第1話「追放されるなら、今夜だ」【ノア】
いつか置いていかれる。
王都最強のパーティ「ナインティナイン・ローゼズ」に入ってから三年。俺はずっとその日に怯えてきた。
B級ダンジョン「灰の坑道」の最奥。巨大な扉の前で俺たちは足を止めた。
「ノア。荷物はそこに置いておけ。戦いの邪魔になる」
シルヴィが扉を見据えたまま言った。
「兄さんは後方で待機を。前に出る必要はありません」
レゾナが杖を握り直しながら続けた。
「ノアくんは無理しないでね。わたしたちだけで大丈夫だから」
ルカがにっこりと笑う。
邪魔になっちゃう。前に出る必要はない。わたしたちだけで大丈夫。
三人とも優しい言い方をしてくれる。それが余計につらかった。
とくにシルヴィは容赦がない。二人きりのときは昔のように甘えるのに人前では剣士の声しか出さない。仕事の場で荷物持ちに気を遣う必要はないのだろう。
「……わかった。後ろで見てる」
扉が開く。核を守る魔物が咆哮を上げた。岩の鎧をまとった巨大な蜥蜴だ。ギルドの資料では「岩竜もどき」と呼ばれている。
「シルヴィ! 右の前脚を頼む!」
「任せろ! 一撃で落とす!」
銀色の髪をなびかせてシルヴィが跳ぶ。狼の耳がぴんと立った。
「ノア、こいつは硬い! 刃が通りにくい!」
「鎧の継ぎ目を狙ってくれ! 関節なら通る!」
「シルヴィ、尻尾が来る! 跳べ!」
「わかってる!」
シルヴィの剣が前脚の関節を断ち切った。速い。俺の目ではぎりぎり追えるかどうかだ。
「レゾナ、詠唱はあと何秒だ?」
「十二秒です。足止めを、兄さん」
「ルカ、シルヴィの肩を見てやってくれ。さっき尻尾で打たれてた」
「もう治してるよ。ノアくんこそ危ないから下がってて」
下がってて。
ルカに悪気がないのはわかっている。それでもその一言は小さな棘のように胸に刺さった。
岩竜もどきが大きく口を開いた。喉の奥が赤く膨らんでいく。火炎の吐息だ。狙いは詠唱中で動けないレゾナ。
「レゾナ、そのまま詠唱を続けろ! こっちは俺がやる!」
「お兄ちゃん!?」
俺は剣を抜いて走った。吐息が放たれる寸前に顎の下へ潜り込む。そのまま剣を突き上げた。
顎が閉じて炎が口の中で暴発する。間髪入れずに結界を三枚張った。三人の前に一枚ずつ。腕に残った火傷は自分で治しておく。
「撃ちます!」
レゾナの声と同時に氷の槍が降り注いだ。岩の鎧に無数の亀裂が走る。その奥で脈打つ核を俺は一突きで砕いた。
ダンジョンが低く唸り始めた。崩壊の合図だ。
「……ごめん。また最後だけ持っていった。みんなが弱らせてくれたおかげなのに」
三人は黙って俺を見ていた。
「……ノア。今、何をした。私の目でも見えなかったぞ」
「ごめん、シルヴィ。後ろで見てるって言ったのに出しゃばった。次からはちゃんと下がってるから」
シルヴィは何か言いかけて口を閉じた。レゾナもルカも何も言わない。
その沈黙が怖かった。
シルヴィの耳の毛が戦いで乱れている。俺はいつもの癖で手を伸ばして整えた。昔飼っていた白い犬もこうしてやると喜んだものだ。
「……っ!?」
シルヴィの肩が跳ねた。耳まで真っ赤にして震えている。かと思うと俺の手のひらに頭を押しつけてきた。
「……くぅん」
「ご、ごめん。嫌だったか?」
「い、いやじゃないの。……もうちょっと」
シルヴィははっとして二人を振り返った。
「……何を見ている。戦いのあとの毛並みの手入れだ」
声はいつもの剣士のものに戻っていた。
「ふふ。うん、そうだね」
「そういうことにしておきます」
「ねえノアくん。わたしの髪も戦いで乱れちゃったんだけどなー」
「ルカは全然乱れてないだろ。いつも通りきれいだよ」
「……っ。そ、そういうことじゃなくて」
気を遣わせてしまった。シルヴィは喜んだふりまでして足手まといに付き合ってくれたのだ。ルカも何か言いたげに俺をにらんでいる。
レゾナの指先が小刻みに震えていた。大魔法のあとはいつもこうだ。魔力が乱れている。俺は黙ってその手を握った。幼い頃からこうするとレゾナの魔力は不思議と落ち着く。
「……兄さん。もう大丈夫です」
レゾナは顔を背けたまま手を引っこめた。兄の手などもう必要ないということだろう。そのくせ俺の袖口をつまんだ指だけは離れない。ほつれでも見つけたのかもしれない。
「ノアくん。腕、火傷してたでしょ。見せて」
「もう治したよ。この程度でルカの魔力は使わせられない」
「……もう。そういうところだよ」
ルカが頬をふくらませた。俺はまた何かを間違えたらしい。
崩れていくダンジョンを出て王都へ戻る道すがら。俺は四人分の荷物を背負って最後尾を歩いた。
「姉さんたちが遠征から戻るまでに、もう少し役に立てるようになっておかないとな。ハウスの建て直しの金も貯めなきゃいけないし」
「ノアくん、それニアさんの前で言ったら泣かれるよ?」
ルカが振り返って苦笑した。姉さんとビリーとゴードンの三人は王都から離れた別の迷宮へ遠征に出ている。今ここにいるのは四人だけだ。
「なあ、みんな。今日の報酬で何か美味いものでも食べに行かないか? 俺がおごるよ」
「……すまない、ノア。今夜は予定がある」
シルヴィが前を向いたまま答えた。
「私も今夜は外せない用事があります」
レゾナは手帳から顔も上げない。そのくせいつの間にか俺の背負い袋から水筒を抜き取って自分の腰に下げていた。
「レゾナ、それ俺の水筒……」
「重そうだったので。他意はありません」
「そっか。……ありがとう」
荷物持ちすらまともにできないと思われているらしい。
「ごめんね、ノアくん。わたしも今夜はだめなの」
ルカまでそう言って申し訳なさそうに笑った。
三人とも今夜は予定がある。俺抜きの予定が。
「そっか。……じゃあまた今度な」
今度があればの話だけど。
前を行く三人が顔を寄せ合って何かを話し始めた。
「……今夜で決着をつける」
「異論はありません。もう待てませんから」
「うん。ノアくんには悪いけど、わたしも譲れないの」
風に乗って切れ切れに届いた声に足が止まった。
決着。もう待てない。ノアには悪いけど。
三人の話題が俺のことなのは明らかだった。
すれ違った探索者の一団が俺たちを見てざわめく。
「おい見ろ。ローゼズだ」
「後ろで荷物を背負ってるのがそうだろ。あの人が一番――」
そこから先は聞こえなかった。聞かなくてもわかる。一番のお荷物。そう言われているのだろう。
「ノア」
シルヴィが立ち止まって振り返った。顔がまだ赤い。前の二人とは十歩ほど離れている。
「今夜ね、宿の裏に来て。お話があるの」
「……わかった」
「ぜったい来てね。来なかったら……噛むから」
目は本気だった。
次に俺の袖を引いたのはレゾナだった。
「兄さん。今夜、宿の裏に。話があります。月が東の塔にかかる頃。遅刻は認めません」
「レゾナも、か」
「……も?」
「いや。なんでもない」
最後にルカが俺の腕を取って耳元で囁いた。
「ノアくん。今夜ね、宿の裏で待ってるから。逃げちゃだめだよ?」
「……逃げないよ」
「ほんとに? 約束だからね」
逃げるな。最後まで聞け。そういうことだろう。
人目のない場所に呼び出して「話がある」と告げる。探索者なら誰でも知っている。パーティから追放を言い渡すときの決まったやり方だ。
三人とも同じ場所を指定した。
全会一致で、追放だ。
三年前。王都に出てきたばかりの俺にルカは言った。
「ノアくんも一緒に来てよ。四人でパーティを組もう?」
あの日に決めたのだ。足手まといになったら自分から身を引こうと。三人の足を引っ張る前に。
その日が来ただけだ。
「……置いていかれたくないなあ」
誰にも聞こえないようにつぶやいた言葉は夕暮れの風にさらわれて消えた。




