第2話「番の席」【シルヴィ】
ノアをこれ以上ただの仲間として置いておくわけにはいかない。
あいつにはもっとふさわしい場所がある。
私の隣。番の席だ。
今日の戦いでもあいつの動きは見えなかった。王都最速の剣と呼ばれるこの私の目でもだ。顎の下に潜り込んで結界を三枚。ついでに自分の火傷まで治していた。
それなのにあいつは本気で思っている。自分は足手まといの荷物持ちだと。王都最速と呼ばれるまでに私が強くなれたのはあいつとビリーが持ち込む厄介ごとを死に物狂いで乗り越えてきたからだ。私たちを強くした張本人が自分を一番弱いと思っているのだ。
戦いが終わった直後のことだ。あいつはいきなり私の耳に触れてきた。
「ご、ごめん。嫌だったか?」
「い、いやじゃないの。……もうちょっと」
嫌なわけがあるか。
狼族の女の耳と尻尾に触れてよいのは番だけだ。そしてあいつは十年前からずっとそうしてきた。
罠にかかった銀色の子狼を助けて干し肉を分け与えてくれた日から。同じ毛布で眠ったあの夜から。
子狼だった私は「シ……」としか名乗れなかった。だからあいつは私をシロと呼んだ。あいつは今でも私のことを「昔飼っていた犬のシロ」だと思っている。それでもいい。狼族の掟では番の誓いはとっくに成立しているのだから。
ノアと二人きりになると私は今でもあの頃の子狼に戻ってしまう。声は甘くなり尻尾は勝手に揺れる。だがそれでいい。これは番にだけ見せる顔だ。ルカもレゾナも知らない。人前での私は誇り高き銀牙なのだから。
……さっきは耳を撫でられて少し危なかったが。
「シルヴィ。さっきから尻尾がうるさいよ」
王都へ戻る道で隣を歩くルカがくすくす笑った。
「う、うるさくない。これは戦いの余韻だ」
「ふうん。ノアくんに耳を撫でてもらったからじゃなくて?」
「み、見ていたのか!」
まずい。あの声まで聞かれていたら銀牙の名折れだ。
「見てなくてもわかるよ。だってさっきから尻尾がすれ違う人に当たってるもん」
「なっ」
振り返ると荷車を引いた商人が尻もちをついていた。
「す、すまない!」
「い、いえ! 銀牙さまの尻尾に打たれるなら本望です!」
商人はなぜか嬉しそうに去っていった。王都の人間はよくわからない。
「それに耳を撫でてもらってたのも見えちゃった。でもね、あれはノアくんの癖だよ? 勘違いしちゃだめ」
見えたのは耳だけらしい。声までは聞かれていない。私は胸をなで下ろした。
「お前こそ勘違いするな。番以外の者が狼族の耳に触れることは許されない。つまりそういうことだ」
「データ上、意味はありません」
反対側を歩くレゾナが眼鏡を押し上げて口を挟んだ。
「兄さんは誰の髪でも整えます。昔から私の髪も整えています。むしろ戦闘後に兄さんが手を握ったのは私です。魔力の安定化という名目ですが、こちらはデータ上意味があります」
「それは毎回やってることでしょ?」
ルカに首をかしげられてレゾナは黙り込んだ。黙り込んだまま腰に下げたノアの水筒を大事そうに抱え直している。いつの間に抜き取ったのだ。
「なあ、みんな。今日の報酬で何か美味いものでも食べに行かないか? 俺がおごるよ」
最後尾からノアの声が飛んできた。
「……すまない、ノア。今夜は予定がある」
私は前を向いたまま答えた。振り向けば顔がにやけているのがばれる。
今夜の予定の相手はお前だ。食事などあとでいくらでも行ける。番になってからな。
レゾナとルカもそれぞれ用事があると断っていた。何の用事かは知らないが好都合だ。
私は後ろを確かめた。ノアは四人分の荷物を背負って少し離れたところを歩いている。聞こえはしないだろう。
二人に向かって声を落とす。
「……今夜で決着をつける」
「異論はありません。もう待てませんから」
レゾナが即座にうなずいた。
「うん。ノアくんには悪いけど、わたしも譲れないの」
ルカがにっこり笑った。笑っているのに目が笑っていない。
三人とも同じことを考えているらしい。今夜ノアに言わせる。自分を選ぶという言葉を。
二人とも哀れだ。ノアの首元を見ればわかるだろうに。
ノアの首には今日も牙の首飾りが下がっていた。私が三年前に贈ったものだ。あいつはお守りだと思って毎日つけている。狼族では婚約の印だ。婚約の印を三年も肌身離さず身につけている男が番でなくて何だというのだ。
私は立ち止まって最後尾のノアを待った。ルカとレゾナが十歩ほど先へ行く。これなら二人きりと同じだ。
「ノア」
「ん? どうした、シルヴィ」
「今夜ね、宿の裏に来て。お話があるの」
言えた。言ってやった。
ノアの顔から血の気が引いた気がした。きっと緊張しているのだろう。かわいいやつだ。
「……わかった」
「ぜったい来てね。来なかったら……噛むから」
私は熱くなった顔を見られないよう早足で前に戻った。尻尾が揺れすぎて歩きにくい。
前に戻るとルカとレゾナがそろって私を見ていた。
「……なんだ」
「ううん。なんでもないよ」
「なんでもありません」
二人とも妙に生温かい目をしている。勝ち目がないと悟ったのだろう。
王都の門をくぐったところで私は足を止めた。
「ギルドへの報告はお前たちに任せる。私は寄るところがある」
「どこ行くの? シルヴィ」
ルカが首をかしげた。
「……市場だ。少し買い物をな」
「ふうん。お肉屋さん?」
「な、なぜわかる」
「だって尻尾がお肉屋さんの方向いてるもん」
私は尻尾を押さえて市場へ向かった。狼族の掟では番の言葉を受けた夜は肉を分け合って祝うものだ。
「おや銀牙さん。今日は何にしやす?」
「一番いい肉を頼む。二人分だ」
「二人分? 珍しいですな。どなたと召し上がるんで?」
「番とだ」
肉屋の親父が包丁を取り落とした。
「つ、番!? まさか銀牙さん、あの万華の旦那と……!?」
「まだ秘密だ。誰にも言うなよ」
「へ、へい! 誰にも言いやせん!」
奥から親父の女房が顔を出した。
「あんた、いま番って聞こえたけど」
「お、おめえは黙ってろ! 秘密だって言われたんだ!」
「秘密? 万華さんと銀牙さんが番になるって話が?」
「声がでけえ!」
夫婦が言い争う声を背に私は店を出た。肉はおまけで一切れ多かった。気のいい夫婦だ。
宿に戻った私は鏡の前で尻尾の毛並みを整えた。
故郷の母はよく言っていた。
「いいかいシルヴィ。番の言葉を受ける夜は尻尾の手入れを怠ってはいけないよ。男はちゃんと見ているからね」
母さん。今夜がその夜だ。
私は鏡に向かって咳払いをした。
「ノア。お前の気持ちはわかっている。さあ言え」
……違う。これでは脅しているようだ。
「ノア。私を番にしたいなら、その口ではっきりと言え」
これだ。狼族らしく堂々としている。尻尾も満足げに揺れた。
……もっとも二人きりになればどうせ声は子狼に戻ってしまうのだが。
「ノア……番にして?」
鏡の中の尻尾がちぎれそうな勢いで揺れた。こちらのほうが本番に近い。
身支度を終えて階段を降りると宿の女将が帳場から顔を出した。
「あらまあ銀牙さん。今夜はずいぶんおめかしして」
「女将。今夜、宿の裏庭を使う者はいないな?」
「ええ、誰も。でもおかしいわね。さっき聖女さまにも同じことを聞かれたのよ。それに魔女さまにも」
「ルカとレゾナが? 裏庭に何の用だ」
「さあ。お掃除でもしてくださるのかしら。そういえば万華さんはずいぶん浮かない顔で部屋に戻っていきましたよ。大きな荷物を抱えて」
「緊張しているのだろう。気にするな」
「あらあら。若いっていいわねえ」
女将は意味ありげに笑って帳場に引っこんだ。
なるほど。あの二人は私とノアのために裏庭を整えてくれるつもりらしい。口では張り合いながら案外いいところがある。
私は部屋に戻って窓の外の月を見上げた。
「待っていろ、ノア。今夜こそお前の口から言わせてやる」




