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雷鳴の王子と四大剣流 ~雨の理屈を解いた王子は、雷の剣で剣帝へ登りつめる~  作者: 雅龍(がりゅう)
第一部 小さな雨と失った日

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16/24

硬い菓子と水の樽

灰冠の谷から流れ出た川は、王都へ向かう途中で、三つの橋をくぐる。

 一つ目は石の橋、二つ目は木の橋、三つ目は古い石と新しい木をつぎはぎした橋だった。三つの橋のまわりに家が集まって、そのあたりは、ただ三橋と呼ばれていた。

「ここで馬を休ませます」

 案内役のハンネスが言うと、レオは馬から飛び降りて、一つ目の橋の欄干に張りついた。

 水が速い。澄んでいて、川底の石が見える。

 二つ目の橋まで走った。ここでは、川の左から、細い支流が流れこんでいた。北のほうから来る流れだ。支流の水は少し灰色に濁っていて、本流とぶつかるところで渦を巻き、橋の左の脚に、ぐいぐい押しつけられている。

 三つ目の橋では、川が広くなって、流れはゆっくりになった。その代わり、右の岸の低いところに家が並んでいて、水面と軒下の間が、手のひら二つぶんくらいしかない。

「坊主、落ちるなよ」

 三つ目の橋のたもとで、舟の手入れをしていた年寄りの船頭が声をかけてきた。

「ねえ、春に水が増えるとき、どこから先にあふれるの?」

「二つ目の左の脚だな。北の沢の水が来ると、あそこがいちばん先に押される。それから、ここの右の岸だ。あの家の人らは、毎年舟で逃げる」

 レオは手帳を開いた。

 一つ目の橋、二つ目の橋、三つ目の橋。北の沢から来る支流。谷で見た、北の穴から垂れていた濡れた筋。あの水も、たぶん北の沢に集まって、ここへ来る。

 レオは三つの橋と、そこへ流れこむ水を、矢印で描いていった。どの脚がどこから押されるか。どの岸が先に沈むか。船頭の話も全部書きこんだ。

「それ、また母上の分?」

 フェリクスがのぞきこんだ。

「これは師匠の。師匠、川の流れの図、好きだから」


  *


 三橋の先の交易所は、北の街道と、王都への道がぶつかるところにあった。

 石造りの大きな建物の中に、ルーデンの穀物袋とグランゼルの鉄の農具が、天井まで積み上がっていた。父はここで、グランゼルの商人と会うことになっていた。

 商人はクレムという名前の、太った、汗かきの男だった。机をはさんで父と向かい合うと、ハンカチで額を拭きながら、一枚の紙を差し出した。

「ハーゲン商会の旦那方からの申し出です。灰冠の保流石を、十年分、まとめて買い取りたいと。値は今の一割増し」

「断る」

 父はすぐに言った。

「十年分をひとつの商会に売れば、十年間、その商会しか灰冠の石を持たなくなる。困るのは、石を買えなくなる畑の者たちだ」

「ですが陛下、一割増しですよ」

「十年分の一割より、十年分の畑のほうが大きい」

 クレムはハンカチをぎゅっと握った。それから、別の紙を出した。今度は穀物と鉄の交換の話だった。冬のあいだ、グランゼルへ送る穀物の便を増やしてほしい。代わりに、鉄の鋤と鍬を、いつもより多く出す。

 父はこちらにはうなずいた。

「冬の追加便は認めよう。北の街道は雪で詰まる。早めに出しなさい」

 二人のやりとりは、ずっとそんな調子だった。断る、困る、では、これは、それなら。言葉は硬くて、レオは部屋の隅で、ずっと息をひそめていた。

 話がひと区切りつくと、クレムが袋から、茶色い四角い焼き菓子を出した。

「グランゼルの岩焼きです。陛下も、どうぞ」

 父は一つ取った。クレムも一つ取った。二人は同時にかじって、同時に、ばきっという音を立てた。

「……相変わらず、硬いな」

「硬いのが取り柄でして。三か月置いても腐りません」

 二人ともちょっと笑っていた。

 さっきまで、断る、困る、と言い合っていた二人が、同じ菓子を、同じ顔でかじっている。レオにはそれがすごく不思議だった。


「坊ちゃんもどうぞ」

 クレムがレオにも一つくれた。ついでに、自分の脇に置いていた焼き物の水筒から、湯気の立つ茶を小さな杯に注いでくれた。

 レオは杯を受け取って、目を丸くした。

 熱い。朝から馬車に積んできたはずなのに、いれたてみたいに熱い。

「この水筒、なんで冷めないの?」

「ベルカの工房のですよ。土を二重に焼いて、間に熱が逃げない工夫をしてあるんだとか。高いんですがね、旅には手放せません」

 レオは水筒を両手で持たせてもらった。外側はほんのりとしか温かくない。中の熱は、ほとんど逃げていない。銅の皿とも、素焼きの皿とも、まるで違う。

 ベルカ、とレオは手帳の隅に書いた。いつか、どうやって焼いているのか見てみたい。

 そして、岩焼きをかじった。

 歯が止まった。

「……っ」

「坊ちゃん、少しずつ、湿らせながらですよ」


 口の中で岩焼きをふやかしながら、レオは思いついたことを言ってみた。

「保流石の値段、ちょっと下げたら、もっと仲良くなれるんじゃない?」

 父は黙っていた。答えたのはクレムだった。

「下げていただけたら、ありがたいですがね。それでも、うちの値は上がるんですよ」

 クレムは帳面を開いて、レオのほうに向けた。数字の並ぶ表の一番下を、太い指でとんとん叩く。

「運び賃です。今年の春から、グランゼルの軍が荷車と馬を、あちこちで借り上げてましてね。徴発ってやつです。残った荷車の取り合いで、運び賃が去年の倍。石がいくら安くても、運ぶのが高けりゃ、向こうの畑に着くころには高い石になっちまう」

 レオは表を見た。石の値は去年と同じなのに、一番下の数字だけが、ぐんと大きくなっている。

 石の値段は、石だけで決まるんじゃないのか。

 レオは自分に何ができるか考えた。国と国の値段は、たぶんどうにもならない。でも、運ぶほうなら。

「クレムさん、荷車で、水の樽も運んでる?」

「運んでますとも。馬と人の飲み水です。あれがまた、揺れるたびに板がゆるんで、ひと月で何樽も駄目になる」


  *


 王都に戻ると、レオはまず、手帳を二冊ぶん抱えて母の部屋に駆けこんだ。

 母は机に向かって何か書いていたが、レオの顔を見ると、すぐに筆を置いた。

「おかえり。近道は見つかった?」

「……やっぱり聞いた。絶対いちばんにそれを聞くと思って、もう一枚描いといたんだ」

 レオは南旧道の写しを机に広げた。歩けたところまでの線。イーダの測った新しい幅。北の穴から垂れていた、図にない濡れた筋。

「ここから先は、ベルナルトに止められた。測り直しが終わってないから」

 母は写しの上に身をかがめ、しばらく黙って見ていた。指で旧道の線をたどり、レオが行けなかったところで指を止め、それから北の穴の濡れた筋を、とんとんと叩いた。

「いい図ね」

「近道、見つからなかったよ」

「近道より、こっちのほうがずっといいわ。どこまで分かっていて、どこから先を見直さなきゃいけないか、ちゃんと書いてある。こういう図は、なかなかないのよ」

 母は写しを丁寧にたたんで、机の端の、軍の書類の束の上に重ねた。

「北の詰所の資料に添えておくわ。灰冠の地図は、古いのしかないから」

 机の端を見たとき、レオは書類の束の下から、見慣れない紙が一枚、はみ出しているのに気づいた。青い蝋で封をした跡に、本と星の紋。どこかの都市の印だった。

「それ、なに?」

「あら、目ざといわね」

 母は紙をすっと束の下に押しこみ、片目をつむった。

「まだ内緒。予約札みたいなものよ」

「僕の? ねえ、僕の?」

「さあ、どうかしら。当てたら教えてあげる。当てられたらね」

 母はそれ以上、何も言わなかった。


 三橋の流れ図は、師匠の研究室の壁に貼られた。

「北の沢の水が二つ目の橋の左を押す、か。船頭の話まで入っている」

 師匠は図の前で腕を組み、長いこと眺めていた。

「この図、しばらくここに貼っておいていいかな。三橋の水は、私も前から気になっていたんだ」


 水の樽は、フェリクスと二人で、工房室で直した。

 樽の中に、ゴードにもらった保流石のかけらを、網の袋に入れて沈める。荷車が揺れて、水が片側に寄っても、石が水を吸って、揺れがおさまってから少しずつ返す。水が暴れなければ、板もゆるまない。袋を樽の真ん中に留めておくための鉄の帯は、フェリクスが作った。

 ハンネスに頼んで、荷車に積んで試してもらった。行きはうまくいった。帰りに、空の樽の中で、鉄の帯の留め具が外れて、石の袋ががらんがらんと転げ回った。

「水が入ってるときは、水が袋を押さえてたんだ」

「空のときは、押さえるものがありません」

 二人は留め具を作り直した。水があってもなくても袋を留めておけて、しかも、運ぶ人が工具なしで外せる形に。三回作り直して、四回目で、ハンネスが自分の手で、樽の口から袋をつけたり外したりできるようになった。

「これなら、俺らだけで使えますよ」

 ハンネスは樽を叩いて笑った。

 フェリクスは留め具を手の中で転がしながら、ぼそっと言った。

「旅の道具、もっと作りたいです。水筒とか、鍋とか。運ぶ人が、自分で直せるものを」

「作ろうよ。ベルカの水筒みたいなのも」

 レオは、交易所でクレムにもらった岩焼きの残りを、引き出しから出した。二人で一つずつ持つ。

「お祝い。樽と、留め具と、ハンネスさんに」

 かじった。ばきっ、と二人ぶんの音がした。

「……っ」

「……少しずつ、湿らせながら、でしたね」


  *


 試験便の結果は、春の終わりに、ハンネスが表にして持ってきた。

 王都と灰冠の間を行き来する荷車が、それぞれ何日かかったか。水樽がいくつ駄目になったか。樽は、前よりずっと長もちしていた。

 ただ、表の一番上の行だけが、おかしかった。

 北の街道を通る便。そこだけ、日数が去年の倍になっていた。荷車がどこかで止まっている。

「北の便だけ、詰まってる」

 レオは表を持って、父の執務室へ走った。

 ノックをして扉を開けると、父は机に向かっていた。レオの差し出した表を受け取り、北の行を指でなぞって、黙ってうなずいた。

「よく測ったな。……置いていきなさい」

 父の声は、いつもどおり落ち着いていた。

 でもレオは見てしまった。父の机の上、レオの表の隣に、もう一枚、紙が置いてあった。北の詰所の印が押された、軍の報告書。いちばん上の行に、太い字。

 ――グランゼル国境軍、北街道方面へ増派の動きあり。


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