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大公女 ミレイユ・アーグランド

 大公家の養女にならないか、アシェラ大公子妃の快気祝いのパーティの場で大公から告げられた提案に、驚き戸惑いながらもそれを受け入れたミレイユを、大公家の人々は皆祝福する。


 「手続きは内々で進めさせている。まずは領地に戻って城の者達にも紹介しよう」

 「お披露目はいつになさるおつもりで?」

 「ミレイユが作法を身に着けたりする期間を設けたい。私の誕生パーティーの時に帝都のこの屋敷でいいだろう」


 君を皆に紹介するのが楽しみだと笑うハーヴェント大公と言葉を交わすメルヴィア大公妃。

 長い間床に臥せっていたアシェラ大公子妃の治療の為に、帝都のタウンハウスであるこの屋敷に長い間居たが、本来の住まいである大公領の城へ戻ると大公は告げた。

 大公家の使用人達が慌ただしく働く中、ミレイユはアシェラから側に就くメイドの紹介を受けていた。一人は老齢のメイドマーサ、そしてもう一人は彼女と同じく焦げ茶の髪をした十代前半と思われる年若い少女だ。


 「貴方の身の回りの世話は、引き続きマーサにお願いするわ。それと彼女を補佐するメイドとして……」

 「は、初めましてミレイユお嬢様っ、リンディと申しますっ!」

 「彼女はマーサの孫なの、貴方とも年が近いし話しやすい子も居た方が良いと思って推薦したわ」


 大公家に来た時から彼女の世話役を務めた老齢のメイドマーサ、そしてその孫であるリンディをミレイユ付きのメイドにすると紹介するアシェラ。

 甲斐甲斐しく世話をし心を許している優しいマーサと、比較的年の近いメイドであるリンディはミレイユにとって安心できる環境を作ってくれるだろうと大公子妃は考えている。


 「よろしくねマーサ、リンディ」

「はい、お嬢様にお仕えできて光栄ですわ。孫共々よろしくお願いいたします」

 「大公城に戻ったら、貴方の教育を担当するカヴァネスを紹介するわ。お披露目までに作法を覚えてね」

 「ありがとうございますアシェラ様。はい、頑張って覚えます」

 「……その、アシェラ様ってのは他人行儀過ぎないかしら、貴方はお義父様達の養女になったのだから……」

 

 ミレイユは一瞬息を呑み、それから恐る恐るアシェラを見上げた。大公子妃は期待に満ちた瞳で彼女を見つめている。これまでミレイユが知らなかった家族の温もりが、その眼差しの中に確かに宿っていた。


 「えっと……アシェラ、お姉様」

 「ええ、それでいいのミレイユ。私の可愛い妹」


 ミレイユはたどたどしく呼びかけた。その瞬間、アシェラは破顔しミレイユを優しく抱きしめた。

 暖かな抱擁の心地よさに思わず目を細めるミレイユは、自分からも姉の背に手を伸ばす。マーサとリンディが微笑ましく見守る中、姉妹はギュッと抱き合っていた。

 

 数日後、大公一家は帝都のタウンハウスを離れ大公領へと出発する。伯爵家では外に出る事すら碌に許されず、大公家に迎えられてからも基本的に邸内で過ごしたミレイユ。

 彼女にとって馬車の窓から見える光景は何もかもが新鮮で、帝都の街並み、そして街道に出てからは広い平原や途中の街や村を飽きずに見続けていた。

 同乗しているセルヴェンとアシェラ夫妻は、物珍しそうにあちこちに視線を向ける義妹を愛おし気に見つめている。

 大公領は帝都から東に三日ほどの距離にあり、広大な領地の中心には大公城がそびえ立つ。一行が大公領に入ると、各所で領民たちが頭を垂れて迎えた。


 (これが、私の新しい家……)


 馬車の窓から見える城の姿に、ミレイユは息を呑む。帝都のタウンハウスも十分に立派だったが、この城はそれとは比べ物にならないほどの威容を誇っていた。

 城に到着すると、大公夫妻は早速ミレイユを連れて城の中を案内する。集められた城の使用人達には養女として紹介され、皆が深く礼をした。その中にはミレイユを好奇の目で見る者も居たが、大公夫妻の前では誰もが丁重な態度を崩さない。その日から、ミレイユは正式に大公家の一員としての生活を始めたのだった。



 大公城での生活はミレイユにとって目まぐるしくも充実したものとなった。

 

 「初めましてミレイユ大公女様、貴方のカヴァネスを務める事になりました、フレイ・オルソン伯爵夫人です」

 「フレイは私の親友なの。フレイ、私の可愛い妹をよろしく頼むわね」

 「ええ、お任せください。公女様、アシェラを、私の親友を救ってくださり本当にありがとうございます。公女様のお披露目を立派に果たせるよう、ご指導いたしますわ」


 カヴァネスとしてミレイユに紹介されたのは、フレイと名乗る若い伯爵夫人だった。赤い髪を結い上げ眼鏡をかけた彼女は優雅に一礼してミレイユに微笑む。

 アシェラの親友であるフレイは、彼女の病気の原因を取り除いたミレイユに対して深い感謝を抱いている。

 ミレイユが希少な病も癒す力を持っている事は秘匿されているため、世間に向けてはミレイユの存在が精神を病んでいた大公子妃快復のきっかけになったという説明がなされていたが、アシェラの夫であるセルヴェンからフレイにはある程度事実が伝えられていたのだ。

 

 大公城の一室でミレイユの教育が始まる。アシェラも同席する中、フレイは優しくも厳格な教師としての顔を見せた。


 「公女様は美しい所作をお持ちですが、貴族として必要なマナーやダンスなどはこれからのようですわね」

 「は、はい……あまり外に出してもらえなかったので……」

 「ご心配なさらないで、私がしっかりお教えしますから。アシェラ、貴方も時々でいいから見てあげてくださいね」

 「もちろんよ。私も妹に色々教えたいわ」


 教育の時間はミレイユにとって新しい事を学ぶ喜びに満ちていた。伯爵家では誰もこんな事は教えてくれる筈もなかった。しかし今は違う、フレイは時には厳しくしつつも、しっかりミレイユを導いてくれる。アシェラもまた、姉としてミレイユに様々なことを教えてくれた。


 ダンスの練習はフレイやアシェラと行い、テーブルマナーは実際の食事の場で大公家全員から指導を受け、特に大公ハーヴェントは実に楽しそうに娘へマナーを教えていた。


 読み書き計算などの学問は大公家付きの学者が担当したが、前世の記憶と知識のあるミレイユは学者が驚くほどのペースでそれを習得していく。

 転生者補正とでもいうのだろうか、ミレイユも驚いた事だがこの世界の文字や数字がすぐに理解でき、計算も前世で学んだ物が使えるのだ。


 「公女殿下は天才です。学者でも難しい様な計算を事も無げに解かれ、私がこんな解き方もあったのかと驚かされる程です」


 学者が天才だと手放しで褒める程の学習速度は、大公家の面々に驚きと喜びをもたらした。


 (お披露目までに、皆の期待に応えられるようにならなくちゃ)


 ミレイユは決意を新たに日々の勉強に励んだ。時には疲れてしまうこともあったが、そんな時はアシェラが紅茶を淹れてくれたり、セルヴェンが気晴らしにと城の中庭を散策に連れ出してくれた。大公夫妻も娘が根を詰めすぎないようにと気遣い、家族団欒の時間を大切にしている。


 「ミレイユ、少し休憩にしない?貴方の好きなお菓子を用意させたの」

 「ありがとうございます、お義母様」

 「ふふ、お義母様だなんてまだ硬いわね。でも無理にとは言わないわ。ゆっくり慣れてちょうだい」


 メルヴィアは柔らかな微笑みを浮かべながら、ミレイユの頭を優しく撫でた。その手の温もりに、ミレイユは実の母親の記憶など全くないのに、母とはこういうものなのかもしれないと思い始めていた。


 大公城に来てからの時間は、ミレイユにとってかつてないほど幸福な時間となった。しかし時折夜中に目を覚ますと、自分は本当にここに居ていいのだろうかという不安に苛まれる事もある。こんな幸せはいつか壊れてしまうのではないか、本当の娘ではない自分がこんなに大切にされて良いのだろうかと。

 そんな夜は、決まって月明かりの差し込む窓辺で独り膝を抱えていた。

 

 ある晩も、ミレイユは眠れずに窓辺に立っていた。満月が大公領の広大な森や湖を青白く照らし出している。その美しさに見とれていると、控えめなノックの音が響いた。


 「ミレイユ、起きているかしら」

 「アシェラお姉様?」


 驚いて扉を開けると、そこには寝間着姿のアシェラが立っていた。


 「何だか目が覚めてしまってね、そうしたら貴方の部屋から物音がしたから。眠れないの?」

 「……はい、少しだけ」

 「そう、それなら少し話さない?」


 彼女は優しく微笑むとミレイユの部屋に入って来る。二人は窓辺に並んで座り、しばし沈黙のまま月を眺めていたが、やがてミレイユは意を決して、ポツリポツリと語り始める。


 「私、ここに居てもいいんでしょうか。私は本当の娘じゃないのに、皆さんがあまりに優しくて……」

 「ミレイユ……」

 「これは夢なんじゃって、いつか覚めちゃうのではって思うと怖くて……」


 ミレイユは伯爵家の庶子で、奴隷同然の扱いを受けていた、その事は夫から聞いているが、その時の忌まわしい記憶が彼女を不安にさせているようだ。

 アシェラは妹の言葉を最後まで聞くと、そっと彼女の両手を包み込んだ。


 「ミレイユ、貴方は私の大切な妹よ。血は繋がっていなくても、私にとっては掛け替えのない家族なの」

 「お姉様、でも私は……」

 「お義父様もお義母様も、セルヴェンだってそうよ。貴方を心から愛しているわ。幸せにしてあげたいって思ってるの、だからそんな風に不安にならないで」


 アシェラはそう言うと、ミレイユをそっと抱きしめた。優しい温もりに包まれて、ミレイユの目からは自然と涙が溢れていた。

 止め処なく溢れる涙をアシェラは優しく拭ってくれる。そして泣き止んだミレイユを見つめて、アシェラは少し悪戯っぽい顔で言った。


 「もしどうしても不安で眠れないなら、今夜は私と一緒に寝ましょうか」

 「そ、それは流石にセルヴェンお義兄様に悪いです」

 「あら、彼は今夜は書類の山と格闘しているから大丈夫よ。一回くらい一緒に寝るなんて、なんて事は無いわ」


 結局その夜はアシェラがミレイユのベッドで一緒に寝ることになり、彼女は姉の温もりを感じながら、久しぶりに安らかな眠りにつくことが出来た。

 最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


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