荷物持ちでは終わらない
実家の食卓は、王宮の食卓より狭くて、そのぶん声がよく響いた。
「アステリアの剣術科です」
フェリクスはスープの匙を置いて言った。
「ヴァルディスを続けます。それと、装備の作り方も学びたいと思っています。学園の工房で、講義が取れるので」
王都の南の、騎士の家が並ぶ通り。父と母と、長兄のヴィクトール。二番目の兄は国境の詰所にいて、今夜はいない。そのかわり、叔父のヴィルヘルムが来ていた。秋の収穫祭の挨拶だと言っていたけれど、フェリクスが帰ると聞いて来たのだと、母がこっそり教えてくれた。
父は黙ってパンをちぎる。
叔父が杯を置いた。
「殿下も、アステリアへ行くそうだな」
「はい」
「なら、お前は従者としてついていく。それだけの話だろう。わざわざ剣術科だの工房だの、言い訳をつけなくてもいい」
「言い訳ではありません」
「なら、言わせてもらう」
叔父はテーブルの上で指を組んだ。
「火と土の二つ持ちだ。騎士の家に何代ぶりかの二つ持ちだぞ。それを、王子の荷物を運ぶのに使う。前にも言ったな。もったいない」
食卓が、しんとした。
ヴィクトールが、パンを持ったまま、父の顔を見た。母は匙を止めた。
フェリクスは、口を開いた。
何か言わなければ、と思った。従者は自分で選んだこと。荷物持ちだと思ったことは一度もないこと。レオの実験が、自分の作った物で変わるのを見てきたこと。言いたいことは、たくさんあった。
でも口から出てこなかった。
頭の中ではちゃんと並んでいるのに。声にしようとすると、順番がぐちゃぐちゃになる。叔父の前で、うまい演説をしようとすればするほど、喉が固くなった。
フェリクスは口を閉じて、椅子の横に置いていた袋を、膝の上に持ち上げた。
*
袋から、まず、木の板のかけらを一つ出す。
手のひらくらいの大きさの、二枚の薄い板。重ねたところに、鉄の鋲が打ってあって、その鋲の周りから、ひびが一本、斜めに走っている。
「九つの夏に、レオの実験台を作って、割りました」
フェリクスは、それをテーブルの真ん中に置いた。
「雨を降らせる台です。二枚の板を重ねて、鋲でとめた。でも、濡れると板が反って、鋲のところから割れました。ここです」
ひびを指でなぞった。
「このあと、鉄の筋を十字に入れた台を作り直しました。それは、今も使っています」
叔父は、眉をひそめて、かけらを見ていた。
フェリクスは、袋から、もう一つ出した。
鉄の細い枠。四隅に脚。脚の一本にだけ、新しい鉄片が、巻きつくようにしっかりなじんでいる。春に緑井戸から持って帰ったあと、残りの三本にも同じ鉄片を巻くつもりで、まだ巻けていなかった。
「これは、春に、王都の小迷宮で使った採集枠です」
「採集枠?」
「苔を、根を切らずに採るための枠です。実験台の脚を外して作りました。迷宮の中で壁張りに襲われて、脚が一本、曲がりました」
巻いた鉄片を、指で叩いた。こつん、と鈍い音がした。
「その場で、直しました。持ってきた鉄片で。直したから、その日のうちに苔が採れました。直せなかったら、帰るしかありませんでした」
フェリクスは顔を上げた。
叔父の顔をまっすぐ見た。
「荷物を運ぶのは、私の仕事です。でも、ただ背負って歩くだけでは、迷宮では足りません。重すぎれば、階段で落ちます。壊れれば、そこで終わりです。何を持って、何を置いていくか。壊れたものをその場でどう直すか。それは、私が考えて、私が作ることです」
声が少し速くなっていた。止まらなかった。
「私は、それを、もっとちゃんと学びたいんです。剣と、作ることと。それで、いつか、旅をする人が買える道具を作りたい。王子の荷物だけじゃなくて。迷宮に入る人とか、山を越える行商の人とか。……そういうものを、作って、売りたいんです」
言い終わって、フェリクスは、自分の息が上がっていることに気づいた。
早口になっていた。怒っているときの、自分の癖だ。怒っていたのかもしれない。叔父にではなく、うまく言えなかった自分に。
食卓の上に、割れた板と、直した枠が並んでいた。
*
最初に口を開いたのは、父だった。
「ヴィルヘルム」
「なんだ、兄上」
「五つのときに、従者の教育に出したのは、俺たちだ。給金の出る、王宮の教育だった。騎士の家の三男には、いい話だった」
父はちぎったパンを皿に置いた。
「六つで、二つ持ちだと分かった。あのとき、教育をやめて、別の道に行かせることもできた。お前も、そう言った」
「言ったな」
「やめなかったのは、こいつが自分で、続けると言ったからだ」
父はフェリクスを見た。
「それは、今も変わらんか」
「変わりません」
フェリクスはすぐに答えた。
母が、匙を置いて、フェリクスのほうへ身を乗り出した。
「一つだけ、約束して」
「はい。……内容によりますが」
「いつか、嫌になったら、帰ってきなさい。従者をやめて、別の家に行くのでも、工房に弟子入りするのでも、それで恥をかくことなんて、ないんだから。うちの戸はいつでも開いてる。ヴィルヘルムの知り合いの鍛冶場だって、頼めば紹介してもらえる。そうよね?」
叔父が、渋い顔で、杯を持ち上げた。
「……まあ、紹介くらいは、してやれる」
「なら、その上で」
母は、テーブルの上の枠を、指でそっと撫でた。
「今は、あなたが選んだほうでいいわ」
ヴィクトールが、やっとパンを口に入れた。噛みながら、言った。
「売れるもの作ったら、まず俺に安く売れよ。国境の詰所、留め具がすぐ壊れるんだ」
「定価です」
「弟だろ」
「定価です。会計は、身内でも曲げません」
ヴィクトールが噴き出した。母も笑った。父は笑わなかったけれど、パンをもう一つちぎって、フェリクスの皿に置いた。
叔父だけが、最後まで、割れた板のかけらを見ている。やがて、ぽつりと言った。
「……この鋲の打ち方は、悪くない。割れたのは、板の目の向きだ」
フェリクスは目を丸くした。
叔父は、それ以上は何も言わずに、杯を空けた。
翌朝、父は推薦書を書いてくれた。騎士の家の当主として、剣術科への推薦。理由の欄にこう書いてあった。
――剣と装備の両方を、自分の手で学ぶ意志がある。
従者のことも、王子のことも、書いていなかった。
*
王宮に戻ったのは、その日の夕方だった。
詰所の前の石段を上がって、いつもの物置をのぞくと、レオがいた。
床に、袋が二つ。レオの袋と、フェリクスの袋。どちらも口が開いていて、中身が床に広げてある。着替え。手帳。水筒。地図の筒。レオは床に座りこんで、指を折りながら何かを数えていた。
「あ、フェリクス! おかえり。今ね、アステリアまでの荷、数えてたんだ。十二日分。二人分だと、水筒が――」
「レオ、手を止めてください」
フェリクスは、物置の入口に立ったまま言った。
「私は、まだ返事をしていません」
レオの指が止まった。
「私の荷を、私の返事の前に数えないでください」
レオは床に広げた二つの袋を見て、フェリクスを見た。顔がゆっくりと赤くなった。
「……ごめん」
レオは立ち上がった。フェリクスの袋の中身を、一つずつ、元の袋に戻しはじめた。着替えを戻し、水筒を戻し、口を縛る。それを、自分の袋から少し離して、床に置き直した。
そして、フェリクスの前に立った。
「フェリクス。アステリアに、一緒に来てほしい」
まっすぐな声だった。
「従者として。それから、友達として。僕、フェリクスがいないと、たぶん、荷の重さも、止まるまでの歩数も、誰も数えてくれない。……それだけじゃなくて。フェリクスが作るもの、もっと見たい」
フェリクスは、少しのあいだ、黙っていた。
やがて、懐から帳面を出した。
「確認したいことが、二つあります」
「うん。二つでも、三つでも」
「一つ。アステリアでの給金は、今と同じですか。向こうは物価が高いと聞いています」
「……父上に、聞いておく。上げてもらう」
「二つ。剣術科の講義と、工房の講義の時間は、従者の仕事から外してください。その時間は私のものです。レオの実験の手伝いは、その外でやります」
「うん。約束する」
フェリクスは帳面に何か書いた。書き終えて、閉じた。
それから、笑った。
レオが見たことのないくらい、はっきりと。
「行きます」
レオが飛びついてきた。フェリクスは、帳面を頭の上に避難させながら、よろけた。
「重いです、レオ。荷より重いです」
*
その夜、二人は物置で、もう一度荷を広げた。
今度は、フェリクスが自分で、自分の袋に詰めた。レオは横から口だけ出した。
「その鉄片、全部持ってくの?」
「全部です。採集枠の脚、残りの三本に巻きます」
「向こうにも鉄はあるって。工房だらけの街なんだから」
「向こうの鉄は、私の手に馴染んでいません。これは、馴染んでいます」
「でも、十二日も背負うんだよ。階段のことを思い出して。的板の」
「的板を持っていこうとしたのは、レオです」
「それは、それ。これは、これ」
「同じです。重さは、重さです」
二人の声は、物置の外まで聞こえていたらしい。通りかかった近衛の兵士が、扉の隙間から顔をのぞかせて、首を振って去っていった。
結局、鉄片は半分。
残りの半分は、レオが自分の袋の、いちばん底に入れた。
「……なぜ、レオの袋に」
「僕の袋のほうが、空いてるから。苔の瓶、一本しか持ってかないし」
フェリクスは、何か言いかけて、やめた。
そのかわり、帳面を開いて、新しい欄を一つ作った。
――鉄片、半分。預け先、レオ。
レオは、それをのぞきこんで笑うと、床から立ち上がって窓の外を見た。王宮の本館の、父の執務室の窓に、まだ灯りがついていた。
「あとは、父上だ」
レオは言った。
「なんで行きたいのか、ちゃんと言わないと。セシリアも、フェリクスも、自分で言ってきたんだから」




