愛を込めた旋律
淑女教育の一環として始まった音楽の授業、そこでミレイユは前世で打ち込んだ楽器であるピアノと出会い、前世で何度も弾いた曲を演奏する。
その演奏は素晴らしいもので、聞いた事の無い旋律に足を止めた使用人達は、一人また一人と音楽室の前に集まり彼女の奏でるピアノの音に耳を澄ませていた。
「使用人達が集まっているから何事かと来てみれば……フレイ、これは一体どういう事?」
「あらアシェラ、貴方の妹は、音楽の神に愛されているようね……さっきからあの調子で聞いた事も無いような曲を弾き続けているわ」
使用人の人垣が割れ、侍女を伴って部屋へと来たのは大公子妃でありフレイの親友であるアシェラだ。
何事かと入ってきた彼女は、幼い義妹が演奏家かと思う程見事な演奏を一心不乱に続けている光景に、思わず親友へと尋ねたのだ。フレイの返答にミレイユの方を見て演奏に耳を傾ける。
次期大公妃としてアシェラもそれに相応しい芸術の教養を持っている。その彼女の耳からしても、ミレイユの演奏は素晴らしかった。
「シンシア、急いでお義母様を呼んで来てちょうだい。お義母様にも是非聞いて頂きたいわ」
「畏まりました、アシェラ様」
「なんて幸せそうな顔で演奏するのかしら、そんなに音楽が好きなのね」
ソファーに座ったアシェラは控えていた侍女に命じると、侍女は少し足早に部屋を出ていく。
程なくして侍女は大公妃であるメルヴィアとハーヴェント大公も伴って戻ってきた。
「お義母様、それにお義父様も、間に合って良かったです」
「アシェラさん、この素晴らしい曲を本当にあの子が……?」
「ええ、さっきからあの調子でずっと弾き続けています。見てください、あの幸せそうな笑顔を」
「本当にね……あの子がこんなに音楽に惹かれる子だとは思わなかったわ」
ソファーに腰掛けながら演奏するミレイユの表情を見る三人。ミレイユはまだ彼等が居るのに気が付かないまま演奏を続けている。
楽譜も見ずに演奏する彼女はまるで泉のように溢れてくるメロディーのままに弾き続けているのだが、少し休憩を取ろうと演奏を止めてふと後ろを見ると、いつの間にか部屋に入っていた彼等ら、そして部屋の外に詰めかけている使用人達に驚いてぴゃっと声を上げる。
「アシェラお姉様!? お義父様にお義母様まで……いつからそこに?」
「貴方が演奏を始めて暫く経った頃よ。外に使用人達が集まっているのが見えたから様子を見に来たの。そしたら貴方が楽しそうに弾いているところに出くわしたのよ」
「あっ、ご、ごめんなさいお義父様。淑女教育の時間に借りただけなのに、こんな……」
アシェラの言葉に慌てて、ハーヴェント大公へと謝罪の言葉を述べるミレイユ。演奏に熱中しすぎて時間を忘れていた自分を恥じるが、大公はゆったりと首を横に振った。
「いや、謝る必要はない。君が音楽に興味を持つとは思わなかったが、聴き惚れてしまう素晴らしい演奏だった。楽譜も見ずに演奏できるとは、君には音楽の才があったようだね」
「この人の言う通りよ。素敵な演奏会だったわ」
「あ、ありがとうございます。そ、その、ピアノを弾くのはすごく楽しいです」
ミレイユは俯き加減にそう答えると、自分の頬が熱くなっているのを感じた。決して大げさな褒め言葉ではない。むしろ前世では決して得られなかった家族の賞賛が、今ここで当たり前のように自分へと向けられている。その事実が嬉しくて、でもどこか擽ったくて彼女は無意識に指先でスカートの裾を弄っていた。
「ミレイユ、少しこちらへいらっしゃい」
大公妃の招きに、ミレイユは小さく頷いてピアノの椅子から降りる。歩み寄ると、メルヴィアはそっと彼女の頭に手を置いた。
「貴方の演奏、とても素敵だったわ。夢で聞いた曲だなんて、まるで物語のようね。それにあんなに楽しそうに弾く貴方を見て、私まで嬉しくなってしまった」
「お義母様……」
「これからも好きなだけ弾きなさい。また私達に素敵な貴方の音楽を聞かせてね」
メルヴィアの言葉は、前世で両親に決してかけてもらえなかったものだった。美咲だった頃、ピアノを弾いている姿を両親が見に来ることはなく、ましてや好きなだけ弾きなさいと言われたことなど一度もない。コンクールの入賞報告をしても、返ってきたのは「そう」という短い相槌だけだった。
(ああ、私は今、認められているんだ)
じわりと目頭が熱くなるのを感じて、ミレイユは慌てて瞬きをした。ここで泣いてしまったら、せっかくの楽しい時間が台無しになってしまう。彼女はぐっと堪えて、精一杯の笑顔を作った。
「はい、ありがとうございます。もっともっと上手に弾けるように頑張ります」
「その意気よ。ねぇオルソン伯爵夫人、ミレイユにちゃんとした教師をつけた方が良いんじゃない? こんな才能を埋もれさせるのは勿体無いわ」
「仰る通りですわ大公妃殿下、近隣で有名な教師に伝手がありますので、打診してみます」
「ありがとうフレイ先生。楽しみです」
教養教育は音楽を主に進めていくべきだ、そう語り合う母達を前に嬉しそうに微笑むミレイユ。
「ねぇミレイユ、貴方が良かったら今日の晩餐の後にまたピアノを弾いてくれないかしら? 自分だけ聞いてないなんて知ったら、あの人が拗ねちゃうわ」
「兄様がですか? ふふ、わかりました」
今晩ピアノを弾いて欲しいと頼むアシェラは、仕事で今日は城内に居ない夫セルヴェンがこの事を知ればきっと拗ねてしまうと悪戯っぽく笑いながら言う。ミレイユは兄のそんな姿を想像して、思わず笑みが零れた。
その日の夜、セルヴェンが仕事から戻り晩餐を終えると、ミレイユはピアノを演奏し、大公家の家族皆で彼女の演奏に耳を傾けた。ドレス姿で少し緊張した面持ちで演奏するミレイユをセルヴェンは一番に拍手をした。
「すごいなミレイユ。まさか君にそんな才能があったなんて。初めて聞く曲だが素晴らしかった」
「ありがとうございますお兄様。その、聴いてもらえて嬉しいです」
「ああ、また聞かせてくれ。仕事で疲れて帰ってきた時でも、君の演奏を聴けば疲れが吹き飛びそうだ」
セルヴェンの率直な賛辞にミレイユは胸が温かくなるのを感じた。前世で家族に求められなかったものがここにある。
数日後から、フレイが呼び寄せた教師の指導を受け、ミレイユは毎日欠かさず演奏を続けた。前世で培った技術と、今世で得た愛情を込めながら。
彼女の奏でる音は日に日に優しく伸びやかになり、聞く者の心を癒していく。彼女がピアノを弾く度に人々は足を止めその素晴らしい音色に耳を澄ませた。
大公城のサロンには今日もミレイユのピアノが響く。その音は前世で誰にも届かなかった美咲の想いを乗せて、今度は確かに誰かの心へと届いているのだった。
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