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或る司書の逸話  作者: セドカンナレオ / クローディア
27/29

4月27日『雨の月曜日』

挿絵(By みてみん)

 窓の外では、雨が降り続いていた。書架の木が湿気を吸って、いつもより濃い匂いを放っている。


 扉が開いて、一人の女性が入ってきた。


 三十歳くらいだろうか。分厚い革装丁の本を抱えている。


「返却をお願いします」


 『都市の家庭料理大全』。背表紙の文字は褪せているが、まだ読める。


「実は、相談がありまして」


 女性は本を開いた。


「この表紙、幼い頃に祖母の家で見た気がしたんです」


「祖母がよく作ってくれた料理がないかと思って探したら、ありました」


 五十二ページ。「根菜の煮込み」と題されたレシピ。


 だが――紙の一部が破れ、水染みで文字がにじんでいた。肝心な手順と分量が読めない。


「母に作ってあげたかったんです」


「祖母が二年前に亡くなって。それから、母の元気がなくて」


「……今年の春に息子が生まれまして。私もいつかこの味を作れるようになりたくて」


「同じようなレシピが載っている本、他にありませんか」


           ◇


 私は裏表紙を開いた。寄贈記録の紙片が貼られている。


『受入日:一〇五三 秋』

『寄贈者:ヘルガ・V』

『出所:工房街』


「寄贈者のお名前は――ヘルガさん、とありますね」


 女性の顔色が変わった。


「……祖母の名です」


「どうやら、ご遺族が寄贈されたようです」


「祖父方の親戚が遺品整理をしたので……」


 私は五十二ページを見た。他は綺麗なのに、このページだけが傷んでいる。


「……おばあちゃん」


           ◇


 書架で似たレシピを探したが、見つからなかった。


 三十分が過ぎた頃、ふと記憶が蘇った。


 二年前の秋、工房街から届いた寄贈品。木箱がいくつも届いて、整理に何日もかかったのだ。


 私は書庫へ向かい、寄贈台帳を開いた。


 寄贈品は三十八冊。備考欄に私の字で――『未整理分あり。倉庫へ一時保管』


           ◇


 倉庫の扉を開けた。


 積み上げられた木箱。埃っぽい空気。


「この辺りが、二年前の寄贈品です」


 女性と二人で、箱を一つずつ開けていく。一人の女性が生涯をかけて集めた本たち。


 四つ目の箱の底で、私の手が止まった。


 これは本ではない。布張りの手製の表紙。古いノートだった。


 表紙に、刺繍で文字が縫い付けられている。


『我が家の台所』


 最初のページに、丁寧な手書きの文字。


『ブリギッテへ


 あなたが嫁いでいく前に、この本を贈ります。

 生まれたばかりのエルダが関心を持つのは、

 まだずっと先のことでしょう。

 でも、いつかあの子にも伝わるといいね。

 私がいなくなっても、

 この本があなたたちのそばにいます。


        母より』


 女性は息を呑んだ。


「ブリギッテ……母です」


 ページをめくると、手書きのレシピがびっしりと並んでいた。


 根菜の煮込み。


 材料と作り方が丁寧に書かれている。その下に――。


『ブリギッテへ


 これはあなたが一番好きだった料理。

 冬に風邪をひいた時、いつもこれを作ったね。』


 女性が、その先を声に出して読んだ。


「――雨の日にはお鍋を作ろう」


「煮込んでいる間は、外を眺めていよう」


「雨が止む頃には、もうできあがっているから――」


 女性は顔を上げた。目に涙が浮かんでいた。窓の外で、雨がまだ降っている。


「この言葉、小さい頃によく聞きました。祖母が台所で……」


           ◇


 あの分厚い料理本は、祖母が参考にしていた本だったのだろう。何度も開いて、ぼろぼろになるまで使い込んだ。でも、本当に残したかったものは、別にあった。


「お母様に、作って差し上げてくださいね」


「はい」


 女性は泣きながら笑った。


「息子にも、いつか作ります」


 女性は布張りのノートを抱きしめて、図書館を出ていった。


           ◇


 閉館。私は寄贈台帳を開いた。


 『未整理分あり』――その横に書き加える。『整理完了』


 窓の外に目をやる。夕暮れの中で、雨はいつの間にか、小降りになっていた。


 明日は晴れるかもしれない。


 でも今日はまだ、煮込みを作るにはいい日だ。


 私はペンを置いた。

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