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断頭台に散った悪役令嬢は、現代でプログラマーとなり乙女ゲームに『真の救済エンド』を実装する  作者: あとりえむ


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第4話

昼間のルミナス・ソフトウェアのオフィスは、莉奈にとって磨りガラス越しに眺める風景のような、現実味の薄い場所になりつつあった。


キーボードを叩く音、飛び交う指示、神崎の不快な笑い声。

それらすべてを意識の遠くに追いやり、莉奈は淡々と、機械的に「仕様」をこなしていく。


モニターに映っているのは、王太子アルフレッドが聖女アリシアの手を取り、星空の下で永遠の愛を誓うメインルートの山場だ。


「アルフレッド:愛している、アリシア。君こそが、僕の真実だ」


その台詞をイベントスクリプトに流し込み、エフェクトのタイミングを調整する。


かつて自分を処刑台へと送った男が、自分を陥れた女に囁く愛の言葉。

それを自分の手で一字一句、最も美しく見えるように配置していく皮肉。


莉奈の指先は氷のように冷たかったが、表情は鉄の仮面のように動かない。



昼間の彼女は、神崎にとっての「便利な道具」であり、同僚にとっての「優秀な同僚」でしかなかった。


だが、終電間際の電車に揺られて帰宅し、ワンルームのドアを閉めた瞬間、彼女の「本当の時間」が始まる。


照明を点けないままデスクに座り、インスタントコーヒーを一口含んで、自宅のPCからVPN接続を確立させる。


赤いアイコンが「Connected」に変わる。

それは、ルミナス・ソフトウェアの心臓部へ、静かに牙を剥くための合図だった。


深夜の暗闇の中、莉奈は昼間に構築した「甘い幻想」の裏側に、鋭利なロジックの楔を打ち込んでいく。


神崎が用意した華やかな舞台装置を足場に、その影に潜むようにして、セレスティアのための脱出口を構築する。


連日の徹夜と、コードを打つたびに脳裏を掠めるギロチンの幻影。


莉奈の精神は確実に摩耗し、視界の端には常に薄暗いノイズが走っていた。


それでも、キーボードを叩く指を止めることはできない。

止めてしまえば、あの冷たい断頭台の記憶に、今度こそ完全に飲み込まれてしまう気がしたからだ。




深夜三時。モニターの光だけが、莉奈の憔悴した顔を白く浮かび上がらせている。


目の前のソースコードは、もはや一つの生命体のように複雑に絡み合っていた。


「Project_SALVATION」を実装する上で最大の難関は、その「秘匿性」だった。


通常の隠しフラグであれば、デバッグモードで簡単に可視化されてしまう。神崎のチェックや、優秀なデバッグチームの目を欺くためには、プログラムの「挙動」そのものを偽装しなければならない。


莉奈が考案したのは、ゲーム内の無価値なゴミアイテムを特定の順序で合成し、さらにシナリオフラグを逆順で踏むことで初めて、暗号化された実行バイナリがメモリ上に展開されるという、狂気じみた多重ロックだった。


だが、理論は完璧でも、実装には限界があった。


「……くそっ、メモリのオーバーヘッドが大きすぎる」


複雑な条件分岐を走らせるたび、システムの処理速度が微かに低下する。


プロセッサの負荷グラフが、まるで莉奈の悲鳴のように鋭い山を描いた。

このままでは、リリース前の最終負荷テストで確実に「異常な処理」として検知される。


コードをリファクタリングし、冗長な部分を削ぎ落とろそうとするが、一人で構築した巨大なロジックは、触れるたびに新たなバグを吐き出した。


思考が霧に包まれる。


前世の処刑前夜、牢獄で感じた絶望的なまでの無力感が、コードの行間から溢れ出し、彼女を絡め取ろうとする。


誰も助けてくれない。

この世界のどこにも、本当の私を知る人はいない。


キーボードの上に置いた指が、寒さではない震えで動かなくなった。


孤独と、重圧。

この巨大な嘘をたった一人で完成させることの不可能さに、莉奈の心は音を立てて軋んでいた。



もう限界だった。


莉奈は視界を覆うノイズを払うように一度だけ強く頭を振り、ブラウザのシークレットウィンドウを立ち上げた。


アクセスしたのは、世界中のトップエンジニアが集う海外の匿名技術フォーラムだ。

そこは、国籍も目的も、時には倫理さえも捨て、純粋な論理の美しさだけを競う修羅たちの溜まり場。


莉奈は震える指で、英語のテキストを打ち込んでいく。


『レガシーなモノリス・エンジンにおいて、ホストのパフォーマンス指標に影響を与えず、かつ検知不能な論理ツリーを動的に寄生させる手法について』


彼女は身元が割れないよう、問題を極限まで抽象化して書き込んだ。


自分を殺そうとする物語を書き換えるために、開発環境をハッキングしているのだとは、死んでも誰にも言えない。


だが、この論理の壁を突破できなければ、自分は再びあの断頭台で、無様に首を落とされることになる。



書き込みから数分、画面が更新され、一つのレスポンスがついた。


発信者の名は、ただ一文字『C』


『非常に興味深い難問だ。ホスト側のメモリを直接拡張するのではなく、既存のフラグのビット演算における余剰領域を使い、ステガノグラフィ的にインストラクションを埋め込めばいい。簡易的な仮想マシンの実装案を置いておく』


そこに提示されていたコードは、莉奈がこれまで目にしてきたどんな技術書よりも洗練され、無駄がなく、そして残酷なまでに美しかった。


それは、莉奈が何に苦しみ、何を成そうとしているのかを、ソースコードの行間からすべて見抜いているかのような、完璧な「答え」だった。


「……すごい」


莉奈の口から、乾いた感嘆の吐息が漏れた。


凍りついていた思考回路に、新しいインスピレーションの熱が猛烈な勢いで流れ込んでいく。


画面の向こう側にいる正体不明の『C』という存在が、この孤独な戦場で初めて、彼女の隣に立ってくれたような気がした。



莉奈は夢中でキーボードを叩いた。

『C』が提示した仮想マシンのロジックを、自作のコードへ流し込んでいく。


既存のフラグ管理システムの隙間、本来なら捨てられるはずの数ビットの領域に、救済ルートへの命令セットがパズルのピースのように収まっていく。


「……消えた」


モニターに表示されたシステム負荷のグラフが、凪いだ海のように平坦になった。


あれほど彼女を苦しめた不自然な負荷は消え去り、救済ルートの入り口は、今やシステムの深層に溶け込む透明な幽霊となった。


神崎の傲慢なシナリオの裏側で、誰にも知られず、しかし確実に、反逆のための回路が脈打ち始める。


莉奈は画面を見つめたまま、フォーラムの返信欄に一言だけ打ち込んだ。


『救われた。心から感謝する』


返信はすぐには来なかったが、それでよかった。


匿名という名の盾に守られたこの場所で、見ず知らずの誰かが自分の戦いを支えてくれた。

その事実だけで、凍てついていた莉奈の指先に、かすかな熱が戻ってくる。


明日もまた、昼間は憎い相手の幸せをプログラミングする苦痛が待っているだろう。


だが、今の彼女には、夜の闇を共に歩んでくれる見えない共犯者がいる。



莉奈は数日ぶりに微かな微笑を浮かべ、シャットダウンのコマンドを打った。


モニターが消えた後の暗闇は、もう以前ほど冷たくはなかった。

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