第11話「守護騎士さまはお休みです」【ルカ】
夜明け前の教会は静かだ。
わたしは裏庭の大きな楡の木の下でノアくんを待っていた。村の大きな木に少しだけ似ている木だ。
昨夜のうちに女将さんへ伝言を頼んでおいた。出発の前に教会の裏庭に寄ってね。お守りの祝福をしてあげるから。
ノアくんは律儀だから必ず来る。
「おや聖女さま。こんな刻限にどうなさいました」
燭台を手にした老司祭さまが回廊から顔を出した。
「おはようございます、司祭さま。守護騎士さまの出立の祝福です」
「ほう。万華どのがどちらかへ?」
「霧鳴りの洞窟の調査です。お一人で」
「お一人で? 聖女さまをお連れにならんのですか。守護騎士たる者、聖女のおそばを離れぬのが習わしですぞ」
「ふふ。そうですよね」
「まあ、あの方らしいと言えばらしいが。ああそうだ。来月の祝福式の招待状ですがな。今年は貴族の皆さまにもお送りしておきますぞ」
「よろしくお願いします」
司祭さまは満足そうにうなずいて回廊の奥へ戻っていった。祝福式の本当の意味をノアくんは知らない。シルヴィとレゾナちゃんも健康祈願だと思っている。
今年の祝福式には貴族の人たちまで来る。それはつまり王都中が証人になるということだ。
ふふ。来月が楽しみ。
昨日の訓練場のことを思い出すと頬がゆるんでしまう。
扉の陰からレゾナちゃんと二人で見ていたのだ。
「いっしょに行く! 前衛はシルヴィにしか任せられないって、ノアが言ったんだもん」
シルヴィはノアくんと二人きりになると子犬になる。耳を撫でられて「くぅん」と鳴いていた。尻尾もちぎれそうなほど振っていた。それなのに出口でわたしたちを見た瞬間に銀牙の顔に戻った。本人は完璧に切り替えたつもりらしい。
「いま来たところだよ」と答えたときレゾナちゃんの肩は震えていた。わたしも笑いをこらえるのに必死だった。
かわいいなあと思う。恋敵なのに。
レゾナちゃんだってそうだ。夜中に廊下で「お兄ちゃん」と言いかけていたのが扉の上の透かし窓から聞こえた。あの階は声が筒抜けなのだ。
二人とも断られちゃったんだ。
でもわたしは違う。だってわたしはノアくんの守護騎士さまの聖女なんだもの。
裏門のきしむ音がした。
「ルカ。待たせたか?」
大荷物を背負ったノアくんが裏庭に入ってきた。
「ううん。わたしも今来たところ」
わたしはノアくんの襟元に手を伸ばした。旅装の襟が少しだけ曲がっている。
「もう。襟、曲がってるよ」
「ああ、悪い」
ノアくんは当たり前のようにされるがままになっている。小さい頃からずっとこうだ。
「朝ごはんは食べた?」
「女将さんが握り飯を持たせてくれた」
「お水は? 外套は? 雷が鳴ったらどうするの?」
「洞窟の中じゃ雷は聞こえないだろ」
「わたしが困るの。ノアくんがいないと雷の夜に行くところがないんだもん」
「すぐ帰ってくるよ。それまでは毛布をかぶってろ」
「……ばか」
襟を直し終えてわたしは顔を上げた。
「シルヴィとレゾナには会ったの?」
「昨日のうちに会ったよ。二人とも心配してくれた。シルヴィには干し肉を半分もらった。レゾナは資料を作ってくれたんだ」
「……ふうん。干し肉、半分こしたんだ」
狼族の人たちが食べ物を分け合うのには特別な意味があるって聞いたことがある。シルヴィったら抜け目がない。
「ノアくんこそ疲れてない? 昨日は朝までみんなを運んでたでしょ」
「ルカのほうこそ無理するなよ。九人も治したんだから」
「九人なんて朝ごはん前だよ」
「さすが慈雨の聖女だな。俺なんか自分の火傷を治すので精一杯なのに」
ノアくんの治癒はわたしよりずっと速い。灰の坑道の火傷だって瞬きする間に治していた。知らないのは本人だけだ。
「じゃあわたしは、これ。はい、手を出して」
差し出された手のひらにわたしは小さなお守りを載せた。白い布に聖印を刺繍した袋だ。
両手で包んで祝福の言葉を唱える。白い光がお守りに吸い込まれていった。
「ありがとう、ルカ。これで百人力だ」
「でしょ?」
わたしはノアくんの手を握ったまま離さなかった。
「ねえノアくん」
「ん?」
「守護騎士さまは聖女を置いていかないものだよ?」
上目遣いで見上げて小首をかしげる。これでノアくんが断れたことは一度もない。
「わたしも行く。怪我したら治してあげられるし、結界も張れるし。ね?」
ノアくんは少しだけ黙った。それからわたしの手をそっとほどいた。
「ルカ。今回は守護騎士じゃなくて、ただのノアとして行きたいんだ」
「……ただのノア?」
「村にいた頃からずっと俺はルカを守る役目で、王都に来てからは三人の荷物持ちだった。肩書きのない俺に何ができるのか自分でもわからないんだ。だから一人で確かめたい」
ノアくんの目がまっすぐわたしを見ていた。冗談を言っている目じゃない。
胸がどきんと鳴った。
守護騎士じゃなくてただのノアとして。
それって役目も約束も全部抜きにして。一人の男の人として。そういうこと?
一人の男の人として何かを確かめて帰ってくる。そして帰ってきたら……。
頬が熱くなる。耳まで熱い。
「……そ、そっか。ただのノアくんとして、なんだ」
「わかってくれるか?」
「うん。……わかった。いってらっしゃい」
見送る前にひとつだけ確かめておきたかった。
「ねえノアくん。帰ってきたら、わたしのお話を聞いてくれる? この前言ってた続き」
「ああ、緊急招集の夜のやつか。帰ったら必ず聞くよ」
「約束だからね」
「約束する」
ノアくんは笑ってわたしの頭を撫でた。それから荷物を担ぎ直して裏門を出ていった。
わたしは楡の木の下で手を振り続けた。ノアくんの背中が見えなくなるまで。
見えなくなった。
小さい頃のノアくんの声を思い出す。木登りで先に頂上へ着いたノアくんはいつも枝の上から手を伸ばしてくれた。
「ルカ、つかまれ。俺が引っぱってやるから」
「ノアくん、落ちない?」
「落ちないよ。ルカは俺が守るんだ」
あの日の約束も守護騎士の誓いも。ノアくんにとっては全部同じ「守る」なのかもしれない。
でも今日のノアくんは「ただのノア」として行くと言った。役目じゃない言葉を聞かせてくれるかもしれない。
わたしはくるりと振り返って聖女の控え室へ走った。
法衣を脱いで旅装に着替える。動きやすい革の靴。薄手の外套。髪はひとつに結ぶ。
鏡に映ったのはどこにでもいる旅の娘だ。これなら誰にもばれない。
「ただのノアくんとして行くなら、わたしもただのルカとして行けばいいんだもん」
聖女の杖は布でぐるぐる巻きにした。
「髪型よし。杖よし。法衣も脱いだし。うん、どこから見ても普通の女の子」
一つだけ気になることがある。
「……まさかシルヴィとレゾナちゃんも行ったりしないよね。ううん、二人とも断られたんだもん。おとなしく待ってるはず」
わたしは鏡に向かってうなずいた。
控え室を出たところで掃除中の修道女さんと鉢合わせした。
「あら聖女さま。お早いですね。……そのお姿は?」
「お祈りの巡礼です。しばらく留守にしますね」
「巡礼ですか。それはご立派な。どちらまで?」
「えっと……北東のほう。霧が出てるあたり」
「霧鳴りの洞窟のほうですか? あのあたりは物騒だと聞きますが」
「だいじょうぶ。守護騎士さまがいるから」
「先ほどお一人で出立されたのでは……あの、聖女さま。それと胸元の聖印が」
「いってきまーす!」
修道女さんがまだ何か言っていた。でも急がないとノアくんに追いつけない。
裏門のところでさっきの老司祭さまとすれ違った。
「おや聖女さま。巡礼でしたら守護騎士どのと同じ方角ですな」
「えへへ。たまたまです」
「たまたま、ですか。ほっほっ」
司祭さまは燭台を掲げて見送ってくれた。全部お見通しみたいな笑い方だった。
守護騎士さまは今日はお休み。
だから聖女もお休み。今日のわたしはただのルカだ。
……もちろんシルヴィとレゾナちゃんには内緒でね。




