、夜道を歩いた。朝露を踏んで、誰かの背中を追いかけた。戦って、守って、傷を数えた。


 今はここにいる。


           ◇


 消灯。


 祭りのあと。街は次第に普段の生活へと戻っていく。金床の跡はそのうち消える。ルッツの火傷もいつか治る。


 いつまでも残るのは——本と、記録と、この引き出しの中身だけ。


 私だけが、まだ昨日の四階にいる。

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