5月16日『同じ形』
午後。二階の閲覧室を見回る。
窓際の席に、老女と孫娘が向かい合っていた。机の上には図案帳、紙、筆記具。孫娘が何か書いている。老女が腕を組んで待っている。
「……ねえ、おばあちゃん」
「なんだい」
「頭の中にあること、全部紙に写すからね」
「抜くのかい。あたしの頭から」
「抜かないよ。写すだけだよ」
「……空っぽになっちまうよ」
「ならないって」
「軽くなって飛んでっちまわないかい?」
「飛ばないよ。……おばあちゃん重いもん」
「まあ。重いとはなんだい、重いとは」
孫娘が笑う。老女もつられて肩を揺らした。
◇
「じゃあ最初から。……この模様」
孫娘が図案帳を開く。六角形の連続模様のページ。
「こうやって――」
老女が手を動かす。空中で糸を渡すしぐさ。
「ここでこう、返して、こうして、こう――」
「……『こう』じゃ書けないよ」
「『こう』は『こう』だよ」
「……言葉にして」
老女が腕を組み直す。
「言葉ねえ……『こう』、なんだよねえ」
「おばあちゃん」
「なんだい」
「『こう』禁止。わかった?」
「厳しいんだねえ」
孫娘が図案帳のページをめくった。
「これと同じ?」
「……ああ、近いね。でもここが違うかね」
「どこ」
老女が指で図案の一点を押さえる。
「ここ。返す回数が二回じゃなくて三回なんだ」
「三回、と」
孫娘が書き込む。老女が身を乗り出して覗き込んだ。
「ちょっと待ちな。今のあたしの言い方、変だよ」
「変じゃないよ?」
「変だって。もっと軽いだろう」
「じゃあ軽く言って」
老女が天井を仰いだ。『こう』、と言いそうに唇が動いた。
「……三回、やるのさ」
「同じじゃん」
「同じじゃないよ」
「同じだよ」
老女が肩をすくめた。
「……まあいいよ。好きに書きな」
◇
「次。この工程、どうやって力を入れたらいいの?」
「力っていうか……手が分かるんだよねえ」
「手が分かるって何?」
「糸が引っかかる感じがしたら、力を抜く」
「『感じ』って、どういう感じ?」
「どういうって……こういう『感じ』だよ」
孫娘が筆記具を置いた。
「『感じ』も禁止」
「お前、先生みたいだねえ」
「先生じゃないよ。聞いてるだけだもん」
「聞いてるだけで絞れるんだから、たいしたもんだ」
老女が孫娘の手を取った。自分の指に当てさせる。
「この、ここ。指の腹で。……分かるかい?」
孫娘が目を閉じた。しばらく黙っている。
「……分からない」
「分からないか」
「どうやったら分かるの?」
「何十年も織ってれば分かるよ。目で見るんじゃなくて、手で読むのさ」
孫娘が目を開けて、考え込んでいる。
「……じゃあ、そう書く。『目で見るのではなく、手で読む』、と」
「ふふ。なんだか、気取った書き方だねえ」
「おばあちゃんが今言ったんだよ」
◇
老女が図案帳をぼうっと眺めている。六角形の連続模様を指でなぞる。
「……この形見ると、冬を思い出すんだよねえ」
「冬?」
「お母さんが生まれたのが寒い日でね。ちょうど雪が降ってたのさ。お前が生まれた時もそうだったねえ」
「へえ」
指が止まる。
「……昔、雪の絵が載ってる本があってね。六角形なんだよ、雪って」
「知ってるよ」
「あたしは全然知らなくてねえ。この形と同じだって気づいて、すごく嬉しかったんだよ」
「……なんで」
「さあね。二人とも雪に守られて生まれてきたみたいでね」
孫娘が手を止めて、老女を見た。
「何それ。おばあちゃん、たまに詩人だね」
老女が照れて、図案帳に目を戻した。
◇
図案帳のページが尽きた。
「……これで全部か」
「この本に載ってるのは、そうみたいだねえ」
「載ってないのもあるの?」
「あるよ。あたししか知らないやつがね」
孫娘が目を丸くした。
「教えてよ」
「載ってないのに、どうやって書けばいいんだい?」
「おばあちゃんの言葉で書く。それが最初の記録になるんだよ」
孫娘が新しい紙を出した。
「図を描いてみて。字はわたしが書くから。短い言葉でね」
「字が少ないほうがいいよ。あたしにとっては」
「そうでしょ」
老女が笑った。
「字が読めない人のための本を、字が読めないあたしが作るんだねえ」
「おばあちゃんだけじゃないよ。私が書くもん」
「口を出してるのはあたしだよ」
「口だけね」
老女が眉を上げた。
「まあ。……生意気になったねえ」
「おばあちゃんがそう育てたんでしょ」
◇
閉館が近い。
孫娘が書いたものを読み上げている。老女は字が読めない。でも、自分の言葉が声になって戻ってくる。それを無言で感じ取っている。
「――『目で見るのではなく、手で読む』――」
老女が窓の外を見た。孫娘が紙をまとめて鞄につめる。
「来週も来るから」
「また絞られるのかい」
「絞ってないよ。聞いてるだけだもん」
「同じようなもんさ」
二人が立ち上がる。
◇
窓の外。
二人が並んで歩いていく。二人が一冊ずつ本を抱えていた。
孫娘が何か言っている。老女が笑って、その頭を軽くはたく。
私はカウンターに戻った。
貸出記録を見る。織物図案帳。それから――雪の結晶の図鑑。




