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洗礼の儀② 崩れる策略

 洗礼の儀当日、帝都の朝は澄み切った青空に包まれ、街のあちこちに掲げられた祝祭の旗がそよ風に揺れている。今日は神殿が定める祝祭日であり、中央神殿には朝早くから多くの貴族や信徒たちが参拝に訪れていた。


 「ミレイユ、緊張しているのか?」

 「はい、少し……でもお義父様やお義母様、兄様達が一緒だから大丈夫です」


 神殿に向かう馬車の中、養父ハーヴェントの問いかけに、白を基調とした礼装に身を包んだミレイユはほんの少しだけ強張った表情で答える。その小さな手はぎゅっと握りしめられていた。

 隣に座る大公子妃アシェラがそっとその手を包み込むように重ねる。


 「怖くなったらいつでも私の手を握っていいのよ。無理に我慢することはないわ」

 「ありがとうございます、アシェラ姉様」


 向かいの席に大公と共に座るセルヴェンも正装姿で妹を見守っている。一家の乗った馬車は大公家の紋章を掲げ、帝都の大通りを中央神殿へと進んでいく。

 自分が神殿に狙われているかもしれないという事を、養父ハーヴェント大公から告げられているミレイユは、やはり落ち着かない様子だ。


 「大丈夫、貴方は何も心配しなくていいの、私達が絶対貴方を守るわ」

 「メルヴィアの言うとおりだ。あの欲深い連中にお前を渡したりしない」

 「ありがとうございます、お義父様、お義母様」

 (でも、本当に大丈夫かな……? もし聖痕が出ちゃったら、有無を言わさず囲い込まれちゃうってハインツが話してたのに……)


 養父達は大丈夫だと言ってくれるが、ミレイユはセルヴェンと補佐官ハインツの話を偶然聞いてしまったのだ。この儀式で聖痕が出たら聖女として祭り上げられてしまうと、そうなったら家族と引き離されるかもしれない。

 前世でプレイした『スターライト・ロンド』でも、男爵家の庶子だったヒロインは魔法学園入学前に洗礼を受け、その際に聖痕が現れ神殿に次代の聖女として認められた筈だ。

 彼女の場合は魔法を学ぶ為にも魔法学園の入学が優先され、そこで攻略対象達との恋愛をし、そして後編では帝国を揺るがす陰謀を解決する為に奮闘したらしい。

 ゲーム前編をプレイしている時は悪いようには見えなかったが、養父や兄達の反応から、この世界の神殿勢力は金と権力の亡者のようだ。

 

 『大丈夫ですよミレイユちゃんっ、私がお守りするですっ』

 「ユーリィ……ありがとう」

 (どうか聖痕が出ませんように……私は家族と離れたくありません)

 

 不安げな表情を浮かべるミレイユを励まそうとする、小さな光の精霊ユーリィ。

 彼女にありがとうと言って微笑むも、ミレイユの心には不安が渦巻き、どうか聖痕が出ないでくださいと祈るばかりだった。


 やがて馬車は中央神殿の正門前に到着した。白亜の柱がそびえ立つ壮麗な神殿は、今日という日のために清められ、参道には聖歌隊の歌声が静かに流れている。


 「大公殿下、大公妃殿下、大公子ご夫妻、そして大公女殿下。本日はようこそお越しくださいました」


 門の前で待ち受けていた高位の聖職者たちが一斉に頭を下げる。その奥には、洗礼の儀を取り仕切るであろう大司教の姿も見えた。白い祭服に金色の刺繍を施した壮年の男は、恭しくもどこか値踏みするような視線でミレイユを見つめている。


 「洗礼の儀は大聖堂にて執り行います。どうぞこちらへ」


 案内されるままに歩き出した一家の周囲には、大公家の精鋭騎士達が配置されている。事前の取り決め通り、神殿の敷地内にも大公家の兵が入ることは許可されていた。だがそれでもハーヴェントの警戒心は解けない。神殿の者たちが妙に従順だったことが、どうにも引っかかっていた。


 「ミレイユ」

 「はい、お義父様」

 「何があっても、お前は我が子だ。誰にも渡しはしない。だから安心して、洗礼を受けなさい」

 「……はい」


 ハーヴェントは娘の手を取り、静かに告げる。ミレイユはまっすぐに養父を見上げ、深く頷いた。きっと家族が守ってくれる、そう信じて彼女は顔を上げ奥へと歩いて行く。

 

 大聖堂の重厚な扉が開かれると、荘厳な光が差し込む。高い天井には精霊と神々の物語を描いた壁画が広がり、祭壇の上では聖なる灯火が揺らめいている。参列席には既に数人の高位聖職者や、神殿に近しい貴族たちが着席していた。


 「それでは、これよりミレイユ・アーグランド大公女殿下の洗礼の儀を執り行います」


 大司教が祭壇の前で両手を広げ、厳かに宣言する。ミレイユは家族に見守られながら、祭壇へと続く白い石畳を一歩一歩踏みしめて歩き出した。

 

 『ふーん、神様や精霊を信仰する聖職者さんだって聞きましたけど、皆大した事無いですねっ、誰も上級精霊の私に気付いていないですっ』

 「え……? ユーリィって、中級精霊じゃ?」

 『ミレイユちゃんのお手伝いをして大公子妃様を助けた功績で、リモーネ様からお力を頂いて昇格したのですっ』

 

 緊張した面持ちで一人ゆっくりと祭壇を登るミレイユ、その側を飛ぶユーリィは広間に集まる高位の聖職者達を見回し、皆大した事無いですっと鼻で笑う。

 思わず足を止めたミレイユが小声で尋ねれば、彼女は中級精霊から上級精霊へと昇格したのだと胸を張る。


 「昇格できるものなんだ、凄いねユーリィ」

 『えへへっ、褒めてくれてありがとうですっ、精霊界でも皆に羨ましがられましたですっ』

 (ユーリィのおかげでちょっと緊張がほぐれたかも……今はお義父様や皆が必ず守ってくれるって信じて、洗礼を受けるしかないわね)


 彼女のおかげで少し緊張が和らぎ、前を向く勇気を貰ったミレイユは祭壇に向かって歩みを進める。祭壇の上では大司教が恭しく一礼し彼女を迎え入れた。


 「大公女殿下、こちらへ」


 大司教の隣には銀の聖杯が置かれている。中には聖水が満たされ、ほのかに光を帯びているように見えた。祭壇に登ったところでユーリィは、突然表情を険しくして黙り込んだ後に消えてしまう。突然消えた友人に戸惑うも、今は儀式に集中しなければと首を振るミレイユ。

 彼女が祭壇の前に膝をつくと大司教は静かに祈祷を始め、その手を聖杯に浸し、そっと彼女の額に触れた。


 「偉大なる神と大いなる精霊王よ、ミレイユ・アーグランド大公女殿下に祝福を」

 「「「神と精霊の祝福があらん事を」」」


 大司教の言葉に続き、聖歌隊の聖詠が響き渡り、参列席の人々が一斉に祈りの言葉を唱和する。その直後、ミレイユの全身がふわりと柔らかな光に包まれた。


 「なっ……!?」


 大司教が息を呑む。やがて大聖堂全体が、目を開けていられぬほどの眩い光に包まれ、皆目を覆い動く事も出来ない。


 『目を開けなさいミレイユ』

 「……? その声、リモーネ様?」

 『せいかーい、久しぶりね。元気そうで何よりよ』

 

 不意にかけられた声に目を開けたミレイユ。彼女の前には幻想的な光を纏う、金髪をポニーテールにした女性、光の精霊王リモーネが立っていた。

 彼女が何故ここに、と驚いて周囲を見回すが、大司教もそして祭壇の下に居る神官達や家族達も誰一人として動いていない、まるで時が止まっているようだ。

 

 『ちょっとだけ時を止めたわ。ユーリィから知らせを受けて来たの。この欲深い人間達は貴方に偽の聖痕を宿らせるつもりだったのよ』

 「偽の聖痕……?」

 『聖痕とは神様に選ばれし者が授かる証。ざっと調べてみたけど貴方には宿る兆しは無いわ。だけどこの神殿の者達は貴女の持つ奇跡に等しい力を欲しがり、偽りの証を与えてでも自分達の支配下に置こうとしていたの。まったく聖職者の名が聞いて呆れるわね』

 『やっぱりですか? 何かいやーな感じがしたので、リモーネ様に来てくださいってお願いしたのですっ』

 『良い判断よユーリィ、貴方冴えてるわ』


 リモーネの言葉を聞いて息を呑むミレイユ、神殿が自分を狙っていた理由は家族から聞いていたが、まさか偽の聖痕を押し付けるつもりだったとは予想もしなかった。

 聖職者とは神に仕え敬虔な人達なのでは? という疑問を抱くが、聖職者の中には俗世の権力争いに囚われる人もいる。そういう人は前世の世界にもいたかと思い出す。


 『えへへっ、褒めてくれて嬉しいですっ』

 『そういう訳でこの不届き者達の企みをぶち壊す為に、リモーネお姉さんは来たのでした。仕掛けは壊したし貴方には聖痕は宿らないわよ』

 「助けてくださってありがとうございますリモーネ様。どうお礼をしたらいいか……」

 『気にしないで良いわよ。でもお礼をしてくれるっていうのなら、貴方が考えたクリームパンってパンが食べたいわ。この間戻ってきたユーリィが、美味しいのなんのって騒いでて気になったのよ』


 お手柄だと褒められ、えっへんと胸を張る眷属の頭を撫でる精霊王は、神殿の企みの要である仕掛けは壊したと語り、ミレイユは彼女の言葉に深々と頭を下げる。

 助けてくれたお礼にと申し出ると、リモーネは興味津々といった表情でユーリィが絶賛するクリームパンというパンを所望する。


 「ふふ、分かりました。この間新しく試作したジャムパンも用意しますね。ユーリィに頼んだら持って行ってくれますよね?」

 『ええ、この子に渡してくれたら大丈夫! ふふふ、今から楽しみだわー……っと、あんまり時を止めていられないし、そろそろ私は戻るわね』

 「はい、今回は本当にありがとうございました、リモーネ様」

 『いいのよ……ミレイユ、貴方はこの世界で幸せに生きて、そしてその知識で美味しい物や便利な物を作って、皆も幸せにして頂戴。それが私達精霊王の願いよ』

 「はいっ……! 私頑張ります」


 そろそろ時間だと告げた精霊王に深々と頭を下げミレイユは彼女を見送る。リモーネの姿は光となって消え、止まっていた時間が動き出す。

 突然広がった眩い光に、大聖堂の隅々までざわめきが広がった。聖歌隊の詠唱も乱れ止まり、大司教も額に汗を浮かべていた。混乱の最中にある聖堂内に、バキンと何かが砕ける音が響き、その付近にした神官達が慌ててそちらへと駆けていく。

 

 光が収まった後には、膝をつき祈りを捧げているミレイユの姿があった。しかし通常なら手の甲、もしくは額に現れる筈の聖痕は存在しない。聖なる光は現れたと言うのに、聖痕は何処にも見当たらなかった。大司教が彼女の手の甲と額を確認するがやはり何も無い。彼の視線がわずかに泳いだ。

 まさか身体の他の場所に宿ったのか? だが宿ったのなら僅かにでも輝きや魔力の痕跡が出る筈だ。しかしそれすらもない。

 参列者達の間では困惑の声が上がっている。通常の洗礼とは明らかに違う光だったにも関わらず聖痕が出なかった事にだ。


 「ば、馬鹿な……ど、どうして、聖痕が現れないのだ……?」

 「大司教様、もう儀式は終わったんですよね? 私、お義父様達の所に早く戻りたいのですが……その、沢山の人に見られて、すこし怖いです……」

 「も、もちろんです、大公女殿下。儀式は滞りなく終えられました。で、殿下に大いなる神と精霊の祝福があらん事を」


 もう終わったのですよね? と小首を傾げるミレイユは、年相応の愛らしい表情を浮かべて早く家族の元に戻りたいと伝える。

 目論見が完全に潰れ動揺したままの大司教は、どうにか平静を装い笑みを浮かべてミレイユを送り出す事しか出来なかった。

 ミレイユは小さくお辞儀をしてから祭壇を降り、家族達の元へ駆け寄っていく。


 「お疲れ様、よく頑張ったわねミレイユ」

 「大丈夫? 何処か痛かったり苦しかったりしてない?」

 「突然凄い光に包まれていて肝を冷やしたぞ……身体に変わりはないか?」

 「はい、お義母様お義父様大丈夫です。見てください、全く変わりないですよね?」


 一番先にアシェラがミレイユを抱きしめ、次いでメルヴィアが彼女の頬を両手で包んで安否を確かめる。聖痕が現れていない事を確認したハーヴェントは大きく息を吐き出した。

 聖痕が現れなかったことにより神殿がミレイユを聖女として囲い込む根拠は完全に失われた。これで神殿に対して優位に立てる。安堵の笑みを交わし合う家族達は大聖堂を後にし神殿の外に向かう。


 「大公女殿下、どうか神殿内にもうしばし留まられて、神の祝福に対する感謝の祈りを捧げて頂きたく……」

 「もう十分でしょう、儀式は終わりました。妹は大勢の視線に晒されての儀式に緊張して疲れたと言っている。当家はこれで失礼します」


 感謝の祈祷の際に服を着替えさせ、手の甲や額以外の場所に聖痕が現れていないか確認する。その意図を隠して聖職者達はミレイユを引き留めようとするがセルヴェンが冷たく一蹴した。大公家一行が悠然と立ち去る背中を聖職者達は悔しげな表情で見送っている。しかし彼らにはどうする事も出来なかった。


 「……何なのあの子……それに、あの子が連れてた子って、精霊……?」

 

 ザワザワと騒がしい大聖堂の中で一人フードを被り座っていた聖職者は、退出していく大公家、いやミレイユに視線を向けて呟くように口にする。


 「さっきも何かまでは分からなかったけど、凄い気配を感じた……爺どもは何も感じてないみたいだけど、これは荒れるかもなぁ」


 フードを取り立ち上がった、長い翡翠色の髪に金色の瞳を持つ若い女性。当代聖女エーファニアは大きくため息を漏らした後に混乱の中にある大聖堂から歩き去って行った。

 最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


 欲深い神殿の策謀はユーリィとリモーネの活躍により潰れました。しかしこれで神殿が諦める訳はなく……。


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