第13話「変装は尻尾から崩れる」【ピコ】
夜明けの北東の門で俺はノアさんを待っていた。
昨日の夕方にノアさんへお礼を言いに宿へ行った。そのとき女将さんが教えてくれたのだ。ノアさんは明日の朝から一人で霧鳴りの洞窟の調査に出るって。
命の恩人だ。見送りくらいはしたい。
ノアさんは日が昇る少し前に門に現れた。昨日と同じ大荷物だ。
「ピコ? こんな朝早くにどうした」
「お見送りです! 見てください。昨日からずっとこの詰め方で歩いてます!」
俺は背負い袋をくるりと回して見せた。ノアさんは中をのぞき込んでうなずいた。
「うん、いいな。水筒はもう少し下に入れるともっと楽になるぞ」
「もっと下……! 奥義の第二段階ですね!」
「奥義?」
「なんでもありません!」
それからふと心配になって聞いてみた。
「ノアさん、お一人で大丈夫なんですか」
「大丈夫だよ。三人が一緒じゃないのは心細いけどな。足を引っ張ってしまう心配のないぶん気楽だ」
「足を引っ張る……? 誰がですか?」
「俺がだよ」
「えっ」
「見送りありがとうな。ピコは当分あの森に近づくなよ」
「はい!」
ノアさんは笑って門を出ていった。
ノアさんの背中が街道の先で小さくなった頃だった。
門の内側から旅人が一人歩いてきた。目深にフードをかぶっている。背が高い。腰には布を巻いた細長いものを下げていた。たぶん剣だ。
門番のおじさんが声をかけた。
「おはようございます、銀牙さま」
「……人違いだ。私はただの旅人だ」
「は、はあ。失礼しました」
旅人はすたすたと門を抜けていった。
フードの裾から銀色の尻尾がはみ出していた。ふさふさと揺れている。
……銀牙さまだ。どう見ても。
門番のおじさんも尻尾を見送りながら首をかしげていた。
「今朝はやけに旅人が多いな」
次に来たのは小柄な旅人だった。分厚い外套。顔には眼鏡が三つ。重ねてかけている。
「おはようございます、魔女さま」
「人違いです。私は眼鏡の行商人です。見本を三つかけているだけです」
「……は、はあ。売り物はおいくらで?」
「非売品です」
眼鏡の行商人は早足で門を抜けていった。歩くたびに三つの眼鏡が鼻の上でかちゃかちゃ鳴っている。
三人目は町娘のような服の旅人だった。布でぐるぐる巻きにした長い杖を抱えている。
胸元で聖印が朝日を受けてきらりと光った。
「おはようございます、聖女さま」
「えっ。ど、どうしてわかったの?」
「いえ、その……胸元が」
「あっ」
町娘は聖印を外套の中に押しこんだ。
「お祈りの巡礼です! ただのルカです! いってきます!」
自分でルカと名乗っていた。
門番のおじさんは三人の背中を見送ってから俺のほうを見た。
「坊主。今の三人、見たか」
「……見ました」
「見なかったことにしとけ。ローゼズの皆さんにはいろいろあるんだ」
「いろいろ、ですか」
「万華どのが一人で出かけるとな、決まってああなる。去年の雑用依頼のときもそうだった」
「去年も!?」
「だから坊主も見なかったことにしとけよ」
「は、はい」
でも俺は気になって仕方がなかった。三人とも別々に。ノアさんの後を追うように。
これは勉強だ。王都最強のパーティが何をするのか見届けるのは新人の勉強になる。
森に近づくなとは言われた。でも森の入口までなら森じゃない。たぶん。
俺はこっそり三人の後を追った。
北東の森が近づくにつれて足がすくんだ。一昨日の夜の赤い目が頭に浮かぶ。六本の足。背中の棘。
背負い袋の紐を握りしめる。重いものは背中側の下。ノアさんの奥義を守っていれば走って逃げられる。
「……大丈夫。俺には奥義がある」
途中で一度だけノアさんの姿が見えた。道端で困っていた男の人の大きな木箱を背負ってあげていた。さすがノアさんだ。困っている人を放っておけないのだ。
三人はそれぞれ別の茂みに隠れながら進んでいた。三人とも互いには気づいていないらしい。銀牙さまの尻尾だけは茂みから何度もはみ出していた。
右の茂みから小さな声が聞こえた。
「……ノア、木箱持ってあげてる。えらい」
左の木の陰からも。
「推定重量八十キロ。兄さんなら誤差です」
後ろの岩陰からも。
「ノアくん、また人助けしてる。ふふ」
三人とも声に出ていた。
霧鳴りの洞窟の手前で俺は茂みに身を伏せた。
ノアさんが正面の大穴へ入っていく。
その直後。三つの茂みから三人が同時に飛び出した。
「……なっ」
「……あ」
「……あれ?」
入口の前で三人が鉢合わせした。
しばらく誰も何も言わなかった。
「……ルカ。レゾナ。なぜここにいる」
銀牙さまがフードを外した。低い声だ。剣士の声だった。
「お祈りの巡礼だよ。シルヴィこそ」
「眼鏡の行商です。この先に得意先があります」
「私は……散歩だ」
「散歩にしては遠すぎます。王都から二時間です」
「お前の得意先こそどこにある。この先は洞窟しかないぞ」
「巡礼の途中にたまたま寄っただけだよ? ほんとだよ?」
「聖印が光っているぞ、ルカ」
「シルヴィこそ尻尾がずっと出てたよ」
「レゾナの眼鏡は三つとも曇っている」
「霧のせいです」
三人とも嘘が下手だった。
「そもそもノアは私に待っていろと言ったのだ。だから待つ場所を洞窟の前にしただけだ」
「兄さんは気持ちだけもらうと言いました。気持ちには同行の意思も含まれます」
「ノアくんはただのノアとして行くって言ったの。だからわたしもただのルカとして来たんだよ」
三人とも自分は悪くないと思っている顔だった。
銀牙さまは地面に顔を近づけた。くんくんと匂いを嗅いでいる。
「……ノアの匂いだ。まだ新しい」
声は低いままだった。なのに尻尾だけがちぎれそうなほど揺れている。一昨日の森でノアさんに名前を呼ばれたときと同じ揺れ方だ。
魔女さまと聖女さまが顔を見合わせた。
「……見なかったことにしてあげよっか」
「観測記録には残しておきます」
二人とも口元がゆるんでいる。一昨日の森で見たのと同じ顔だ。小さな子を見守るような顔。
銀牙さまがはっと顔を上げた。
「何を見ている」
声は剣士のままだ。尻尾はまだ揺れていた。
「ううん。なんでも」
「なんでもありません」
……あの二人は絶対に知ってる。銀牙さまがノアさんのことになるとああなることを。
「とにかく抜け駆けは許さない。ノアの狩りは見届けるだけだ。手出しは無用」
「同意します。抜け駆けは禁止です。兄さんの邪魔はしません」
「うん。抜け駆けはだめだよね。みんなで帰ろっか」
三人がうなずき合った。
「では私は王都へ戻る」
「私も帰ります」
「わたしも」
三人がそれぞれ別の方向へ歩き出した。
王都はどれとも違う方向だ。
「……東の横穴から風が来る。ノアのにおいが濃い」
銀牙さまは東の岩陰の横穴へ消えた。
「資料によれば西の横穴が最深部への最短経路です。先回りできます」
魔女さまは西の横穴へ。
「なんとなくこっちな気がする。守護騎士さまの加護だよね」
聖女さまは裏手の岩の割れ目へ。
霧鳴りの洞窟には正面の大穴のほかに横穴がいくつもある。ギルドの資料室に貼ってあった地図にそう書いてあった。
俺は茂みの中で膝を抱えた。
ノアさんは正面から一人で。三人は別々の横穴から一人ずつ。
全員が一人ずつ洞窟に入っていった。
霧の奥から鐘のような音がかすかに響いてきた。一度。二度。
「……鐘の音だ」
ロッドが言っていた噂の音だ。背中がぞくりとした。
それが何を意味するのか。このときの俺にはまだわからなかった。
俺は懐から手帳を取り出した。魔女さまの真似だ。
「ノアさん観察記録。一日目。ローゼズは全員、変装が下手」
書いてから少し考えて付け足した。
「でも全員、ノアさんのことが大好き」
最後に記録者の名前を書いた。
「記録者 疾風迅雷のピコ」
……やっぱり消した。二つ名は人につけてもらうものだ。リリの子どもを見るような生温かい目を思い出したわけじゃない。
ノアさんには森に近づくなと言われている。だから俺はここで待つことにした。ここはまだ森の入口だ。たぶん。
俺は背負い袋から干し芋を取り出してかじった。見届けるのも新人の勉強だ。




