化粧品のテストと惚気祭
大公城の錬金工房でスキンクア草の蒸留、香油と化粧水作りを見学し試供品を受け取ったミレイユは城内へと戻り、メルヴィアとアシェラの居るサロンに向かった。
「……という訳で完成はしたのですが、レグルス師はお義母様やお姉様がお使いになる前に、誰かに一週間くらいこの試供品を使ってもらって、その効果や不具合がないか検証してから使用して欲しいとの事でした」
「本当は私が試したいところだけど……レグルスの言う事ももっともね」
「それでミレイユ、もう試す方は見つかったの?」
「いいえ、これからです。誰か探さないと」
ミレイユが試供品の小瓶を持って二人に説明すると、部屋のあちこちから騒めきが起きる。メルヴィアの侍女、アシェラの侍女、そしてたまたま来ていた女官達。
皆この話題に耳を傾けているのは明らかで、サロン内の空気が微妙に緊張を孕んでいた。
「誰に使うのが最適かしらね……」
「私はお義母様とお姉様、それぞれに近いお年の女性一人ずつに試してもらいたいなと思ってます」
サロンに集う女官や侍女達の間を、一陣の風が吹き抜けたかのような静寂が一瞬走り、次の瞬間には抑えきれない熱気が沸き起こった。
「大公女様、わたくしにどうかお任せくださいませ!」
「いえ、ここは私が、肌の状態には人一倍気を遣っておりますの」
「お待ちになってくださいな。大公妃様に近いお年とおっしゃれば、私こそが適任かと存じますわ」
次々に名乗りを上げる女官達。アシェラはあらあらと口元を押さえ、メルヴィアは少し苦笑いを浮かべている。
「皆さんやる気満々ですね……」
「当然です。大公妃様と大公女様のための試作品とはいえ、錬金術師様の最新作をいち早く試せるのですから」
「しかも肌と髪に良いものならなおさらですわ」
「それに不具合が出るかもしれないというのなら、お二人に使っていただく前に私達が責任を持って確かめなければ」
侍女や女官達の熱意に圧倒されつつミレイユは悩んだ末、公平に抽選にする事を提案した。これにはさすがに皆も納得し、その場でくじ引きが行われる事になった。
「では、順番にくじを引いてください。印がついていた方が当たりです」
ミレイユが用意した紙片を女官達が祈るような面持ちで引いていく。
「まあ、わたくし、外れましたわ……」
「ああ……私もです……」
当たりくじはなかなか出ない。それほど数は多くないはずだが、くじの運だけは誰にもわからない。
最後の一枚を引いたのはメルヴィアに仕える女官であるマリエッタだった。彼女の顔がぱっと輝く。
「あたりですわ!大公妃様!」
「まあ、マリエッタ、良かったわね」
「はい!光栄です!」
マリエッタはメルヴィアの年齢に近い落ち着いた女性で、日頃から肌の手入れを欠かさないという。四十代後半という年齢も候補としては理想的だった。
「次にお姉様と近いお年の方を……」
ミレイユが続きのくじを用意すると、若いアシェラ付きの侍女や女官達が一斉に身を乗り出す。彼女達の熱気は先ほど以上かもしれない。
「絶対に当ててみせますわ」
「負けません!」
「皆さんお静かに、順番通りに引いてください」
ミレイユは若い女性陣にもくじを引いてもらい、こちらはアシェラ付きの侍女であるシンシアが引き当てた。二十代半ばの彼女は肌が敏感な質で常に低刺激の物を選んでいると言う。
「シンシアは肌が敏感なんだね。私としてはそういう人にも試して欲しかったの」
「はいお嬢様。ほんのちょっとでも合わないと赤くなってしまうのですが、もしお肌に合うようなら安心して大公子妃様にもお使いいただけると思います」
メルヴィアはマリエッタにアシェラはシンシアにそれぞれ試供品を渡し、一週間後の経過を報告するよう言いつけた。
こうして試供品のモニター二人が決まったところでサロンの空気もようやく落ち着きを取り戻した。外れた女官達からはため息が漏れていたが、仕方ないと引き下がる様子にミレイユは安堵した。
二人が使い始めて数日で効果は劇的に現れた。まずマリエッタの肌は使い始めた翌朝からいつもより柔らかく滑らかな手触りになったという。日を追うごとに顔色が明るくなり長年悩んでいた目の下のくすみや口元の乾燥も薄くなった。
そして髪にも効果が現れ、パサつきがちだった髪がしっとりと纏まり、痛んでいた毛先がなんと治っているのだ。
「これは驚きました。頬に触れるとしっとりしていて張りもあるようで、化粧ののりがまるで違います。髪も潤いを取り戻してお手入れがし易いですわ」
「まあそんなに? でも本当に若返ったみたいに見えるわよ貴方」
「大公妃様ったら。でも本当にこの化粧水と香油だけで他のお手入れがいらないくらいですわ」
シンシアも肌の赤みや刺激が出ることもなく、むしろ肌荒れが落ち着いてきめが整ってきたと嬉しそうに報告してきた。二人ともに香りも上品で良いと好評だった。
一週間後、異常が出なかっただけでなく明らかな肌質の改善が見られたため、ミレイユは試供品より大きいサイズの瓶に入れた物を受け取り、メルヴィアとアシェラの元へと持っていく。
「お義母様、お姉様、レグルス師からも了解が得れましたので、今日からお使い頂いて大丈夫です」
「やっと来たわね。待ちわびていたわ……横でマリエッタの肌艶が良くなり、まるで若返ってるみたいで、使いたくてしょうがなかったの」
「シンシアの肌の調子もすこぶる良かったようね。私も使うのを楽しみにしてたわ」
受け取った二人は侍女に命じて準備をさせ早速使う事にした。まずは洗顔の後に少量を手のひらに取り、そっと顔全体に馴染ませる。ひんやりと心地よい感触が肌の上で広がり、ふわりとスキンクアの優しい香りが立ちのぼった。
「ああ……これは気持ちいいわね」
「本当ですね。肌にすっと入っていく感じがしますわ」
「それは良かったです。朝と夜のお手入れに使って頂ければ効果が感じられると思います」
ミレイユの言うとおりに二人はそのまま朝と夜の手入れに欠かさず化粧水を使い始めた。使い始めて三日目、朝の身支度を整えていたメルヴィアが鏡の前で小さく声をあげた。
「まあ……」
「どうかなさいましたか、大公妃様?」
「マリエッタ、見て。目元の小じわが薄くなっていない?」
「拝見します……あら、本当ですわね。それに頬のあたりも心なしかふっくらと」
メルヴィアは何度も鏡を覗き込み、指の腹でそっと肌に触れる。かつては気になっていた肌のざらつきが消え、しっとりと柔らかな感触が戻ってきているのを確かめて、自然と笑みがこぼれた。
一方、アシェラも同様の変化を実感していた。彼女の場合はまだ若いのだが、心身を病み臥せっていた時期からあまり肌の具合が良くなかったのだ。しかし使い始めてから明らかに化粧ののりが良くなり、夕方になっても肌がくすみにくくなった。
長い闘病生活の間で痛んでいた髪も艶と潤いを取り戻していた。
使い始めて一週間、メルヴィアの肌は比喩ではなく本当に若返ったかと思う程に張りと艶を取り戻した。それはアシェラも同様で臥せる以前の状態、いやそれよりも遥かに良くなっていた。
「ふふふ、明日にはあの人とセルヴェンが帰って来るわね。きっと貴方の美しい肌を見たら、あの子目を丸くするわよ」
「お義父様も驚かれると思います。お義母様本当に若返られたかと思うくらいお肌の艶がありますから」
ここ一週間、帝都で開かれていた会議に出席する為に大公城を離れていたハーヴェント大公とセルヴェン大公子。
普段は同行する帝都行きに敢えて着いて行かなかった二人は、戻ってきた夫達が美しくなった自分達を見てどんな顔をするのかと楽しそうに言葉を交わしている。
まもなく大公親子が帰還すると告げられると、二人はミレイユと共にホールで夫達を出迎えた。
「大公殿下、お帰りなさいませ。公務お疲れ様でした」
「……おいゲリオス。私は夢でも見てるのか? メルヴィアが若返ったように見えるぞ?」
「私めにもその様に見えます殿下。なんとお美しい……」
側に控えている主席補佐官へ男へと尋ねながら大公妃の手を取り、彼女の瑞々しい頬へと手を添える大公。ハーヴェントはそのまま手に取っていた妻の手へとそっとその甲に口づけた。
「たった七日ほど離れていただけだというのに、まるで数年ぶりに会うような気分だ」
「まあ、大げさですわよ貴方」
「大げさなものか……今の君は本当に美しい。初めて出会い、恋焦がれたあの頃を思い出す」
大公の指がメルヴィアのほんのりと朱に染まる頬を優しく撫でる。その仕草には三十年連れ添ったものとは思えぬほどの初々しさがあった。
「若い頃の君はこうやってすぐに顔を赤らめていたな。今も変わらない」
「あ、貴方、こ、こんなところで……」
「殿下、皆が見ておりますぞ」
「構わん。私の愛しい妻を褒めて何が悪い」
夫からのストレートな愛情表現に恥ずかしそうに声を漏らす大公妃。主席補佐官ゲリオスが咳払いをするが、大公は全く気にする様子もない。周囲の侍従や執事達は熱烈な愛情表現をする主人を前に苦笑を浮かべている者も居た。
そしてアシェラと対面したセルヴェン大公子といえば、大きく目を見開いたままポカンと口を開けていた。
「セルヴェン……?」
「お、お兄様?」
「殿下? 殿下ってば! ああダメだこりゃ、あまりにも大公子妃様が美しいから驚いて放心してますよ」
姉妹が首を傾げる中で、呆然と立ち尽くす大公子、補佐官であるハインツが何度も声をかけて、こりゃダメだと肩を竦めてみせる。しばらくするとセルヴェンが我に返ったようにまばたきをしてアシェラの顔を見つめた。
「アシェラ、ああ……ただでさえ愛しい人が更に美しくなってしまったな。これは困った」
「もう、貴方ったら、何がお困りなのですか?」
「こんな美しい君を他の男が放っておく訳がないだろう。誰かが言い寄ってきたらと思うと気が気でならない……隠してしまうか、うん、そうしよう」
「隠さないでくださいな、それに私が愛しているのは貴方だけですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいが……でもやっぱりどこかに閉じ込めてしまいたくなる」
「貴方もお義父様も大概ですわね……」
こうして大公城のホールでは二組の夫妻の愛情表現が繰り広げられており、使用人たちが見ているのもお構い無しでイチャつく姿に、周りの者達はある者は微笑ましく眺め、ある者は表情を消して感情を無にしている。
(もしもーし、ここに幼女が居るんですが! 惚気は部屋に戻ってからやってくださーい!)
『はわわわっ、こ、これがあ、愛の営みというものですかっ』
二組の夫婦に挟まれイチャつく様を至近距離から見せられるミレイユは、顔を引きつらせながら心の中で叫んでいて、その肩に乗る精霊ユーリィは顔を真っ赤にしながら大公達のやり取りを見ている。
彼女達の様子に気付いた大公夫妻の補佐官や侍女が気付いて止めた為、ようやくホールで繰り広げられた惚気祭は終わったが、二組の夫婦はそれぞれの妻を抱き寄せそのまま自分達の部屋へと戻って行く。
そんな中、取り残されたミレイユはハインツとゲリオスと共に三人で重い溜息を吐くのだった。
「幼女の居る前で止めて欲しいですけど……もぅ」
「申し訳ありませんミレイユお嬢様、大公妃殿下があまりにもお美しくなられたので、抑えが効かなかったようです」
「セルヴェン様も他の者も見てるというのに、あんな恥ずかしい事をよく言えるなぁ」
ぷぅと頬を可愛らしく膨らませるミレイユ。こちとら前世でも勉強一筋で恋愛経験ないんだぞ、あの甘々空間に巻き込むなとばかりに不満顔のミレイユだが、ハインツもゲリオスも主人達の行動に肩を竦めるしか出来ない。
夕食の時もあの雰囲気は続いてるかもしれない、覚悟してくださいねとハインツが苦笑すると、ミレイユは勘弁してと肩を落とすのであった。
メルヴィアとアシェラに絶賛されたスキンクア草から作る化粧品。それは後に皇室にも献上され高く評価される。その貴重さゆえ製造から厳重に管理され、大公家や皇室に貢献した者への下賜品の一つとなる。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
周囲の反応など気にするものかと嫁を口説き落とす大公と、ヤンデレの気配をかもしだす大公子。
妻を失った事で一気に闇堕ちするような入れ込み具合なので、セルヴェンの妻への執着はかなり強いですw
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