5月14日『下見』
夕方近く。俺は図書館に潜入した。
――と言うと格好いいが、普通に正面から入っただけだ。
技術学院の学生に化けている。革エプロンは古道具屋で三リタ。徽章は仲間のガルドが鋳造した自信作だが、よく見ると鷲の紋章の足が三本ある。ガルド、鷲を見たことがないのか……。
利用者登録。名前の欄で手が止まった。えっと――偽名、なんだっけ?
「……マルト、です」
マルトだったかマルクだったか怪しいが、司書は何も言わず登録証を渡してくれた。第一関門突破だ。
仕事の内容はこうだ。
この図書館に「聖遺物」が隠されている。百年前に聖遺物教会が預けたとかいう、すごいお宝。中身は聞くたびにコロコロ変わるので正直よくわからない。けど、ガルドが目の色を変えるくらいだから、まあ、すごいんだろう。
とにかく、俺の役目は下見。場所を見て帰る。それだけだ。
――つまり今の俺は、この街で聖遺物に最も近い男というわけだ。
閲覧室に入る。机が五つに椅子が十二脚。おじさんが一人、本を枕にして寝ているのが見える。
……思ったより、地味な冒険だった。
◇
まず建物の構造を頭に入れる。泥棒の基本だ――と、ガルドは言っていた。……実際にやるのは初めてだ。
一階がカウンター。二階が閲覧室。三階が技術書で申し出制。四階が秘蔵書庫、司書のみ。
……四階だ。聖遺物があるなら四階しかない。
よし、四階への階段を――と、その前に、学生のふりをしないといけない。棚から一冊抜いて座った。『機械仕掛けの基礎原理』。堅そうだが読むふりだから関係ない。
開いた最初のページに、歯車の噛み合い図があった。
……ん?
大歯車と小歯車。歯数の比で回転数が変わる。図の横に歯の断面。滑らずに噛み合うための曲線が描いてある。
――思い出す。子供の頃、路地裏に時計工房があったんだ。じいさんが一人でやってた小さな店。窓から覗くと、小さな歯車をピンセットで噛み合わせている。あの歯車が、確かこの図と同じ形だった。
それから、廃品置き場で壊れた懐中時計を拾ったこともある。裏蓋を開けたら歯車だらけで、一つ外したら全部バラバラになって。何とか組み直そうと奮闘した思い出だ。部品の形をはっきりと覚えている。
次のページ。輪列機構。歯車が連なって力を伝える仕組み。なるほど、バラバラになった部品たちは、こう繋がっていたのか――。
気づくと十五ページも進んでいた。
――何をやっている。「ふり」でいいんだってば。俺は本を閉じて、書架のあいだを歩きだした。壁の厚さ、窓の位置を探る。こっちが本業だ。
適当に引き出した古い技術教本。たまたま開いた余白に褪せたインクで一行。
『わからない』。
――俺だって大概のことがわからない。
◇
カウンターに行く。
「三階の技術書を閲覧したいのですが」
「はい。お名前と閲覧目的をこちらにお願いいたします」
記録用紙に名前を書く。――マルト。さっきと同じ。今日は調子がいい。
「……機械仕掛け本で、時計機構の関連で、えーと」
と言いながら、これは嘘じゃないなと思った。
司書が三階まで案内してくれた。
「資料はあちらの棚です。何かございましたらお声がけください」
「ありがとうございます」
司書が降りていくのを確認して、素早く奥を探る。
――あった。階段。その先に扉だ。
近づいて、目を疑った。鍵穴がない。取っ手もない。蝶番すらない。これは『封印』だ。それもとびっきり特別な力が込められている。ピッキングなんかじゃ無理。……楽勝とか言わなきゃよかったな。
はぁ。
まあ、これを報告すれば仕事は終わる。なのに自然と表面に触れていた。冷たい。金属でもなく木でもない、不思議な感覚がした。
「四階にご興味がおありですか」
うわ。
振り返ると司書が立っていた。階段の音が一切しなかった。足音を消すのはあんたの方がうまいようだ。
「あ、いえ。……この扉、変わった造りだなって」
「秘蔵書庫でございます。一般の方にはご利用いただけないのですが――二階の入門書で物足りないようでしたら、この棚に詳しいものがございます。脱進機構の章が、よくまとまっていますよ」
脱進機構。
――そう。あの懐中時計の中にあった、一番小さくて、一番わからなかった部品の名前か。
「……見てみます」
なんでそんなことを言ってるんだ、俺は。
◇
手に取った本は、入門書より二回りほど厚かった。
『時計技術の精髄』。
脱進機構の章を開く。図解がある。入門書では一行で済まされていた構造の、全部。アンクルという部品。二本の爪が歯車を一歯ずつ、止めて、離す。止めて、離す。この繰り返しが時計の心拍になる。
――カチ、カチ、カチ。
じいさんの工房で聞いた音。窓越しに、ずっと聞いていた。あれはこの部品が鳴らしていたのか。
次のページ。ヒゲゼンマイ。渦巻き状の極細のバネ。こいつが一秒の長さを決める。巻き数と太さで周期が変わる。
一秒を決める部品がある。時間というのは最初から在るものだと思っていたが、時計の中では、誰かが手で作っている。
顔を上げた。膝の上に二冊目が開いている。
……いつ取った。
◇
窓の夕日が赤い。さっきよりずっと赤い。鍛冶の槌音が聞こえる。カチ、カチ、と刻む音はどこにもないのに、頭の中ではずっと聞こえていた。子供の頃のあの日を、何度も繰り返していた。
本を棚に戻す。二冊とも、元の場所に。二階に降りて、出しっぱなしの入門書もきっちり戻す。泥棒のくせに。なんだか笑えてきた。
カウンターの前を通ると、司書が顔を上げた。
「またどうぞ」
「……どうも」
外に出た。
◇
――なにやってんだろ、俺。
歩きながら、調査の報告をまとめようとする。なのに頭の中に、報告と関係のないものがある。歯車の噛み合い率。アンクルの爪の角度。ヒゲゼンマイの巻き数。
右手の指先に、何かの感触が残っている。本のページじゃない。もっと古い記憶だ。――歯車。懐中時計から取り出した歯車を摘まんだ感触。何年も触っていないのに、指が覚えている気がする。
ふと振り返った。建物の正面に文字が刻んである。入るときは気付かなかった銘文だ。
『知識は形を変える』。




