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或る司書の逸話  作者: セドカンナレオ / クローディア
13/26

4月13日『遠回り』

挿絵(By みてみん)

 その日の朝。俺は図書館に逃げ込んだ。


 工房には「水を汲みに行く」と言って出てきた。嘘だ。井戸は反対方向にある。父さんは何も言わなかった。気づいていたと思う。


 久しぶりの図書館だ。


 小さい頃はよく来た。冒険者の手記を読むのが好きだった。知らない土地、見たこともない景色。窯の前に座っているだけの毎日とは、まるで違う世界。


 ――いつか俺も。


 そんなことを思っていた頃が、遠い昔みたいだ。


           ◇


 三日前、俺は父さんの壺を割った。


 注文品だった。祝い事用の大きな壺。父さんが一週間かけて形を作り、絵付けをして、あとは本焼きだけだった。


 「窯を見ていろ」


 簡単な仕事だ。温度を一定に保つだけ。炎属性の俺には、向いているはずの――


 でも、炎が安定しなかった。揺れる。大きくなったり、小さくなったり。


 焦った。温度が下がってきた気がした。もっと火力をっ。


 パキン。


 窯の中で、壺が割れる音がした。


 父さんは窯を覗いて、長い息を吐いた。


 「……ごめん」


 俺の声が震えた。


 父さんは振り返らなかった。背中を向けたまま、静かに言った。


 「窯のせいか」


 違う。そうじゃない。


 「土のせいか。釉薬のせいか」


 「俺の――」


 「なら周りを見るな」


 父さんの声は低かった。怒鳴られるより、ずっと重い。


 「自らをもっと見つめろ。お前が揺れるから、炎が揺れる」


 俺は黙った。


 「焦る炎は器を割る。何度言えばわかる」


 子供の頃から何度も聞かされてきた言葉だ。


           ◇


 どれくらい座っていただろう。


 ふと、本棚の方へ歩いた。「能力と技術」の棚。高い位置に『炎の制御と応用』という本がある。背伸びして手を伸ばす。届かない。


 「それ?」


 後ろから声がした。


 振り返ると、三十代くらいの女の人が立っていた。黒い髪を後ろで束ねている。腕には古い傷痕。獣の爪で引っかかれたような、深い傷がいくつも。


 女の人が本を取って、俺に差し出した。


 「……ありがとうございます」


 受け取りながら、傷痕から目が離せなかった。


 「冒険者、ですか」


 口をついて出た。しまった、と思った。初対面でいきなり。でも女の人は、少し驚いた顔をしただけだった。


 「……まあ、そうだね。十年以上やってたかな」


 「やってた?」


 「今は違う仕事を探してる」


 女の人は俺の手元を見た。『炎の制御と応用』。


 「炎の制御、か」


 ちらりと周囲を見て、悪戯っぽく笑った。指先に小さな炎を灯し、片目を瞑って見せる。内緒だよ、というように。


 俺は息を呑んだ。その炎は揺れない。静かに燃えている。


 「その本、役に立つといいね」


 女の人は軽く言って、立ち去ろうとした。


 「あの――」


 声が出た。自分でも驚いた。


 「俺……陶工なんです。家が窯元で。でも、炎が言うこと聞かなくて」


 女の人の足が止まった。


 「焦ると、暴れるんです。この前も、父さんの作品を……割っちゃって」


 なんで初対面の人にこんなこと話してるんだ。でも、誰かに聞いてほしかった。ずっと。


 「……向いてないんです、俺には」


 女の人は少しの間、何も言わなかった。遠くを見ていた。


 「十四年前」


 静かな声だった。


 「私も、大切なものを燃やした。祖母の写本だった。三代受け継がれてきた本を、私の手で灰にしたの」


 息を呑んだ。


 「感情が高ぶると、力が暴走する。……君も知ってるでしょ」


 ……知ってる。痛いほど。


 「その時、私も思った。向いてないって」


 女の人の声は静かだった。でも、その奥に何かが燃えているのがわかった。


 「でもね――向いてるかどうかなんて、その時の自分には、わからないんだよ」


           ◇


 女の人は窓際の席に腰を下ろした。俺もつられて、向かいに座る。


 「私は戦いに使ってきた。でもね、最初から制御できたわけじゃないんだ」


 「……どうやって」


 「制御っていうのは、押さえつけることじゃないの。――自分の内側を、静かに保つこと」


 ――自らを見つめろ。


 父さんの声が、ふと頭をよぎった。


 女の人が鞄から一冊の本を取り出した。『ある写本師の手記』。ページを開いて、あるところを示す。誰かが線を引いている。


 『――遠回りでも構わない。自分の足で歩いた道は、無駄にならない』


 「この言葉に、私は救われた。君にも、合うかもしれないね」


 「俺……憧れてたんです。冒険者に。子供の頃から」


 女の人は黙って聞いていた。急かさない。


 「窯の前に座ってるだけの毎日が嫌で嫌で。もっと広い世界を見たいって」


 「……でも、炎も制御できないのに、冒険者なんて無理ですよね」


 女の人は少し笑った。


 「無理かどうかは、わからないよ。ただ――『今』じゃないのかもね」


 「冒険者になりたいなら、まず炎を制御しないとね。戦場で暴走したら、仲間も傷つけちゃうから」


 俺は黙った。


 「窯の前で炎を学ぶのは、遠回りに見えるかもしれない。でもね、遠回りが一番の近道だって――私は十四年かけて、やっとわかったんだ」


 女の人は窓の外を見た。


 「焦ったら、失うのは目の前のものだけじゃないの。自分も壊れてしまう。私がそうだった」


 胸の奥で、何かが動いた。


 ――焦る炎は器を割る。


 父さんの言葉が、違う響きを持って蘇ってきた。


           ◇


 女の人が立ち上がりかけて、ふと言った。


 「私も、遠回りだった」


 「本当はね、本に関わる仕事がしたかったの。母も祖母も、図書館で写本を作ってたから。でもこの能力(リンクス)で断られて、それで冒険者になった」


 十四年前に燃やしたという写本。あの話と繋がった。


 「十四年かけて、やっとここに戻ってきた」


 女の人は小さく笑った。


 「焦らずにいこう、お互いにね」


 軽く手を振って、書架の向こうへ消えていった。


           ◇


 図書館の扉を開けた。


 午後の光が、少しだけ眩しかった。


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