第12話「道端の荷運び」【ノア】
北東の門の前では顔なじみの門番さんが欠伸をしていた。
「おや万華どの! お一人ですか。珍しい」
「今日は調査なんです。三人には休んでもらってて」
「そりゃあ銀牙さまたちが寂しがりますな」
「いや、むしろ清々してると思いますよ」
門番さんは妙な顔をしていた。見送りに来てくれた新人のピコに手を振って俺は門を出た。
朝日が街道を白く照らしていた。
背中の荷物はいつもより軽い。一人分しか入っていないからだ。
……のはずだった。
「なんか重いな」
歩き出して半刻。俺は街道脇の岩に腰を下ろして背負い袋を開けた。
一番上に薬湯の瓶が三本並んでいた。その下には焼き菓子の袋。俺の好きな胡桃入りのやつだ。
「レゾナだな。昨夜ちゃんと断ったのに」
いつの間に入れたんだろう。
外套の内ポケットにはルカのお守りが入っている。首元にはシルヴィにもらった牙の首飾り。
三人とも俺を心配してくれている。
心配されるのは信用されていない証拠だ。
一人で行かせたら倒れるかもしれない。怪我をするかもしれない。帰ってこられないかもしれない。三人はそう思っているのだ。
シルヴィは子どもに言い聞かせるような声で「けがしたら、やだからね」と言った。レゾナは資料を一晩でまとめてくれた。ルカは祝福までしてくれた。
そこまでしてもらわないと一人で調査にも行けない。三人の目に映る俺はそういう探索者なのだ。
「……見てろよ。今度こそちゃんと成果を持って帰る」
焼き菓子を一つだけ口に放り込んだ。甘い。少しだけ元気が出た。
残りは大事に袋へ戻す。礼を言うのは成果を持ち帰ってからだ。
背負い袋を担ぎ直して立ち上がる。
そのとき街道脇の茂みががさりと揺れた。銀色のふさふさしたものが一瞬だけ見えた。
「銀狐か? 珍しいな」
「……くぅん」
「狐ってくぅんって鳴くんだっけ」
ふさふさはすぐに茂みの奥へ引っこんだ。シルヴィの尻尾によく似た色だった。
「……まさかな。シルヴィは宿で休んでるはずだ」
反対側の木の陰でも何かがきらりと光った。眼鏡のような光り方だった。
「朝露か」
少し後ろの道からは鼻歌が聞こえた気がした。ルカがよく口ずさむ聖歌に似ている。
「巡礼の人かな。この街道は朝から賑やかだな」
頭の上でカアと鳴き声がした。枝の上のカラスが一羽じっとこっちを見下ろしている。
「……カラスまで見送りか」
しばらく歩くと道の真ん中で荷車が傾いていた。車輪が一つ外れて転がっている。
荷車の横で痩せた男が頭を抱えていた。灰色の外套。目の下に濃い隈。
「どうしました?」
「ひっ!?」
男が飛び上がった。
「い、いえ、なんでもないっす。車輪が外れただけっす」
「直しましょうか。車軸の楔が抜けてるだけみたいだ」
俺は荷車の下に潜って楔を打ち直した。車輪をはめ直す。だが車軸を見るとひびだらけだった。
「この木箱を載せたままだと、また折れますね」
荷台には大きな木箱が一つ。黒い布がかけてある。布の端には茨のような模様が織り込まれていた。どこかで見た気がする。王都で流行っている柄なのかもしれない。
「そ、そうなんすよ。重くて重くて。洞窟まで運ばなきゃいけないのに」
「洞窟? 霧鳴りの洞窟ですか」
「へ!? い、いや、その、近くっす。洞窟の近く」
「ちょうどいい。俺もそこへ行くところなんです」
俺は木箱に手をかけて持ち上げてみた。ずしりと重い。だが背負えない重さじゃない。
「荷物持ちは得意なんで。運びますよ」
「い、いや! そんな! 中身は大事な……漬物石っす!」
「漬物石ですか。……なんだか温かいですね」
「は、発酵が進んでるんすよ!」
漬物石が発酵するのか。王都の外には俺の知らない漬物があるらしい。
俺は木箱を背負い袋の上に載せて縄で固定した。重さが背中の芯に乗る。荷物の詰め方の基本だ。
「お、おお……背負った……あの箱を……」
男は口を開けたまま俺を見上げていた。
洞窟までの道すがら男はほとんどしゃべらなかった。時々木箱を見上げては額の汗を拭っている。人見知りなのかもしれない。
背中の木箱がときどきどくんと脈を打った。
「中で何か動いてません?」
「は、発酵っす! 元気な発酵っす!」
「元気な発酵……」
「お、お兄さん。ずいぶん鍛えてるっすね」
「荷物持ちは体が資本なんで。よかったら焼き菓子どうぞ。妹が持たせてくれたんです」
男はおそるおそる焼き菓子を受け取って口に入れた。
「……うまいっす。こんなに優しくされたの、職場に入ってから初めてっす」
「大変な職場なんですね。どちらにお勤めなんです?」
「ど、洞窟の近くの……研究……漬物の研究所っす」
「漬物の研究所! だから発酵する漬物石なんですね」
「そ、そうっす。上司が三年前からずっと機嫌が悪くて」
「それは大変だ。体を壊さないでくださいね」
男は焼き菓子を握りしめたまま鼻をすすった。
「……お兄さんは、上司に恨まれたらどうするっすか」
「謝りますね。俺、知らないうちに人を怒らせることが多いんで」
「知らないうちに……」
「昔、迷子の猫を探しに行っただけなのに大騒ぎになったこともあって。あのときも誰に謝ればいいのかわからなかったなあ」
「へ、へえ……」
しばらく黙って歩いてから男がおそるおそる口を開いた。
「あの、お兄さんは洞窟に何しに行くんすか」
「異常の調査です。一昨日の夜、新人の子たちが見たこともない魔物に襲われて」
「へ、へえ。どんな魔物っすか」
「六本足で背中に棘が生えた狼です。首輪をつけてました。たぶん誰かの飼い魔物ですね。飼い主さん、心配してるだろうな」
「……し、心配してるっす。たぶん、ものすごく」
「え?」
「い、いえ! なんでもないっす! お、お仲間は一緒じゃないんすか」
「今回は一人です。仲間に頼らずに成果を出したくて」
「一人……一人で……」
男は何かをぶつぶつとつぶやき始めた。
「そんな荷物を背負って重くないんすか」
「慣れてますから。いつもは七人分を背負ってるんで。最近は四人分ばっかりでしたけど」
「よ、四人分……」
「仲間がみんな強いんで。俺にできるのはこれくらいなんですよ」
男はなぜか顔を引きつらせた。
霧が濃くなってきた。木々の間に黒い岩肌が見える。霧鳴りの洞窟の入口だ。
「こ、ここで結構っす! ここからは自分で運ぶっす!」
男は木箱と洞窟を何度も見比べてから小声で付け足した。
「あの……洞窟の奥は、やめといたほうがいいっすよ。ほんとに」
「ありがとうございます。でも仕事なんで」
男は入口の手前の岩陰を指さした。そこには別の荷車が待っていた。
俺が木箱を岩陰の荷車へ直接下ろすと、男は慌てて縄をかけた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫っす! 助かりました。あの……お名前を聞いても?」
「ノアです。ノア・バゲッジ。ローゼズってパーティで荷物持ちをやってます」
男の顔から血の気が引いた。
「ノ……ノア……ローゼズの……ば、万華……」
「ああ、その呼び名ですか。万華鏡ってきれいなのは中の欠片だけで、筒はただの入れ物でしょう。仲間を運ぶ荷物持ちって意味の皮肉みたいなもんですよ」
「ひ、皮肉……」
「知ってるんですか?」
「い、いえ! 知らないっす! 全然知らないっす! さよならっす!」
男は荷車を押して霧の中へ消えた。車輪が石に跳ねる音が遠ざかっていく。
「……変わった人だな」
俺は洞窟の入口に向き直った。
入口の地面を調べる。真新しい轍が三本。六本指の足跡がいくつも。奥へ向かって続いている。
「轍はさっきの漬物屋さんのだな。足跡は一昨日の魔物か。……よし。調査らしくなってきた」
冷たい風が奥から吹いてくる。鐘のような音がかすかに混じっていた。
ここから先は一人だ。
牙の首飾りを握る。今度こそ一人で成果を出す。置いていかれないために。
俺は霧鳴りの洞窟へ足を踏み入れた。




