第4話「そばに置いてください」【ノア】
宿の部屋で俺は荷物をまとめていた。
着替えが三組。研ぎ石。使い込んだ手袋。四人分の荷物を詰めてきたこの背負い袋に自分の分だけを詰めると驚くほど軽かった。
机の上には遠征中の姉さんから届いた手紙がある。便箋十枚。中身は全部俺の体調の心配だった。
「……追放されたなんて書いたら、姉さんは遠征を放り出して帰ってくるだろうな」
返事はまだ書けそうにない。
部屋を見回す。磨きこまれた床。窓辺の花。三人並んで寝ても余る寝台。
王都でも指折りの高級宿「止まり木亭」の最上階だ。三年前に四人で転がりこんだ頃はただの安宿だった。本当なら荷物持ちが寝起きする部屋じゃない。
四か月前まではローゼズにもパーティハウスがあった。七人で暮らして装備も備品も全部置いていた屋敷だ。それが一晩で燃えた。ビリーが持ちこんだ伯爵家の依頼と俺が屋敷に持ちこんだ預かり物のせいで。
建て直しの金を稼ぐために姉さんたち三人は南の迷宮へ出稼ぎに行った。伯爵は焼けた家宝の弁償を求めなかった。それがかえって申し訳なかった。屋敷を燃やした荷物持ちだ。追放されても文句は言えない。
夕方ギルドの窓口でポルテに打ち明けたときのことを思い出す。
「今夜、追放されるかもしれない」
「追放? あなたが?」
「三人全員から宿の裏に呼び出された。話があるって」
ポルテはしばらく黙って俺を見ていた。それから困ったように眉を下げた。
「……そう。三人とも宿の裏に、ね。大丈夫よ。追放なんてされないから」
「ポルテはいつもそう言ってくれるけどさ。身内の欲目だよ」
「身内の欲目、ね。……ねえノア。話が終わったら顔を見せに来て。待ってるから」
ポルテは新人の頃から俺の面倒を見てくれた。だからこそ甘えるわけにはいかなかった。
俺は一度宿に戻ってからもう一度ギルドへ引き返した。
「ポルテ。パーティ脱退届の用紙をくれないか」
「……あげません」
「え」
「今夜のあなたには必要ないもの。いいから行ってらっしゃい」
「でも」
「でもじゃないの。……ほら、襟が曲がってる」
ポルテは窓口から身を乗り出して俺の襟を直した。新人の頃から変わらない手つきだった。
「ありがとう」
「どういたしまして。いってらっしゃい、ノア」
用紙はもらえなかった。三人に手間をかけさせずに済むよう自分で出しておきたかったのに。
部屋の扉が叩かれた。湯桶を抱えた女将だった。
「万華さん。お湯をお持ちしましたよ。……あら? 旅支度ですか?」
「ええ。たぶん今夜でこの宿を出ることになると思います」
「まあ。お部屋代なら駆け出しの頃のままで結構だと申し上げたでしょう」
「宿代のことじゃないんです」
「じゃあ銀牙さんたちはご存知なんですか?」
「三人が決めたことですから」
女将は首をかしげて何か言いたそうにしていた。けれど結局「お湯、冷めないうちにどうぞ」とだけ言って戻っていった。
「……三人が決めたことだから、か」
自分で言った言葉が胸に刺さった。
三年前の春。王都の門の前でルカが俺の手を引いた。
『ノアくんも一緒に来てよ。四人でパーティを組もう?』
『俺なんかでいいのか?』
『ノアくんじゃなきゃだめなの』
あの日のルカの声は今でもはっきり覚えている。
窓の外で月が東の塔にかかろうとしていた。
「今まで本当にありがとう。迷惑ばかりかけてごめん」
鏡に向かって一度だけ練習した。声が震えていた。
ローゼズに入ってから三年。三人はどんどん強くなった。シルヴィは王都最速の剣になった。レゾナは天穹の魔女と呼ばれるようになった。ルカは慈雨の聖女として教会に名を刻んだ。
俺だけが何者にもなれなかった。番付の一番上に俺の名前があるのは三人の功績をパーティの代表として載せているだけだ。それくらいは俺にもわかる。
階段を降りて裏口の扉に手をかけた。扉の向こうから声が聞こえる。
「却下だ」
「却下です」
三人がもう集まっている。誰が俺に告げるかで揉めているのかもしれない。言いにくい役目を押しつけ合うくらいに三人は優しいのだ。
俺は扉を開けた。
月明かりの下に三人が並んでいた。三人とも見たことのない服を着ている。最後の別れのために改まった格好をしてくれたのだろう。
「ノア……? その荷物は何だ」
シルヴィが俺の背中を見て言った。
「ああ、これか? 話が終わったらすぐに出ていけるようにまとめてきたんだ」
シルヴィの顔がみるみる赤くなった。尻尾がちぎれそうな勢いで揺れている。相当怒らせてしまったらしい。狼族の尻尾は犬とは逆で怒ると激しく揺れるのかもしれない。
「兄さん。その荷物の重量は」
「全部で十二キロくらいかな」
「……長旅の重量です」
レゾナが青ざめた。無言で俺の袖をつかんで離さない。逃げないように見張られているらしい。
「ノアくん、どこかへ行っちゃうの?」
「それは……三人の答え次第かな」
三人がそろって顔を見合わせた。俺が覚悟を決めてきたことに驚いているのだろう。
言いにくいことを三人に言わせるのは申し訳ない。だから俺から切り出した。
「三人とも待たせてごめん。今夜何の話をしようとしてるのかはわかってるんだ」
三人が同時に息をのんだ。
「ノ、ノア、知っていたのか!?」
「わかっていたのですか!?」
「わかってたの!?」
「うん。……ずっと前から、薄々な」
「ずっと前……」
シルヴィの尻尾がぶんと大きく揺れた。
「い、いつからだ。ノア、いつから気づいていた」
「灰の坑道の帰り道……いや。本当はもっと前からかな」
「記録します。兄さんは以前から自覚していた。……具体的な日付は」
「日付までは覚えてないよ」
「ノアくん、気づいてたならもっと早く言ってくれればよかったのに」
「言えないよ。言ったら全部終わる気がして」
ルカが胸の前で両手を握りしめた。なぜか目が潤んでいる。
俺は荷物を背負ったまま三人に向き直った。
「俺はこのパーティにふさわしくない。三人の隣に立てるような人間じゃない。ずっとそう思ってた」
シルヴィが一歩前に出かけて止まった。レゾナは眼鏡を外して拭き始めた。ルカは両手で口元を押さえている。
これで最後だ。そう思ったのに口が勝手に動いていた。
「でも……わがままを言っていいなら。もう少しだけ三人と一緒にいさせてほしいんだ。荷物持ちでも雑用でも何でもやる。だから」
俺は深く頭を下げた。
「お願いします。俺をそばに置いてください」
長い沈黙があった。地面を見つめる俺の耳に最初に届いたのはルカの声だった。
「……逃げちゃだめって言ったでしょ。ノアくんはずっとわたしの……ううん。わたしたちのそばにいるの」
「やだ! ノアがいなくなるなんてぜったいやだ!」
「却下します。お兄ちゃんはどこにも……っ。兄さんはどこにも行かせません。今後も同行を命じます」
俺はおそるおそる顔を上げた。
「……いいのか? 本当に?」
「いい!」
三人の声がきれいにそろった。
「でも、帰り道に『今夜で決着をつける』って話してただろ?」
「そ、それは別の話だ!」
「別件です。兄さんには関係ありません」
「女の子同士のお話だよ。ね?」
三人が慌てたように顔を見合わせる。追放の決着はまた別の機会につけるということだろう。
「そっか。……ありがとう。俺、もっと頑張るよ。明日からもっと荷物を持つから」
三人とも本当に優しい。頭を下げた足手まといを見捨てられなかったのだ。シルヴィにいたっては人前なのに駄々をこねる子どもみたいな声まで出して引き止めてくれた。
「ねえ、ノアくん。言いたいことってそれだけ?」
ルカが首をかしげた。
「え? うん。それだけだけど」
シルヴィの尻尾がぴたりと止まった。レゾナの眼鏡がずり落ちた。
「……そう、か」
「……そうですか」
「……ふうん」
三人の声から熱が消えていくのがわかった。
「……肉が冷める」
シルヴィが小さくつぶやいた。
「作戦は失敗です。再計算が必要です」
レゾナが手帳に何かを書きつける。
「しっ。レゾナちゃん、聞こえちゃう」
ルカが慌ててレゾナの口をふさいだ。
聞こえてしまった。作戦。失敗。やはり追放は前から計画されていたのだ。
やっぱりそうだ。三人は今夜俺を追放するつもりだった。それなのに俺が先に頭を下げたから言い出せなくなったのだ。
追放は保留になった。
猶予をもらっただけだ。次はない。
「三人とも、本当にごめん。おやすみ」
「……ノア。ちゃんと寝ろ」
シルヴィが小さな声で言った。尻尾は力なく垂れていた。
「兄さん。荷物は部屋に戻してください。旅支度は不要です」
「おやすみ、ノアくん。……逃げちゃだめだからね」
三人とも最後まで優しかった。
俺は逃げるように裏庭を後にした。
夜の通りに出ると冷たい風が頬を打った。ポルテとの約束がある。話が終わったら顔を見せに来て。せめて結果だけは報告しないと。
置いていかれないように。俺はもっと強くならなきゃいけない。
ギルドの灯りが見えてきたときだった。
王都の夜空に警鐘が鳴り響いた。ギルドの鐘だ。緊急招集を告げる三連打。
「……緊急招集か」
俺は背中の荷物を担ぎ直してギルドへ駆けこんだ。




