4月22日『禁書の謎』
「ねえ、知ってる? あの扉を開けると階段があって、その下に禁断の書庫があるって」
「悪霊を召喚する魔術書が封印されてるらしいよ」
「読んだら呪われるって」
児童コーナーの隅で、三つの影がひそひそと囁き合っている。
マルクス、リーネ、ゴルト。幼い頃からこの図書館を遊び場にしてきた三人組だ。
「今日こそ確かめようぜ」
マルクスが目を輝かせる。怖いけれど、それ以上に気になって仕方がない――そんな顔。
「えー……どうせ何もないよ」
リーネは乗り気ではない。都市伝説なんて信じていない、という態度。
「まあまあ、行こうよ。探検、探検」
ゴルトはのんびり笑う。禁書の話より、三人で何かするのが楽しいだけなのだろう。
私はカウンターの向こうから、その様子を眺めていた。
また始まった。この三人は小さい頃から「冒険ごっこ」を繰り返してきた。
「よし、俺が先な」
三人は本棚の陰を伝いながら、カウンター奥の扉へ近づいていく。別の利用者が現れて棚の影に隠れたり、足音が大きいと小競り合いしたり。
棚と棚の間を縫うたびに、三人の影が壁に大きく伸びたり縮んだりするが、本人たちは気づいていない。
私は静かに書架を離れ、三人の後を追った。
◇
扉を開けると、階段があった。
下へ続く石段を、古いランプがぼんやり照らしている。その先は闇。
「……暗い」
「やっぱ、やめない?」
ゴルトが後ずさる。
「どうせ何もないんだから、さっさと確かめればいいでしょ」
リーネが溜息をつく。
三人の足音が石壁に反響する。私は音を立てずに後を追う。
階段を降りきると――扉に突き当たった。古い木の扉。隙間から冷たい空気が漏れている。
「まだあんの……」
「……開けなきゃわかんないだろ」
マルクスが取っ手に手をかける。ぎい、と軋む音。埃っぽい空気が流れ出てきた。
◇
書庫が広がっていた。低い天井、煤けた梁、蜘蛛の巣の張った古い棚。埃と紙と、湿った土の匂い。ランプの光が届くのは、手を伸ばした先までだ。その向こうは、棚が闇に溶けている。
「なんかお墓みたい」
「やめてよそういうの……」
壁からランプを外し、三人で固まって奥へ進む。私は扉の陰から見守る。
リーネが一冊の本を手に取って開く。薄汚れた帳簿。『北通り・三番酒場 帳簿 星暦892年』。
「おい、これ!」
マルクスが余白の覚書を指差す。
「『南の海に幻の島があって、眠れる宝が隠されているらしい。でも行った者は誰も帰ってこない』――」
「宝の島? でもそれ、禁書の話じゃないよね」
マルクスは少しがっかりしたが、すぐに興味を取り戻す。
「大昔からこういう話があったんだ……」
その横で、リーネはページの下に何かを見つけた。古い紙が挟まっている。
そっと開いて、じっと見つめる。
二人が他の棚を見ている隙に、リーネはその紙をポケットに滑り込ませる。
◇
「おい、これ!」
マルクスが棚の奥から一冊を引っ張り出した。黒い革装丁。金色の文字。『禁断の森』。
「禁断って書いてある!」
ゴルトが目を丸くする。マルクスが期待に満ちた顔で表紙を開く。
最初のページ――可愛らしい動物たちが、森の入口に立っている挿絵。
「……え?」
『むかしむかし、誰も入ってはいけないと言われている森がありました。勇敢なウサギのピピは――』
「……童話じゃん」
「なんだよ! 禁断って、そういう意味かよ!」
「ほら、言ったでしょ」
それから三人は書庫を歩き回ったが、見つかるのは古い帳簿ばかり。
「やっぱりないね、魔術書」
「まあ楽しかったよ」
ゴルトがへらっと笑う。
「帰ろっか」
リーネが言った。マルクスが頷きかけて――ふと、足を止めた。
書庫の一番奥。壁際の本棚。他と同じはずなのに、何かが違う。
「あれ」
「どうした?」
「いや、なんか――」
「なかなか熱心ですね」
三人が振り返った。私は書庫の扉を背にして立っていた。
◇
「すみません、勝手に……」
リーネが頭を下げる。
「ここは職員専用です。知っていたでしょう?」
三人は俯いて小さくなる。
「悪霊を召喚する本、ありましたか?」
「ないです。酒場の帳簿と……童話だけ」
「ここにあるのは、傷んだ本や整理待ちの寄贈資料です。禁じているのではなく、守っているだけ」
マルクスが持っている童話を見る。
「その本、昔から子供たちに人気でしたよ。題名が怖そうでしょう? 噂の元は、案外これかもしれませんね」
「じゃあ俺たちも、その子たちの続きなんですね」
「そうかもしれませんね」
◇
三人は階段を上がっていく。
マルクスとゴルトが扉をくぐったところで、私は小さく声をかけた。
「リーネ」
リーネが振り返る。二人は気づかずに先へ行った。
「ポケットの中のもの、返してもらえますか」
観念したように、リーネは古い手紙を取り出した。
「……ごめんなさい」
受け取って、そっと開く。
『あなたが好きだと言ったあの詩を、私も読みました。
意味はよくわからなかったけれど、あなたが好きだと言ったから。
――返事は、いりません』
百年以上前の、誰かの想い。
「――気持ちは、わかりますけれどね」
リーネは真っ赤な顔で俯いている。
「……二人には」
「言いませんよ」
リーネは小さく頷いて、階段を駆け上がっていった。
◇
私は手紙を帳簿に戻してから、書庫の奥へ向かった。
一番奥の本棚の前で、足を止める。
あの子は気づいていた。この棚が、他と少しだけ違うことに。
胸元から小さな鍵を取り出し、かざす。木目に淡い光が走り、本棚が音もなく動いた。
「――賑やかな子たちでしたね」
私は棚を閉じた。




