4月29日『空を見上げて』
水晶記念日。
私は図書館の扉の前に立ち、工房街の通りの様子を眺めていた。
「ソーレ、ソーレ!」
掛け声とともに、神輿が通りを進んでいく。金属の輝きを帯びた「原初の歯車」が朝日を浴びている。担ぎ手たちは揃いの半纏を羽織り、額に汗を光らせながら、神輿を揺らしていた。
通りの両側には、歯車を象った金属細工のランプが揺れている。どこからか太鼓と笛の音、金槌で鉄板を叩くリズム。露店が並び、焼き菓子の甘い匂いと串焼きの煙が漂う。子供たちが炎を象った飴を手に走り回っていた。
幟が風にはためく。「技は神への応答なり」「手は聖なる道具なり」。聖遺物教会の教えが、色とりどりの布に染め抜かれている。
今夜は『昇り火』がある。一年で最も華やかな夜空が、この街を彩る。
図書館の中は静かだった。祭りの喧騒から離れて、本を読みたい人のために開館している。
◇
昼過ぎ、扉が開いた。
イルマさんだ。商工新報の記者。二週間ぶりの来館だった。
「祭りの取材の合間に、少しだけお邪魔します。祭りの起源を調べたくて」
「公式には、百六十年前の水晶鉱床発見を記念して、とされていますね」
「ええ。ただ、古い職人さんに話を聞いたら、『昔はもっと静かな祭りだった』と。『丘の上の人たちも一緒にいた』とも、おっしゃってて」
丘の上の聖秘術教会。火と歯車の教えとは別のもう一つの信仰を持つ人々は、この街では少数派だ。
「郷土資料室に、古い記録がございます」
◇
私は書庫から、綴じ直された古文書を持ってきた。
「これが、今の祭りの原型とされているそうです」
イルマさんが古文書を開く。
「……『火送りの儀』。『鉱炉の灰を集め、夜空へ焚き上げる。灰の中に残る金属の粉が、星のように煌めく。民は静かに見上げ、祈りを捧げる』」
「今の昇り火の原型ですね。昔は灰を焚き上げるだけの、静かな儀式だったようです」
イルマさんがページをめくる。
「『鉄車を先導し、炉餅を分かち、炎を送りて一年を閉じる』……鉄車というのは、今の神輿の原型かな」
イルマさんの目が、ふと光った。
「……この餅の図案。今の飴に似てる」
◇
私はもう一冊、古い年報を持ってきた。
「こちらは、百年前の記録です」
精密な銅版画が添えられていた。二人の聖職者が並んで立っている。一人は星形の紋章を胸につけた法衣、もう一人は歯車の刺繍が入った作務衣。二人が共に、炉に火を入れている姿。
「『火送りには、新しき金属粉を加え、赤、青、金の三色が夜空を彩る。民は歓声を上げ、「共に歩もう」と唱和す』」
イルマさんは長い間、その銅版画を見つめていた。
「……今の昇り火の色は、この時に加えられたものだったのか。掛け声も、この時から」
「静かな祈りに、歓声が加わったようです」
イルマさんは窓の外を見た。祭りの喧騒が、ガラス越しに聞こえてくる。
「今の祭りの中に、古い祭りが眠っている。けれど、星の紋章は消えた。ランプの灯りも、今は歯車だけ……」
彼女は手帳を閉じた。
「……前に来た時、対立する声を並べました。でも、協調していた時代の声は、少しずつ薄れていくもの。次第に溶けて、見えなくなっていく」
「記録は残っています」
「また、私が並べます」
イルマさんは立ち上がった。
「対立の声だけではなく、協調の声も」
◇
夜。
私は再び、図書館の扉の前に立っていた。
空に、金色の光の花が開く。昇り火だ。赤と青。そして、百年前に加えた協調の金色が、夜空を鮮やかに染めていく。
隣に、イルマさんがいた。取材を終えて、戻ってきたらしい。
「この昇り火を、みんなが並んで見ていた時代があったんだね」
ふと、通りの向こうに目が止まった。
子供たちが走り回っている。一人は炎の形をした飴を持っていた。もう一人は、首から小さな星形のお守りを下げている。
二人は何かを見せ合い、笑った。飴を半分に割って、分け合っている。
「……あの子たち、気にしていないようだね。大人たちのことなんて」
私は頷いた。
「子供たちは、いつもそうですね」
昇り火が、ひときわ大きく開いた。金色の大輪。子供たちも、大人たちも、みんなが空を見上げている。
「昔も、こうだったんだろうね」
イルマさんが静かに言った。
「一緒に空を見上げて」
金色の光が、ゆっくりと消えていく。




