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雷鳴の王子と四大剣流 ~雨の理屈を解いた王子は、雷の剣で剣帝へ登りつめる~  作者: 雅龍(がりゅう)
第一部 小さな雨と失った日

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予約済みの銅皿

ローヴェンの東市場は、朝から鍋を叩くような音でいっぱいだった。

 銅細工の通りでは、どの店先でも誰かが金槌を振っている。かん、かかん、と高い音が石畳に跳ね返って、隣の店の音と混ざり、通り全体がひとつの大きな楽器みたいに鳴っていた。

「フェリクス、あれ!」

 レオは人混みの隙間を指さした。

 軒の低い店の奥、作業台の上に、銅の皿が三枚、きっちり重ねて置いてある。大きさは手のひらを二つ並べたくらい。縁の立ち上がりも、色も、三枚そっくりだった。

「同じ形が、三枚」

「走らないでください」

 後ろからフェリクスの声と、それよりもう少し後ろから、護衛の近衛兵ロルフのため息が聞こえた。ロルフは今朝、王宮の門で「市場の中では、殿下の三歩以内」と言われていたのだが、レオが角を曲がるたびに五歩くらい離されている。

 店の奥で、白髪をきつく結った女の人が顔を上げた。袖を肘までまくった腕に、細かい火傷の跡がいくつもある。

「いらっしゃい。何をお探しだい」

「その皿! 三枚とも、ください」

「ああ、それは駄目だよ」

 女の人――銅細工師のグレタは、皿の一番上に手を伸ばし、小さな木の札をつまんで見せた。焼き印で麦の穂の形が押してある。

「三番街のアーダのパン屋さんの予約札。来週の焼き菓子の型にするんだってさ。もう半分お代ももらってる」

「あ……」

 レオは札を見つめた。

 予約。母に一番の札を渡したのは、ついこのあいだのことだ。

 それでも口は勝手に動いていた。

「でも、あの、僕、実験に使いたくて。パン屋さんには、別のを作ってもらえば――」

 王子なんだし一枚くらい、という言葉が喉のところまで来たとき、袖をくいっと引かれた。

 フェリクスだった。相棒は何も言わずにレオの横へ出ると、腰の革袋を外して作業台の上に置いた。中で銅貨が、じゃらっと控えめな音を立てた。

「実験費の予算です。今月の残りは、これで全部です」

 グレタは袋をちらっと見て、それからフェリクスの顔を見た。

「ずいぶん正直な財布だね」

「帳面と合わない財布は、持ち歩かないことにしています」

 レオは袖を引かれたままの格好で、顔が熱くなるのを感じた。母の札を取り上げて誰かに渡す、なんて言われたら、自分ならたぶん怒る。

「……ごめんなさい。予約のは、いいです」


  *


「同じ形が欲しいなら、自分で作ればいいんだ」

 気を取り直したレオは、作業台の端に転がっていた銅の板を指さした。

「火で温めて、水で冷やして、形を整える。僕、三つとも使えるし」

「へえ、三つとも。そりゃ便利な坊やだ」

 グレタは面白そうに眉を上げると、棚の下から一枚の皿を引っぱり出して、ぽんとレオに放った。

 受け取った瞬間、レオは首をかしげた。

 皿がゆがんでいる。片側だけが波打って、置いてもかたかた揺れる。

「去年、火の魔術が得意な若いのが、うちで同じことを言ってね。急いで温めて、急いで冷やした。外から見ると平らなんだけど、中の厚みがばらばらになっちまう。熱ってのは、薄いところから先に逃げるからね」

「熱は、薄いところから……」

 レオは皿を光にかざした。言われてみれば、波打っている側だけ、ほんの少し銅が薄い。

「実験に使うなら、なおさらだよ。同じ形に見えて中身が違う皿を三枚並べたって、何も分かりゃしない」

 レオは、ゆがんだ皿をそっと台に置いた。

 オルウェン師匠が言っていた。三つも四つも変えたら、どれのせいか分からない。見た目だけ同じでも、中で違っていたら同じことだ。

「じゃあ、どうしたらいい?」

「傷物と端材なら、そこの箱にある。厚さの近いのを自分で探しな。それなら売ってやる」


 二人は店先にしゃがみこみ、箱の中身を全部並べた。

 縁の欠けた皿。表面に引っかき傷のある皿。切り落とした端の板。レオは一枚ずつ指で弾いて、音の高さを聞き比べた。厚いものは低く、薄いものは高く鳴る。フェリクスは別のことをしていた。皿を一枚ずつ裏返し、底の真ん中を親指でなぞっている。

「何見てるの。裏に値段でも書いてある?」

「脚を付け直せるかどうかです。台に載せるなら、底に脚が要ります。脚の跡が平らに残っている皿なら、あとで私が付けられます」

「値切らないの?」

「値切るより、使える物を買うほうが安くつきます」

 グレタが店の奥で吹き出した。

 結局、音の高さがいちばん近い銅の皿が二枚見つかった。一枚は縁に引っかき傷があり、もう一枚は端が少し欠けている。三枚目がどうしても見つからずにいると、グレタが通りの向かいを顎で示した。

「比べたいなら、全部銅で揃えなくたっていいだろ。向かいの焼き物屋に、同じ寸法の素焼きの皿がある。銅と土で、熱の逃げ方がどう違うか見てごらん。そっちのほうが、よっぽど面白いと思うけどね」

 レオはばっと顔を上げた。

 温室の鉢は素焼きだった。青い光はあの素焼きの縁を走った。

「それ! 素焼き、それです!」

「声が大きいよ、坊や」


  *


 帰り道、角のパン屋の前で、甘い匂いに足が止まった。

 アーダのパン屋だった。店先の籠に、焼きたての丸い菓子が並んでいる。予約札の、あの店だ。レオは少し気まずくなって、それから、フェリクスの袋に残っていた銅貨で菓子を二つ買った。

 紙に包まれた菓子から、白い湯気が細く立ちのぼっている。

 レオは包みを持ったまま、ふと立ち止まった。

「フェリクス、皿、出して」

「ここで、ですか」

「ここで。湯気が冷める前に、早く早く」

 フェリクスが包みから銅の皿と素焼きの皿を一枚ずつ出す。レオは菓子を二つに割り、その湯気を、二枚の皿の上へ同時にかざした。

 皿の表面がすうっと白く曇る。

 菓子をどけた。

 銅の皿の曇りは、瞬きを三つするうちに消えた。端から中へ、波が引くみたいに。素焼きの皿はなかなか消えなかった。白いまま、ゆっくり、ゆっくり、真ん中から薄くなっていく。

「……違う」

 レオは皿を抱えたまま、往来の真ん中で動けなくなった。

 同じ湯気、同じ時に、同じ高さから。違うのは皿の材料だけだ。それだけで、曇りの消え方がこんなに変わる。銅は熱をすぐに逃がし、素焼きは抱えこむ。

「だからグレタさん、作るって言ったとき、あんなに笑ったんだ。中身が違ったら、全部台無しになるって知ってたから」

 後ろで荷車が鈴を鳴らした。ロルフがあわててレオの肩を押し、道の端へ寄せる。

「殿下、往来で止まらないでください」

「ごめん。でも見た? 曇りの消え方」

「見ました。往来の真ん中で」

 ロルフの言い方が、なんとなくフェリクスに似ていた。

 レオは菓子の残り半分を口に放りこみ、手帳を出した。湯気と皿の図を描く。それから、これまで書いたことのなかった欄を一つ足した。

 ――材料。銅(傷あり)、銅(欠けあり)、素焼き。

「これから、全部の実験に材料も書く」

「良いと思います」フェリクスは袋の口を縛り、帳面を開いた。「残りは銅貨七枚。帳面に戻しておきます」

「七枚もあるなら、もう一個――」

「戻しておきます」


 近道をしよう、と言ったのはレオだった。

 市場の裏から王宮の東門へ抜ける細い路地なら、大通りを回るより半分の時間で帰れる。皿を早く試したい。レオがそう言って路地へ足を向けたとき、頭の上から声が降ってきた。

「そこ、昼は日なたで、皿が焼けるよ」

 見上げると、パン屋の隣の家の外階段に、赤みがかった栗色の一本結びが腰かけていた。セシリアだった。膝の上に紙を広げ、侍女が買い物を済ませるのを待っているらしい。

「なんでここにいるの。今日、探検の日じゃないよね?」

「お使いの付き添い。レオこそ、ロルフさんを五歩も置いてきてたでしょ。階段の上から全部見えてた」

 セシリアは紙をくるりと回してレオに向けた。市場から王宮までの道が描いてある。ところどころに斜線が引かれていた。

「斜線のところは、この時間、建物の影になる道。路地は近いけど、ずっと日なた。皿を温めたくないなら、こっちを通ったほうがいい」

「……なんで、そんな地図持ってるの」

「来月の探検の練習。丘でも同じことを測るの。朝の影がどっちに倒れて、どこにいちばん長く残るか」

 レオは素焼きの皿を見下ろした。日なたと日陰。温かいところと、冷たいところ。

「その丘に、さ。曇りが遅く消える場所って、ある?」

 セシリアの目が、ほんの少し細くなった。面白いものを見つけたときの顔だった。

「朝霧の溜まる窪地がある。お日さまが高くなっても、日陰だけしばらく霧が残るの」

「行きたい。いつ? 明日?」

「来月。隊長は私。地図も行程も私が作る。それでいいなら、二人とも来てもいいよ」

 レオとフェリクスは顔を見合わせた。

「行く。絶対行く」

「同行します。……帰りの時刻を、先に教えてもらえますか」

 セシリアは満足そうに頷いて、紙を四つ折りにした。

「三人分の行程、作っておくね。――それと、レオ」

「なに。地図なら、もう見たよ」

「二番の雨、まだ降ってないから。忘れないでよね」


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