5月1日『再会』
新緑月の初日。
午後の陽射しが北向きの窓から斜めに差し込み、埃が金色に舞っている。遠くで鍛冶の槌音が響く。
扉が勢いよく開いた。
「よう、生きてたか!」
手元の羽ペンが止まる。まさか、と思いながら顔を上げた。
虹色の髪を持つ長身の女性が立っていた。しなやかな四肢、光を弾く金緑の瞳。ぴんと立った耳がこちらを捉えている。腰と太ももに一丁ずつ、二挺の拳銃がホルスターに収まっていた。
「……ザラ」
「なんだい、その顔!」
ザラは大股でカウンターまで歩いてくると、身を乗り出して私の顔を覗き込んだ。尻尾がゆらりと揺れる。近づいた瞬間、腕の産毛がかすかに逆立った。彼女の周りの空気が、わずかに帯電している。
「ほら、見てみな。ちゃんと生きてるだろ?」
「……お久しぶりです」
「つれないねえ。五年ぶりだってのに」
けらけらと笑いながら、彼女はカウンターに寄りかかった。
「風の噂であんたがここにいるって聞いてね。腐海の討伐任務で、しばらくこの街に厄介になる」
腐海。その言葉を聞いた瞬間、私は姿勢を正した。配達員の噂は本当だったのか。
◇
「北東の丘。鉄嶺鉱山。四月の終わりに発生した」
不意に、ザラの声のトーンが変わった。
カウンター脇の椅子に腰を下ろしながら、彼女の目が鋭く変わる。カウンターの金属の縁に、ぱちり、と小さな火花が走った。
「現役の坑道で、と聞きましたが」
「ああ。珍しいケースだ。規模もでかい」
腐海――クリスタル鉱山で発生する災害現象。瘴気が周囲を汚染して動植物を魔物に変える。その被害は人にまで及ぶ。放置すれば際限なく広がり、最悪の場合、都市をも飲み込む。
「坑道がちょっとした迷宮みたいに入り組んでてね。晶獣も日に日に増えてるって話」
「周辺の被害は」
「坑夫が何人か熱病にかかったくらいだ。今のところは軽症だけど、長引けばわからないね」
茶を差し出すと、ザラはふっと表情を緩めた。空気の緊張も和らぐ。
「ありがと。……最低でも夏過ぎまでかかる見込みだ」
「討伐隊の様子は」
「寄せ集めでね。連携がまだできてないんだ」
ザラはコップを置き、腕を組んだ。
「名目上はあたしが指揮を取る事になってるけど、集団戦は苦手だ。あたしは基本はソロだからね」
「ええ。そうでしたね」
「保安官ってのは実に厄介な仕事だよ。自分が動くだけじゃ足りない。人を動かさなきゃならないから」
「成長したようですね」
ザラは一瞬きょとんとして、照れくさそうに耳を伏せた。
「……調子狂うね、あんたに褒められると」
◇
「この辺りの大まかな地図、借りられるかい」
「三階に」
技術書区画は階下よりも静かだった。地図を広げると、ザラの顔つきが再び変わる。
「ここが入口で……こっちが旧坑道か。晶獣が掘り返してる可能性もあるな」
真剣な横顔。責任を負う者の顔だ。
「三時間が限界だからさ。マスクをつけてても、それ以上は危険だ。三時間で戻って、休んで、また潜る。その繰り返しだよ。きちっとした作戦がいる」
◇
と、そのとき、階下で扉の開く音がした。小さな足音と、それを追う落ち着いた足音。
「……あ、司書さん!」
階段を駆け上がってきたのは、十歳くらいの少年だった。立った耳に、ふさふさの尻尾。ザラと同じ種族。常連の一人だ。遅れて、母親が息を切らせながら上がってくる。
「転びますよ」
「ごめんなさい! 冒険の本、返したくて!」
「もう、すみません。図書館が見えた途端に走り出して」
母親が頭を下げる。
「いえ、元気なのは良いことです」
ザラの顔がぱっと明るくなった。虹色の髪がふわりと浮く。
「おー! 坊や、いい走りっぷりだねえ!」
ザラは腰のホルスターを軽く叩いてみせた。少年の目が輝く。
「すごい! ねえ、触っていい!?」
「それは駄目。危ないからね。大人になったら、自分のを持ちな。約束だ」
ザラは少年の頭をわしわしと撫でた。少年は嬉しそうに尻尾を振っている。
◇
返却手続きを終え、母子は帰っていった。
ザラは窓辺に歩み寄り、外を見た。母子が手を繋いで通りを歩いていく。彼女の周りの空気が、しん、と静まる。
「……いい街だ。ガキが図書館に来られる。目が輝いている」
少しの沈黙。
「平和ってのは、こういうことさ」
◇
「さて、と」
ザラは振り返り、明るい笑顔に戻った。
「地図、借りてくよ。たまに顔出す」
扉に向かいながら、彼女は肩越しに振り返った。
「命は貸さない主義だからさ」
彼女は出て行った。最後まで、明るい足音だった。
静けさが戻り、遠くで槌音が響いている。
私は窓辺に立ち、北の空を見た。新緑月の空に、不穏が滲んで見えた。




