王冠より欲しい席
秋の庭園は、楓の赤と、刈りこんだ生け垣の緑とで、まだら模様になっていた。
その生け垣の迷路のあちこちに、今朝早く、小さな旗が十五本立てられた。白い布に王家の紋を染めた、手のひらほどの旗だ。立てたのは庭師で、場所を知っているのは庭師だけ。兄弟三人はそれを探して、自分の籠に入れて、東屋まで持ち帰る。鐘が三つ鳴るまでに、多く持ち帰った者の勝ち。
「籠です」
フェリクスが、背負い紐のついた籠をレオに渡した。持ってみると、思ったより軽い。
「底の枠を細くしました。紐も肩に食いこまないように幅を広げてあります」
「いつの間に。昨日まで、ただの籠だったのに」
「ユリウス殿下が来た日の夜です」
東屋には、父と、二人の妃が座っていた。
父アルベルトは膝に毛布をかけ、いつもどおり落ち着いた顔で庭を眺めている。その右に第一妃マルグリット。兄二人の母で、細い指で湯気の立つ杯を包み、穏やかに笑っている。左に母。今日は稽古着ではなく普段の衣装だが、身を乗り出しているので、どう見ても観客というより審判だった。
「エドガー、ユリウス、レオ。用意は」
父の声に三人は並んで手を挙げた。
長兄エドガーは十五歳。背が高く、肩幅も父に似てきた。籠の紐を短く結び直し、迷路の入り口をじっと見ている。次兄ユリウスは、籠の中に何か布をごそごそ詰めこんでいた。
「ユリウス兄上、それなに」
「秘密。のぞいたら、お前の負けが一つ増える」
最初の鐘が鳴った。
*
レオは迷路の入り口で、両手を広げた。
水を細かくして、風に乗せる。白い霧が足元から湧きあがり、生け垣の間を流れていく。この夏、温室で何十回も作った雲の、ずっと薄いものだ。霧が迷路の奥まで届いたところで、レオは風を止めた。
霧の中で生け垣の形が浮かびあがる。そして、旗のあるところだけ、霧の流れがわずかに乱れていた。棒が一本立っているだけで、風の通り方が変わる。
「見えた」
レオは走った。
一本目、二本目、三本目。霧の中で旗を抜いては籠に放りこむ。兄たちの足音は、ずっと後ろのほうだ。
――いける。
四本目を抜いたところで、レオは迷路の出口へ向かった。籠を東屋に置いて、また戻ってくればいい。
出口の手前にエドガーが立っていた。
迷路から東屋へ抜ける道は、生け垣の切れ目が一つあるだけだ。長兄はその切れ目の真ん中に、籠を足元に置いて、腕を組んで立っていた。
「兄上、どいて」
「どかない。旗取りに、通せんぼをしてはいけないという決まりはない」
「ずるい!」
「去年、霧で私の籠を隠したのは誰だった」
エドガーは真顔で言った。でも目が笑っていた。
レオは迷路の中へ引き返した。別の出口を探さないといけない。走りながら角を曲がると、生け垣の上に、白い旗がひらひら揺れているのが見えた。
五本目だ。
レオは籠を下ろし、生け垣をよじ登って旗をつかんだ。
布の手ざわりが、なんだか違う。
広げてみると、ただのハンカチだった。端っこに、ユリウスの名前の頭文字が縫ってある。
「……兄上!」
どこか近くの生け垣の向こうで、ユリウスの笑い声がした。
レオは生け垣から飛び降りた。籠を置いた場所に戻る。
籠がなかった。
いや、あった。ただ、霧が濃すぎて、どこに置いたか分からなくなっていた。三つ目の角だったか、四つ目だったか。自分で作った霧の中で、レオは籠を探して、ぐるぐる回った。
二つ目の鐘が鳴った。
*
籠はやっと見つかった。四本の旗はちゃんと中にあった。
レオは生け垣の陰にしゃがんで、息を整えた。残りは鐘一つぶん。エドガーはまだ出口に立っているはずだ。ユリウスの偽の旗は、きっとまだあちこちにある。
もっと霧を濃くして、残りの旗を全部取ってしまおうか。
そう考えて、レオは首を振った。濃くすれば、また籠をなくす。取っても、持ち帰れなかったら数えない。
レオは霧を薄くした。
それから、迷路の角を一つ曲がるたびに、生け垣の根元の石に、水で小さな丸を置いていった。丘でセシリアに言われて置いた、あの印だ。来た道と、出口へ向かう道。印を置きながら、旗は二本だけ取った。
六本目を探していたとき、生け垣の上に、また白い旗が揺れていた。
レオは手を伸ばしかけて、止めた。
布が乾いている。
庭師が旗を立てたのは、夜明け前だった。今朝の庭には露が降りていた。本物の旗は、どれも端が少し湿っていて、指にひんやりした。でもこの旗はさらっとしている。ついさっき誰かが立てたのだ。
レオはその旗を見送り、生け垣の向こうをのぞいた。
ユリウスが、籠を抱えて別の旗に手を伸ばしていた。こちらは端が湿っている。本物だ。レオは風を一筋、ユリウスの足元に送った。落ち葉がぱっと舞い上がる。ユリウスが顔をそむけた隙に、レオは旗をひったくって走りだした。
「あっ、お前!」
水の印をたどった。右、左、右。迷わない。迷路の裏手の、狭い切れ目から外へ抜ける。エドガーが立っている表の出口からは、ずっと離れていた。
東屋に籠を置いたのと、三つ目の鐘が鳴ったのは、ほとんど同時だった。
旗の数は、エドガーが六本、ユリウスが五本、レオが七本――ではなく、五本だった。
霧の中で籠を探しているあいだに、二本落としていたのだ。迷路の中で拾った庭師が、にこにこしながら東屋に届けてくれた。落とした旗は数えない。
「エドガーの勝ちだな」
父が言った。
レオは籠の縁をぎゅっと握った。悔しい。霧の使い方は、絶対に自分がいちばんうまかった。
それでも、最後にユリウスからひったくった一本だけは、籠から出して、手に持っていた。端がまだ湿っている。
「母上、これ。偽物は乾いてて、本物は湿ってたんだ。露で」
「見てたわよ。身を乗り出しすぎて、マルグリット様に三回も袖を引かれたわ」
母は旗を受け取り、指先で布の端に触れて、目を細めた。
「ユリウスのハンカチを一度見送ったでしょう。あれがいちばん良かった」
「でも負けた」
「負けたわね。七本のつもりで帰ってきて、五本」
母はくすっと笑った。隣でマルグリットも笑っていた。
「レオ、旗を落としたのは、霧のせい?」
「……籠を置いたのが、僕のせい」
「正直でよろしい。霧のせいにしたら、その一本も取り上げるところだったわ」
エドガーが籠を東屋の床に置き、レオの頭に手を乗せた。
「来年は、同じ手は使わないぞ。お前、水で道に印をつけていただろう。裏の出口から出てきたときは、さすがに驚いた」
「兄上だって、来年も出口に立ってるつもり?」
「さあな。来年考える」
ユリウスは、籠の底からハンカチを五枚も出して並べていた。
「一枚も引っかからなかったの、レオだけだぞ。兄上は二回引っかかった」
「ユリウス」
「事実です、兄上」
*
お茶の時間になって、マルグリットが甘い湯気の立つ杯をレオに渡してくれた。蜂蜜を溶かした、温かい林檎の汁だった。
父が杯を置いて、レオのほうを見た。
「レオ。一つ聞いてもいいか」
「うん。……じゃなくて、はい」
「火も水も風も使える子は、この国にはお前しかいない。いずれ、お前を王にしたらいいと言う者が出てくるかもしれない。お前は、どう思う」
東屋が少し静かになった。エドガーは杯を持ったまま、黙って父を見ている。
レオは考えた。王冠のことなんて、ほとんど頭に浮かべたこともない。
でも、欲しい席のことなら、もう知っていた。
「王冠は、いらない」
レオは言った。
「僕、水の賢者の席がほしい。師匠の机の隣くらいの。王様の仕事は、兄上のほうがずっと上手だよ。今日だって、出口に立ってるの、すごく王様っぽかった」
ユリウスが吹き出した。エドガーは困ったような顔をして、それから、笑った。
父はゆっくりうなずいた。
「そうか。この国の王位は、上の子から順に、議会の承認を受けて継ぐ。属性の数で順番を変えることはない。それを、お前の口から聞けてよかった」
「父上、最初から決まってたなら、聞かなくてよかったじゃん」
「決まっていることでも、本人の気持ちは聞いておくものだ」
母がレオの肩を軽く叩いた。マルグリットは杯の向こうで目を細めていた。
帰り道、迷路の生け垣の根元には、まだレオの水の印が残っていた。日の当たらない側だけ、薄く輪になって。
レオは立ち止まって、その印を見下ろした。
霧の中で旗を一番早く見つけたのは自分だった。でも勝ったのは、帰り道を押さえていた兄上だった。取ることより、持って帰ることのほうが難しかった。
「フェリクス、ちょっと聞いて」
「聞いています。さっきから、ずっと」
「冬にさ、家族のみんなに、雨を見せたいんだ。この一年で作った雨、全部」
「実演ですか」
「うん。で、今度は、見る人がどこに立つか、先に決めておく。どこから見たら、何が見えるのか。そこから図を描く」
フェリクスは少しだけ眉を上げた。
「旗取りで学んだんですか」
「兄上に、出口で教わった」
レオは庭園を振り返った。東屋では、母がエドガーの籠をのぞきこんで、何か言って笑っていた。
「冬の実演会。一番の席は、もちろん母上だ」




