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或る司書の逸話  作者: セドカンナレオ / クローディア
16/27

4月16日『次のページへ』

挿絵(By みてみん)

 郷土資料室の扉が開いて、二人連れが入ってきた。窓の少ないこの部屋は、午後になると灯りなしでは背表紙が読みにくい。


「すごい……本がたくさんありますね」


 若い声が響く。騎士学校の制服を着た青年だ。毛並みに艶があり、目を輝かせて書架を見回している。


 その後ろを、老騎士が歩いていた。灰色の毛並みに白いものが混じり、右耳には古い傷跡がある。戦いで負った傷だと聞いた。


 彼は数十年来の常連だ。いつもは一人で来る。


「自分、図書館は初めてです」


 青年が振り返った。尻尾が揺れている。


 老騎士は何も言わない。ただ、小さく頷いた。


 私はカウンターから、その背中を見ていた。老騎士がいつもと違う表情をしている。父親が息子を見守るような目だ。


            ◇


「……灰谷の戦いの資料、どこにありますかね」


 青年が呟く。老騎士は黙って、書架の奥を指した。


「四十年前か……自分が生まれるずっと前です」


 老騎士は答えない。隣の鍛冶工房から、金属を打つ音が響いてくる。


 青年が古い紙束を差し出した。表紙の革が乾いて、端がめくれている。『灰谷鉱山 戦闘報告書』。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【損害】死者一○三名 負傷者二十三名 生存者一七名

中隊長 戦死

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 老騎士の手が止まった。指先が紙の上で動かない。青年が何か言っている。でも、もう聞こえていないのだろう。


 私は気づいた。彼は、そこにいたのだ。


 報告書を見つめる老騎士の横顔。目が、遠くを見ている。


 あの頃、彼も若かった。今の青年と同じくらいの歳だったはずだ。


 中隊長という人がいた。父のような存在だったと、いつか彼が話していた。


 『忠義とは、生き残ることだ』


 中隊長の口癖だったという。


            ◇


 灰谷の戦い。マレフとフリア、両都市の境にある鉱山で起きた衝突だ。採掘が始まったばかりの新しい鉱山だった。採掘権をめぐる小競り合いが、いつの間にか剣を抜く事態になった。


 第三中隊、百二十名。その中に、一人の若い騎士がいた。


 『必ず全員で帰る』


 中隊長はそう言った。


            ◇


 坑道はまだ浅かった。それでも、敵も味方も地下で入り乱れた。


 炎と煙。


 悲鳴が響く。味方か、敵か、鉱夫か、もうわからない。


 足元がぬめる。敵も味方も、同じ色の血を流していた。


 坑道の奥には鉱夫たちがいた。そして、その家族も。報告書には載らない命。


 剣を振るう。


 隣の仲間が倒れる。


 熱風が顔を焼く。


 前へ。前へ。


 そして、坑道の奥から甘い匂いが漂ってきた。鉱山のガスだ。


 誰かが叫んだ。遅かった。


 閃光。中隊長が、彼を突き飛ばした。


 轟音。坑道が崩れた。


 気がつくと、埋もれた坑道の外にいた。右耳が熱い。血が流れている。


 目の前に、中隊長がいた。彼をかばうように瓦礫を背負い倒れていた。


 『……聞こえるか』


 声が出なかった。ただ、頷いた。


 『お前が生き残れ。そして、伝えろ』


 中隊長は、それきり目を閉じた。


 隣の鍛冶工房から、金属を打つ音が響いてくる。彼の耳には、剣戟の音が重なっているのだろう。


            ◇


 戦いは終わった。両軍合わせて、数百の命が失われた。


 彼は遺族を訪ね始めた。戦友の家。鉱夫の家。一軒一軒、扉を叩いた。


 話を聞いた。書き留めた。三十年かけて、少しずつ。


            ◇


「大丈夫ですか」


 青年の声が、遠くから聞こえる。老騎士が我に返った。右耳に、手を当てていた。


 青年が心配そうに見ている。何か聞きたそうにしている。でも、聞かない。まっすぐな目だ。


 老騎士は、鞄から古い冊子を取り出した。『灰谷の戦い・戦友録』。


 青年に差し出す。言葉はない。


 青年が受け取り、開いた。百三の名前がある。そして、その後ろにはもう一つの名簿があった。……報告書には載らなかった者たちの。


「これは……」


 老騎士は、小さく頷いた。


「先月、卒業したんです。今は配属待ちで」


 青年は、戦友録を抱きしめるようにして言った。


「警備兵団です。今は何も起きてないですけど、いつか有事の際には、自分も誰かを守れる騎士になりたいんです」


 老騎士は、そっと青年の肩に手を置いた。


            ◇


 青年が先を歩く。戦友録を、大事そうに抱えている。


 老騎士が、その後ろを歩く。見守るように。


 二人の影が、夕日の中に消えていく。青年が先を歩き、老騎士がその半歩後ろを歩いている。


 隣の鍛冶工房から、金属を打つ音が響いている。今日は、ただの鍛冶の音だ。


 春の黄昏。図書館は静かに、記憶を見送っている。

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