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雷鳴の王子と四大剣流 ~雨の理屈を解いた王子は、雷の剣で剣帝へ登りつめる~  作者: 雅龍(がりゅう)
第一部 小さな雨と失った日

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十二日分の窓

「レオ。その袋、持ち上げてみてください」

 出発の朝、王宮の馬車寄せで、フェリクスが言った。

 春の一月の終わりだった。十三歳の誕生日から、もう二十日が過ぎている。空は晴れて、石畳には夜露がまだ残っていた。

 レオは自分の袋の口を縛り、両手で持ち上げようとした。上がらない。もう一度、腰を入れた。膝の高さで止まった。

「……ちょっと重いかも」

「ちょっとではありません」

 フェリクスは袋の口を開けて、中に手を入れた。最初に出てきたのは、拳くらいの灰色の石だった。次に、同じくらいの白い石。黒い石。縞の入った石。

「保流石の試料が、九つ。灰冠の谷の砂の瓶が四つ。錆の皿が一枚。緑井戸の苔の瓶が一本」

「苔の瓶は一本しか持ってかないって、前に言ったじゃん」

「苔は一本でした。石と砂の話はしていません」

 フェリクスは石を地面に一列に並べた。

「十二日、この袋を馬車に積んで、宿ごとに降ろして、また積むんです。全部、使いますか」

 レオは並んだ石を見た。九つ。どれも向こうで測りたい石だ。どれも、選べと言われると選べない。

「……向こうで最初の月に測るのは、どれ」

 フェリクスが聞き方を変えた。

 レオはしゃがみこんで、石を一つずつ手に取った。最初の月。器の使い方も分からない最初の月に、全部を測れるわけがない。

「この四つ。灰冠の、谷の上と下と、南旧道のと、北の濡れ筋の」

「残りは」

「……定期便で、送ってもらう」

「そうしましょう。石五つの送り賃で、向こうの器が一回借りられます」

 フェリクスは帳面を開いて、何か書いた。残りの五つの石と、砂の瓶の三つは、エマが受け取って布に包んだ。母の侍女だったエマは、今は母の部屋の窓辺の鉢を預かってくれている。

「エマ。鉢の世話帳、これ」

 レオは手帳から、一枚破った紙を渡した。紅鈴草の水やりの日と量。春の最初の雨の頃に、蕾がつくこと。いちばん下には、大きく。

 ――水をやりすぎないで。拗ねるから。

 エマは紙を胸に当てて、深くうなずいた。

「春の最初の雨が降ったら、窓を開けておきます。外の雨を、少しだけ当ててあげます」

「うん、ありがとう。拗ねたら、手紙で教えて」

 門の鐘が鳴った。

 予定の時刻ちょうどだった。父と兄たちは朝の会議の前に見送りに来て、もう本館へ戻っている。父は最後に、レオの肩に手を置いて「手紙は月に一度。忘れたら、ユリウスに読ませるぞ」とだけ言った。ユリウスは「グランゼルの言葉で返事を書いてやる」と言った。エドガーは何も言わずに、レオの髪をぐしゃぐしゃにした。

 馬車の扉の前では、近衛のロルフが腰に剣を提げて待っていた。アステリアまでの護衛として、往きだけついてくる。

「殿下、セシリア殿、フェリクス殿。全員、乗りましたか」

「乗った」

「荷は」

「さっき半分になった」

 ロルフは「半分」という言葉の意味を考えるように首をかしげ、それから御者台へ上がった。

 馬車が動きだした。

 王宮の門をくぐるとき、レオは振り返らなかった。振り返ったら、たぶん窓辺の鉢を探してしまう。代わりに、膝の上の手帳を開いて、最初の頁の一行を指でなぞった。

 ――夏の帰国。


  *


 一日目の宿の水は、少し甘かった。

 二日目の宿の水は、鉄の味がした。井戸が赤い岩を通っているのだと、宿の主人が言った。三日目の水は白く濁っていて、桶の底にうっすら砂がたまる。

 レオは宿に着くたびに、まず水を一口飲んで、手帳に書いた。甘い。鉄。白い。書き終えると、宿の裏へ回った。

「何をするんですか」

 フェリクスがついてきた。

「雨。宿ごとに水が違うから、雲も違うのか見たいんだ」

「宿の水を勝手に使うのは――」

「使わないよ。借りるだけ」

 宿の裏の洗い場では、下働きの女の子が、たらいで皿を洗っていた。レオはその横にしゃがんだ。

「洗い終わったら、すすぎに使う水、少しだけ先に借りてもいい? 使ったら、ちゃんとたらいに戻すから」

 女の子はきょとんとしてレオを見て、宿の主人のほうをうかがった。主人が肩をすくめると、女の子は桶を一つ、レオの前に置いた。

 レオは桶の上に小さな雲を作った。手のひらくらい。王宮の温室で何百回も作った雲より、ずっと形が悪い。湯気の温度も、風の通りも、温室とは何もかも違う。

 それでいい、とレオは思った。王宮と同じ雲を作ろうとしたら、宿ごとに何日もかかる。ここではここの雲でいい。

 雲の底を冷やした。

 ぽつ、ぽつ。

 たらいの皿の上に、小さな雨が降った。すすぎの水が皿の泡を流していく。女の子が、目をまんまるにした。

「……すごい。手が濡れない」

「手が濡れないの、いいでしょ」

 女の子は、雨の下で皿を一枚ずつ回した。雨が止む頃には、十枚の皿がぴかぴか。桶の水は、ちゃんと半分たらいへ戻っていた。


 フェリクスは、宿の食堂で、旅の行商人と話しこんでいた。

 行商人の背負い箱の留め具が、壊れかけていた。蝶番の軸が曲がって、蓋が斜めにしか閉まらない。フェリクスはそれを見せてもらい、蝋燭の明かりに近づけて、長いこと眺めた。

「軸を一度抜いて、まっすぐに叩いて、戻せば、たぶん次の町まではもちます」

「たぶん、か」

「軸の鉄が、柔らかすぎます。たぶん、次の町でまた曲がります。軸だけ、固い鉄に替えてください」

 行商人は笑って、フェリクスに軸を叩かせた。フェリクスは帳面の後ろの頁に、蝶番の絵を描いた。軸の太さと、曲がった角度と、箱の重さ。

「売れる留め具の、参考です」

 レオが聞く前に、フェリクスはそう言った。


 セシリアは、毎日、道標を描いていた。

 宿と宿の間の街道には、ところどころに石の道標が立っている。ルーデンの道標は、丸い頭に、町の名前と日数が刻んである。三日目を過ぎると、道標の形が変わった。四角い頭に矢印だけ。五日目には、木の柱に色を塗った板が打ちつけてあるだけになった。

「国ごとに違うんだね」

 セシリアは、馬車の窓から身を乗り出して、通り過ぎる道標を紙に写した。

「ルーデンのは、読める人のための道標。こっちのは、字が読めなくても分かる道標。あっちのは……きっと、馬車の御者が分かればいい道標」

「どれがいいの」

「どれも、その道を通る人に合わせてるんだと思う」

 セシリアは紙の端に、小さく書いた。

 ――自分の隊で道標を立てるなら、誰が読むか先に決める。


  *


 四日目の夕方、宿の食卓で、ちょっとした騒ぎがあった。

 同じ馬車に乗り合わせた商人の荷車の車輪が、宿の手前で外れかけたのだ。車軸を止める楔が割れていた。ロルフが車輪を押さえ、フェリクスが割れた楔を見て、首を振った。

「この大きさの楔を作る道具が、ありません」

 そのとき、隣の卓で食事をしていた旅の男が、立ち上がった。灰色の作業着で、腰に小さな革の道具袋を下げている。男は何も言わずに袋から一本の工具を出し、楔の穴の大きさに合わせて、先の幅をきりきりと変えた。

 ねじを回すと、工具の先が広がったり狭まったりする。そういう道具を、レオは初めて見た。

 男は割れた楔の代わりに、宿の薪から一本を削って、その工具で穴の形に合わせて押しこんだ。車輪はしっかりと止まった。

 ついでに、と男は言って、ロルフの剣帯の緩んだ金具も締め、セシリアの地図の筒の蓋のがたつきも直した。フェリクスは、その工具から目を離せなくなっていた。

「どこの工具ですか」

 フェリクスが聞いた。

「グランゼル。ヘルトの工房のやつだ」

 男は道具袋の口を閉めながら言った。

「向こうの鉄は、いい。腹の立つことも多い国だが、道具だけは」

 食卓が少し静かになった。

 ロルフが、剣帯の金具を見下ろしていた。一昨年の夏、グランゼルの軍が灰冠に何をしたか、この食卓のルーデンの人間は全員知っている。それでも、締め直された金具は、しっかりと剣を支えていた。

 レオは自分の手帳を開いた。何を書けばいいのか、分からなかった。

 国境の線と、道具の便利さは、同じ線では分けられない。ユリウスがグランゼルの家族に書いていた手紙のことを思い出した。ヴォーラ。生きていて、怪我が重くない。

 レオは手帳に工具の絵だけを描いた。ねじを回すと先が広がる。その横に、小さな雲と「?」。

 それから、男に聞いた。

「それ、どうやって先が広がるんですか。ねじの中、どうなってるんですか」

 男は少し驚いた顔をしたが、レオの手帳をのぞきこんで、ねじの仕組みを指で描いてくれた。


  *


 十日目を過ぎると、レオは雨を降らせるのをやめた。

 宿に着いても、水を一口飲んで、手帳に一行書くだけにした。そのかわり、宿の井戸へ水を汲みに出たときに見えたものを描く。夕焼けの中の風車。羊の群れ。川の上に張られた、細い吊り橋。

「最近、実験しないんですね」

 フェリクスが言った。

「毎晩、何か出さなきゃって思わなくていいかなって」

 レオは、吊り橋の絵に、川の流れの矢印を足した。くるくるしすぎないように。

「見たものは、あとで役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。でも、見ないと、どっちか分からないじゃん」

 セシリアは道標の絵が二十枚を超えた。フェリクスの帳面の後ろには、留め具と蝶番と、あのグランゼルの工具の絵が増えた。三人とも、同じ馬車に揺られて、違う頁を増やしていた。


 十二日目の昼過ぎ。

「――見えた!」

 御者台のロルフが叫んだ。

 レオは窓に飛びついた。セシリアも、反対側の窓から身を乗り出した。

 なだらかな丘の向こうに、塔が立っていた。

 一本ではない。高い塔、低い塔、細い塔、ずんぐりした塔。白い石の塔と、赤い煉瓦の塔と、てっぺんに風車を載せた塔。十を超える塔が、丘の上の街から空に向かって突き出している。その塔の間から、何本もの煙がまっすぐ上っていた。工房の煙だ。

 そして、街のまんなかに、塔とは違うものが見えた。

 大きな、丸い門。石を積み上げて作った、背の高い輪のような門が、街の中心にぽっかりと口を開けている。門の周りだけ、建物がなかった。広場になっていて、人が蟻みたいに出入りしている。

「星環窟の、管理門……」

 レオは窓枠をつかんで、身を乗り出した。馬車が揺れて、頭を窓枠にぶつけた。痛い。それでも、目を離せなかった。

 あの門の下に七十二層の迷宮がある。

「入口、一つ、二つ……」

 反対側の窓でセシリアが指を折っていた。

「門の横にも、小さい口が二つある。それから、あっちの建物の脇にも。四つ……五つかな」

「セシリア、着いたら最初に――」

「宿」

 フェリクスが、二人の後ろから、きっぱりと言った。

「着いたら、最初に宿です。荷を置いて、預ける物を預けて、それからです。それから以外は、ありません」

「でも、門が」

「門は逃げません」

 フェリクスは帳面を閉じた。

「レオの石は、逃げませんが重いです」

 セシリアが吹き出した。レオは笑いながら、窓の外の門を、もう一度見た。

 塔の影が丘の道に長く伸びている。馬車はゆっくりと、その影の中へ入っていった。


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