第6話 文化祭前夜
高校に進学した頃、そこにはかつての『正義感に燃える少女』の姿はなかった。
ミルクティーベージュの巻き髪を風になびかせ、鋭く跳ね上げたアイラインで世界を睥睨する、完璧なギャル。
その中身は、ユキの冷徹な思想によって『過去』という名の不純物を濾過し尽くした、空虚で冷ややかな精神に書き換えられていた。
高校生活を謳歌して1年が過ぎたころ、ユキは突然サキの前から姿を消した。
入れ替わるように現れたのは、幼馴染のリンだった。
再会を果たし、頼りなげで、触れれば折れてしまいそうな『過去』を抱きしめたいという思い。
劇薬のような知性で自分を塗り替え、精神の拠り所となった『刹那』を求めてやまない思い。
この二つの思いの間でサキの心は絶えず悲鳴を上げていた。
ユキに『安っぽい偽物』と断じられたサファイアの輝き。
ユキが与えた、毒々しくも鮮やかな煌めき。
この二つの光の間で、何が真実で、何が偽りなのか。
拠り所にしていた価値基準は、危ういバランスの上にギリギリ立っているのだった。
*** サキ 高校2年 秋 ***
季節は再び、秋を迎えたが、一向に酷暑が去らない。
サキは自ら学園祭の実行委員に立候補した。降りかかる膨大な業務で脳を埋め尽くし、心の中に澱のように溜まった混乱を紛らわせるために・・・。
文化祭を翌週に控えた、ある熱帯夜のことだった。
静寂を切り裂いて、リンから電話が入る。
「ねえ、サキちゃん。サキちゃんの学校の文化祭・・・私も行っていいかな?」
震えるような、控えめな声。
そしてその直後、スマートフォンの画面が、別の通知で青白く光った。
『文化祭、行くから』
ユキからの、短く、断定的なメッセージ。
サキはスマートフォンを握りしめたまま、枕に顔をうずめ、二つの思いに苦悶するしかなかった。
*** サキ 高校2年 文化祭前夜 ***
(待って、どうしよう・・・ガチでやらかした・・・)
準備を終え、ようやく帰宅したサキの脳裏に、戦慄が走った。
いくつかの問題点のチェックを忘れていた。
明日、開始早々に露呈すれば、文化祭自体が大失敗に終わるだろう。
今すぐ学校に戻れば、終電までには帰れるはず・・・。
けれど、深夜の校舎に一人で戻る勇気などあるはずもない。
そんな葛藤を切り裂くように、スマホが鳴った。リンからの着信だ。
「サキちゃん、明日の待ち合わせ、何時にしよっか?」
「ごめんリン、ちょっと待って・・・今から学校に戻らなきゃいけなくなった。大事なこと、忘れちゃって・・・」
「こんな真夜中に?・・・だったら、私も一緒に行っていい?ううん、一緒に行きたいな。」
こんな真夜中に一緒に学校に忍び込んでくれる・・・。
サキの胸の奥の不安という塊が、徐々に溶けていった。
「リン、まじソッコーで駅来て!お願い!」
サキは即座にメイクを直し、青い石の付いたチョーカーを留め、気合を入れ直し、夜の駅へと駆け出した。
駅で待っていたリンは、今までに見たことのないスタイリッシュな装いで、目には赤色のカラコンが入っている。
首元のチョーカーの血のように赤い石が揺れながら街灯の灯を反射して光っていた。
およそ、サキの知るリンとは思えなかった。
(なんだか、ユキみたいだ・・・)
***
深夜の静まり返った学校は異様な雰囲気に包まれていた。
サキの心臓は早鐘のようにドキドキしている。
辿り着いた生徒会室でチェック漏れ項目との格闘する事1時間余り。
何とか全ての問題点を解決することが出来た。
(マジで詰むかと思った~ガチで疲れた・・・)
サキに一気に脱力感が訪れる。
(あ、ヤバ!リンをほったらかしにしてた・・・)
ふと気が付くと、側にいたはずのリンが生徒会室から消えていた。
サキは慌てて廊下で親友の名を叫んだ。
「リン!どこにいるの?」
静かな廊下にサキの声がこだまする。
廊下の突き当たりで月明かりを浴びるリンのシルエットが浮かんでいた。
リンが振り向き窓の向うを指さし、冴え冴えとした声で応える。
「サキ、見て・・・あの窓の向こうの青い光・・・」
リンが指さした先は、旧校舎の三階。
理科準備室の窓から、深く、吸い込まれそうな『青い光』が漏れていた。
サキの心臓が、痛いほど跳ねあがる。そのあまりに純粋な青は、かつてリンから手渡された、あのサファイアの輝きを鮮烈に想起させたからだ。
(そういえば、夜の旧校舎にお化け出るって・・・あれが・・・そうなのかな?)
いやなうわさ話を思い出し、得体のしれない恐怖感が背筋を這いあがってくる。
(でも、あの部屋、文化祭では使用しない・・・けど・・・)
放置するわけにもいかない。サキの正義感が、頭をもたげた恐怖を上回った。
「リン、あの灯消しに行っても良い?」
サキはためらいながらも旧校舎へと向かうことにした。
渡り廊下には、二人の靴音だけがコンクリートに反響し、夜の静寂を乱していく。
当然、リンが恐怖でしがみついてくるものだと思っていた。
しかし、リンは、迷いのない足取りで、冷静に淡々と闇の中を進んでいく。
この後ろ姿、どこかで見覚えがある・・・何時、何処で?
サキの疑問を暗闇がどんどん大きくしていた。
暗闇の恐怖に耐えきれなくなったサキは、震えを誤魔化すようにリンの細い腕に抱き着いた。
「・・・ねえ、リン。あんたさ、さっきからずいぶん落ち着きすぎじゃね?」
喉の奥に澱のように溜まっていた違和感を、ぶっきらぼうな口調で吐き出す。
「昔のリンなら、今ごろ腰抜かして私にしがみついてきてたじゃん。・・・それとも、今のあんたは本当に『リン』なわけ?」
サキの問いかけに、リンは歩みを止めなかった。前を見据えたまま、その口角がわずかに釣り上がる。
その口元はサキからは見えない。
「『落ち着いている私』って変?私はただ、あの光が懐かしいと思ってるだけ。・・・ねえ、私がサキにあげたサファイアの色、覚えてる?」
「・・・っ!あの石は偽物の青だって!あなたがそう言ったんだ!」
「私はリンよ・・・それに、『偽物』か『本物』かなんて、見る人の主観に過ぎないわ。」
理科準備室の前で、リンが足を止めた。
ゆっくりと振り返るリンの瞳に、理科準備室の隙間から漏れる青い光が反射し、赤のカラコンの色と交じり、紫色に反射する。
小首を傾げ、左手の細い指先で自分のほほを撫でる。
「ねえ、サキ。今のあなたのその格好、そのメイク。それは『本物』のあなた?それとも、誰かに色を塗り替えられただけの『偽物』・・・?」
その瞬間、サキの背筋に氷を押し当てられたような戦慄が走った。
リンのトーンが、わずかに低く、理知的で、冷徹。
それは、かつて自分の精神の拠り所であり、新たな自分に塗り替えた『ユキ』のそれと、あまりにも酷似していた。
言いようのない違和感が、霧のようにサキを包み込んでいく。目の前にいるのは、一度失ったはずの幼馴染なのか、それとも・・・。




