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或る司書の逸話  作者: セドカンナレオ / クローディア
14/27

4月14日『声を並べる』

挿絵(By みてみん)

 午後。


 二階の参考資料室は、郷土資料室より窓が広い。長机が三つ並び、壁際に新聞の綴じ込みが年ごとに積まれている。隣の鍛冶工房から槌音が低く響いていた。


 窓際の席に、一人の女性が座っている。机の上には紙片が扇形に広げられ、彼女はそれを睨むように見つめていた。時折、一枚を手に取っては戻し、また別の一枚を手に取る。


 イルマさん。この街の商工新報に寄稿している記者で、週に二、三度は足を運ぶ常連の一人だ。いつもは黙々と資料を読み込み、閉館間際に静かに帰っていく。今日の様子は、少し違っていた。


 私は書架の整理をしながら、机の上を観察した。


 左側には、ギルドの声。


 ――鍛冶ギルド大親方ゴットフリート氏(64)。「商会は金を貸せる。だが、技術は貸せない。魂も貸せない」


 ――ギルド所属ジェナス氏(23)。「親方には育ててもらった恩がある。ここを出たら、裏切りになる」


 右側には、商会の声。


 ――八ツ目銀行支店長コンラート氏(47)。「伝統が人を縛ることもある」


 ――元ギルド徒弟カタリナ氏(24)。「ギルドでは『女に本物の鍛冶はできない』と言われた。ここでは腕だけで評価される」


 その間に、板挟みの声。


 ――ギルド職人の妻ミーネ氏(41)。「夫は誇りを持って働いている。でも、子供の事を考えると……」


 ――元ギルド職人アルブレヒト氏(78)。「俺の若い頃も『伝統が壊れる』と騒いでいた。壊れたか? 変わっただけだ」


 そして、数字だけが書かれた紙片。組合員数の推移、融資額、廃業率。数字は事実を語る。だが、それだけでは見えないものがある。


 イルマさんは深い溜息をついた。


 ……今日は、声をかけるべきかもしれない。


 私は静かに歩み寄った。


「お困りですか」


 イルマさんは顔を上げた。


「……どれも本当なんです。ギルドの声も、商会の声も。だから、どう並べればいいのか」


 私は紙片の配置を眺めた。左にギルド、右に商会、間に板挟みの声。どちらかを選べば、もう一方を否定することになる。


 ふと、ある年報のことを思い出した。


「少々お待ちいただけますか」


 私は階段を上がった。三階は二階より天井が低く、革装丁と金属インクの匂いが濃い。技術史の棚を探した。五十年ほど前の経済年報。背表紙の金文字は褪せていたが、すぐに見つかった。


「こちらに、似たような論争の記録がございます」


 イルマさんは年報を受け取り、ページをめくり始めた。しばらくして、彼女の手が止まった。


「これは……」


 ページの間から、一枚の写真が滑り落ちた。古い紙の匂いが、一瞬だけ濃くなった。


 セピア色に褪せた一枚。鍛冶工房の内部が写っている。炉の前に若い職人が立ち、その傍らにはまだ少年と呼べるほどの見習いが一人。二人の背後には、大きな機械があった。蒸気駆動の鍛造槌。職人の腕ではなく、蒸気の力で鉄を打つ装置だ。


 写真の下部に、手書きの文字。


 ――「新しい槌を持つ者たち」 鍛冶ギルド第42代大親方アルブレヒトと、見習いゴットフリート。


 イルマさんは息を呑んだ。


 アルブレヒト。ゴットフリート。彼女が昨日取材した二人と、同じ名前だった。五十年前、この二人は同じ炉の前に立っていた。「職人の腕を機械に売り渡すのか」と批判された蒸気鍛造槌の傍らで。


 写真を裏返すと、小さな文字があった。


 ――商工新報、写真版。


 当時、新聞に写真を載せること自体が珍しかった。今では、写真のない記事のほうが珍しい。


 イルマさんは、長い間、写真を見つめていた。それから、静かに笑った。


「……私も、写真を使います。当たり前のように」


 私は何も言わなかった。


 彼女は写真を年報に戻し、紙片を並べ直し始めた。左と右を混ぜる。ゴットフリートの隣に、コンラート。ジェナスの隣に、カタリナ。


 どちらが正しいとは書かない。すべてを並べる。


 最後に、白い紙片に短く書き込んだ。


 ――この街は、何を選ぶのか。


 イルマさんは立ち上がり、紙片を鞄にしまった。


「ありがとうございました」


「いいえ」


 私たちは軽く会釈を交わした。


 窓の外。金槌の音が、いつもと変わらず響いている。


 五十年後、誰かがこの記事を見つけた時、何を思うのだろう。


 私は年報を元の場所に戻した。


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