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或る司書の逸話  作者: セドカンナレオ / クローディア
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4月5日『窓辺の春』

挿絵(By みてみん)

 図書館は、いつもより静かだった。


 工場が休みだからだ。隣の鍛冶工房も閉まっている。普段なら響く金槌の音も、蒸気機関の唸りも、今日は聞こえない。代わりに、建物自身の音が聞こえる。梁が温まって軋む音。書架の木が呼吸するかすかな音。どこかの窓枠が風に揺れている。普段は気づかない音ばかりだ。日曜日だけ、この建物は自分の声を出すのかもしれない。


 私は二階の窓際の席で、古い技術書の簡単な補修作業をしていた。


 『金属結晶加工法――師伝の記録』。背表紙が剥がれかけ、ページの端が破れている。表紙の角は、何度も開かれたせいで丸く摩耗していた。指で触れると、革の表面に無数の手の跡がある。何十年分もの掌の脂が、革に染み込んでいる。


 窓の外では、春の花が風に散っていた。


 花弁が一枚、開いた窓から入ってきて、修理中のページに落ちた。払おうとして、手が止まる。


           ◇


 この本には、『持ち主』がいた。


 垂れた長い耳、頭部に生えた小さな角、白く増えた体毛。大きな手は節くれだっていて、爪の間に土の色が残っていた。鉱山で半世紀以上を過ごした手だ。


 私が生まれるよりずっと前から、彼はこの図書館に通っていたという。


 毎週火曜日、同じ時間に来る。いつも同じ本を開き、いつも同じページで栞を挟む。


 なぜ同じ本ばかり読むのか。ある日、思い切って尋ねてみた。


「友人が持っていた本だ」


 彼は静かに答えた。


「友人の書き込みが、ほら、ここに残っている。友人はもういない。だが、この書き込みを読むと、友人の声が聞こえるような気がする」


 友人は人間だったという。炎の能力(リンクス)を持ち、金属を熱して自在に形を変える職人だった。


 老人自身は土の能力を持っていた。鉱物を探り当てる力だ。しかし、掘り出すことと形にすることは別の技だ。彼は「形にする」ことはできない。


「私が見つけた鉱石を、友人が炉で熱し、美しい細工に変えてくれた。何十年も、そうやって一緒に仕事をしてきたのだが――」


 彼は窓の外を見ながら続けた。


「友人は私より先に逝ってしまった。私の種族は長く生きすぎる。人間は、そうではない」


 声は静かだった。


「友人の技術は、私には使えない。それでも知りたかったのだ。友人が何を考え、どうやって形を生み出していたのかを。私にはできない。だからこそ――」


 彼は生涯をかけて、一冊の本を読んだ。


 昨年の冬、彼は亡くなった。


           ◇


 私は今、この本を修理している。


 剥がれた背表紙を貼り直す。破れたページを繋ぎ合わせる。


 手を動かしながら、別の来館者のことを思い出した。


 光沢のある肌と、薄い羽根を持つ若い娘だ。短命の種族だった。


 彼女は半年前からこの図書館に通っている。毎週日曜日、開館から閉館まで読み続ける。ただし、借りる本は毎週違う。技術書、歴史書、地理書――何でも読む。


「時間がないの」


 彼女はいつもそう言う。


 彼女には未来の断片が視えるのだという。ただし断片だけだ。それが何を意味するのかは分からない。だから読む。視えた断片を理解するために。


 彼女は自分の死も視えている、と言っていた。いつかは分からない。ただ、そう遠くないことだけは分かる、と。


 老人は生涯をかけて、一冊を読んだ。友人の死の後を、ゆっくりと歩いた。


 彼女は来るたびに、違う本を読む。自分の死の前を、急いで走っている。


           ◇


 本の修理が終わった。


 糊が乾くまで重し石を載せておく。窓からの光が、いつの間にか机の反対側に移っていた。午前が終わろうとしている。


 生涯をかけて一冊を読んだ老人。毎週違う本を読む若者。私はその両方の本を、同じ手で棚に戻す。また誰かが手に取り、読むのだろう。


 窓の外、春の光。新緑が芽吹き始めている。――もうすぐ、あの若者が来る時間だ。


 私は窓辺を離れ、カウンターへ向かった。


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