第8話 ポケットの封筒
ボコ・・・ボコ・・・ボコ・・・ボコ・・・
耳障りなエアーポンプの規則的な重低音が、教室に響く。
明るくなった室内を眺めたサキの脳裏には、いくつもの疑問が浮かぶ。
――確かにこの部屋には水槽があった。でもこんなに大きかった?
――水槽の横にある、何?あのへんな箱みたいな装置みたいな物?
――薬品庫もあんな所に置いてあったっけ?
――電子ロック(?)付きの扉って何?見たことないんですけど?
リンは、サキの思考を中断させるように、実験器具の棚が並ぶ壁の奥にある、電子ロック付きの曇り一つない鏡の様な扉に触れた。
リンの触れた部分が白く曇り、やがてその曇りは薄れていった。
「サキちゃん、知ってる?この扉はエレベーターになっているんだよ。」
リンが呟く。
「嘘・・・あんなところにエレベーターなんて、聞いたこともない!」
「私の祖父はこの学校の理事長なの。だから教えてもらったことがあるんだ。でも・・・暗証番号は知らない。このロックを解かない限り、私達はここに閉じ込められたまま。ねえ、サキちゃん。早く『私達』をここから解放して。」
リンの口調が、だんだんユキの口調に似てくる。
(・・・これで何度目だろう・・・?)
サキの中に、またしても言いようのない違和感が冷たく広がっていく。
まるで全てが、予め用意されていた舞台装置のような錯覚に陥る。
「ねえ、サキ。ポケットに何か入ってる。」
リンの細い指がサキのスカートのポケットからはみ出ていた白い封筒を取り出す。
中には、サキにとってどこか見覚えのある、癖のある美しい文字で書かれた一枚のメモがあった。
『水槽の中の、一番美しい魚を映せ』
(水槽に魚なんて、一匹もいないのに・・・何を『映せ』っていうの?)
サキは水槽を覗き込んだ。水槽の中には、無機質なエアーポンプの気泡だけだ。
(『写す』じゃなくて、『映す』?『映す』ってことは・・・鏡・・・?)
サキは迷いながらも、カバンから愛用のコンパクトミラーを取り出した。ギャルに人気のロゴが、白い蛍光灯の下で光る。
「何もいない水槽に『一番美しい魚』とか、マジで意味分かんないんですけど・・・」
毒づきながら、水槽を上から、斜めから、そして真横から見た。
水槽の正面のガラスに映り込む自分の目と目があった。
その瞬間、サキの脳裏にあの言葉が蘇る。
——『あなたは水槽の中で、唯一無二の美しい個体になるの』
(ひょっとして『一番美しい魚』って、自分の事?)
サキは、もう一度ゆっくりと水槽のガラスに自分の顔を映し、自分と目が合うようにミラーを傾けた。
鏡の中に映っているのは、派手なメイクで武装した自分と、自分を冷たく見つめるリンの顔が半分。
リンの瞳を覗き込もうとした瞬間、再びリンの囁きが耳を打つ。
「サキ。あなたが映しているのは、塗り固めた自分?それとも・・・壊れた私?」
一瞬、ミラーの端に映り込んだリンの瞳が、あのユキの冷徹な眼差しと重なった。
「えっ!」
サキが驚愕して振り返った瞬間、ミラーが強烈なLEDの光を反射し、リンの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「きゃっ!」
短く鋭い悲鳴を上げ、リンがよろめき水槽の縁にぶつかり倒れこんだ。
その拍子に、水槽の脇に置かれていた『観察日記』が音を立て、床に落ちる。
「ユキ!?」
サキは思わず、その名を叫んでいた。
しかし、床にうずくまっているのは、どこからどう見ても『弱々しいリン』だった。
「あ、痛たた・・・」
リンはぶつけた右手をさすりながら、力なく起き上がる。
そして、落ちた観察日記を拾い上げようとしたその時、観察日記の隙間から、先ほどと同じような白い封筒が『コトン』と軽い音を立て落ちてきた。
「ねえ、サキちゃん・・・また、封筒が出てきたよ。」




